3 名無しの彼女と能面に戻った彼1

 名前を守るための身代わり。あまりのファンタジーぶりに身代わりをもらった本人は、困惑していた。記憶が戻ってからは半信半疑から信じざる得なくなる。自分の名前があり、何かの要因で奪われてしまった。五歳までの記憶しか戻ってない状況で、彼女はどうすればいいのかと眉を八の字にしていると、直文が腰を曲げて目線を合わせる。


「はなびちゃん」


 呼ばれ顔を見ると真顔であった。だが、目はじっと彼女を見ていた。


「ごめん。気味が悪いよね。俺は感情があまり顔に出てなくて、声色では出るんだ。

でも、俺はこのせいで人との交流が上手くなくて下手な言い方になってしまう。

できることはするし、俺が嫌なら茂吉や他の仲間にも任せる。俺がしでかした責任もあるから、責任を取らせてくれないかな。どうか、俺に君の名前を取り戻させてほしい」


 怖がらせないように目線を合わせて優しい声で頼む。冷たいように思えて瞳の奥には温かさがあり、ちゃんと対面して話してくれている。助けようとしてくれている姿勢に、彼女はうれしそうに笑う。


「直文さんは優しいですね」


 彼は言葉を失うと、名無しの彼女は頭を下げた。


「直文さん。私もやれることをします。よろしくお願いします」

「……ああ、うん」


 直文は呆然としたように頷く。茂吉が手を叩いて、顔を向かせた。


「さーて、みんな。俺に注目! これを見て」


 ポケットから先程の彼女の名前を書いた真っ白な紙を出す。一つだけ塗りつぶされたような文字があり、『   ■』となっていた。澄が書かれているものを見て、気付く。


「……塗りつぶされた名前が一部。茂吉くん。この状態は?」

「名前を取り戻した証兼保護シート兼身代わり。一年前の事件の相手を参考にちょっと真似てみた。主導権を掴まれる前に、先に掴んでしまえってね。組織の方で持っておけば彼女の安全は確保される。だから、名前を集めたらすぐに直文以外の仲間に持ってきて」


 直文以外と言われ、除外された本人は無表情のまま不服そうに言う。


「……なんか傷付いた。茂吉」

「今のお前には預けられない。見たところ、さっきので記憶は戻ってなさそうだしな」


 言われ、直文は顔を横にそらす。正解であり、指摘されたことに不安があるのだ。一部の記憶が戻っているならば、 ■に向かって何かしらの反応を示してもいい。反応すらないことが、彼の記憶が戻っていない証拠となる。直文は息をつき、仕方なさそうに話す。


「でも、茂吉の言うとおりだ。相手はさっきから俺達を見ているからな」

「えっ──!」


 彼女が驚いたあと、背筋が凍ったような寒々しい感覚が襲う。奈央も気付いて、焦ったように周囲を見る。既に澄と茂吉、直文は身構えていた。 ■が首を回していると、道路の奥に人が立っている。

 フードを被った長い髪の女性。その女性は狩衣のようなものを上着として羽織っている。妬ましそうに、忌々しそうに ■を見ていた。


「ズルイ。ㇹㇱぃな、ソノタチバㇹㇱぃな」


 彼女の目にはフードの女からは禍禍しい黒いどのようなものが見えた。

 息を呑む ■の前に直文が守るように立つ。彼の手には菱形ひしがたの刃が一枚ある。中国のひょうという武器であり、鏢をその女に躊躇なく投げた。

 女はすぐに避けるが避けたのが隙になった。真剣に茂吉は声を上げる。


「田中ちゃん、直文。はなびちゃんと一緒に逃げろ!

あれは、普通じゃない!」


 茂吉が言うと共に、直文は ■を抱きかかえて走り出す。奈央も後を追うように必死で駆け出していく。奈央と直文は通常ではない速さで走り、 ■は驚く。近くの高部みずべ公園を通り過ぎ、巴川を橋をわたって超える。

 走り続けて変電所の近くの道路で止まった。

 奈央は息を切らし体を曲げて膝を手に添え、 ■は下ろされた。彼女は奈央をどう呼ぶが一瞬だけあぐねていると。


「奈央。名前で、いいよ。敬語もいらないよ」


 息を切らしながら顔を上げて言われ、 ■は驚いて恐る恐る名を呼ぶ。


「ええっと……じゃあ、奈央ちゃん」

「うん! はなびちゃん」


 嬉しそうに笑う奈央に彼女もつられて微笑む。


「ここまでくれば大丈夫のはずだ」


 直文は周囲を見つめ、奈央が聞く。


「久田さん。あれは人間なのですか?」

「ん? ……ああ、あれのことか。うん、あれは間違いなく人だ。でも、普通の人間じゃない。陰陽師の類だろう。犬神の使役に近い形で、妖怪か怪異を操っているようだ」


 あまり妖怪に詳しくない ■は小首を傾げると、直文が教えてくれる。


「犬神は家系にとり憑く妖怪であり呪いだ。俺たちが見たのはそれに近い。問題なのはそれがどんなものなのか」

「怪異の正体がどんなものなのかということですか?」


 話を聞いて ■が質問すると直文は首肯する。奈央が挙手をして、声を上げる。


「はい! なら、私、心当たりある! 多分、掲示板にある怪異の『ほしがりさん』だと思う」

「……『ほしがりさん』?」


 不思議そうに言う彼女に奈央は説明をした。

 創作の怪談や成り立ちについて簡単に教えると、その『ほしがりさん』の内容を簡易的に伝える。欲しいものを必ずものに入れる為のおまじない。代償として自分がその『ほしがりさん』にとり憑かれるというものだ。欲が増大してしまうため、大切な家族や恋人を食べてしまうという。怖い内容に ■が怯えていると、奈央は疑問を呈する。


「相手側が敵の陰陽師だとしたら、『ほしがりさん』を使うのも納得だけど、久田さんほどが手こずるものとは思えないけど……」

「確かに、それは創作の怪談でまだ新しいのなら俺は余裕ではねのけるだろう」


 直文は答え、 ■を見る。


「でも、それは相手が欲しがるものだと話が変わる。多くの要因が重なってこの状態になったとはいえ彼女個人を守るなら問題はない。だが、それよりも大きいもの『彼女の立場』を欲しがったならば話が違う。相手は、存在交換あるいは存在消滅を企んだ。簡単に言えば、はなびちゃんが今までいた立ち位置を奪おうとし、彼女を消そうとしたんだ」


 冷静に話され、奈央と ■は顔色を悪くしている。聞いていて耳の良い話ではない。欲しがったものが立ち位置そのものであるならば、奪うものが多すぎる。体質やその人が背負う縁。家族や友人に大切な人。守るにも手間が多く、直文が守りきれずに記憶を失ったのも納得がいく。

 立場が欲しいと言っていたのを思い出し、 ■は切なげな顔をする。


「……どうして、私の立場がほしいのかな。その立場を得ても得するのは、思えない」


 彼女の指摘に直文は頷く。


「確かに。目的があるなら狙うだろうが損得を考えると、彼女自身を欲したほうが相手側の得が大きい。ならば、何が狙いなんだろうか」


 考えるように言う直文だが、狙う理由を ■は何となく察しがついている。あの『ほしがりさん』にとり憑かれた女性は嫉妬じみたものを感じ、陰陽師としての目的で狙っていないように思えた。何処で恨みを買ったかは、彼女は覚えていない。

 直文はそれがわかってないのか気になった。奈央が近くに来て、 ■に声を掛ける。


「ねぇ、はなびちゃん。本当に久田さん。わかってないっぽいね……。あの女の人見てれば、何となく分かるのに」


 彼女もわかったらしく、 ■は苦笑した。


「……それは、仕方ないんじゃないかな? 昔に戻ってるらしいからね」


 自分にも言えていることであり、言いながら彼女は記憶を失う前の自分がどのように直文と交流していたのか気になった。

 考えてても思い出すわけではない。あとからやってくる茂吉たちを待った。

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