1 初めましてなのか 再会なのか
それぞれの少女達は学校を休む旨を伝え、茂吉と呼ばれた男性は家の電話を借りて声を変えて少女たちと同じ学校に連絡をしていた。
受話器を置いて、彼は息をつく。
「……とりあえず、学校を休む旨は伝えた。はなびちゃんの両親が長期の海外出張なのが救いかな」
部屋のテーブルにはソファーには無表情の男性。対面して彼女が座っており、隣には紫陽花の少女と向日葵の少女が座っていた。はなびちゃんという言葉を聞き、彼女は茂吉に問う。
「……はなびちゃんとは、私の名前ですか……?」
不思議そうに言う彼女に、茂吉は首を横に振る。
「いや、はなびっていうのは、愛称。ニックネームだね。君の本当の名前じゃない。君の本当の名前は『 』っていうんだ」
「?」
彼女は瞬きする。名前の部分が音もなく聞こえなかったからだ。茂吉は厄介そうに笑う。
「聞こえなかったかもしれないね。でも、間違いなくはなびちゃんの本当の名前だ」
「……『 』が私の名前……?」
訝しげに言う。確かに己の口から出しても、その名は音として伝わらない。認識もできないが、名前であることはわかっている。彼女は空白の名前を聞いた後、考えるように黙る。空白の名の方がしっくりとくるため、本当に名前があったのかと疑わしく感じた。
聞かされたことに困ったように笑う。
「私には、本当に名前があったのですか? 名前がない方が自分にはしっくりきますが……」
その発言に眉目秀麗な男性が片眉を上げ、他は驚愕していた。名無しとなっている彼女は不思議そうに小首を傾げる。周囲からみて自分はおかしいのだと言うのは、何となくわかっていた。だが、自分が名無しであることに違和感を抱いていないのだ。
「名前はある」
眉目秀麗な彼の真剣な声を聞き、全員は顔を向ける。表情は変化していないが、目線はずっと名無しの彼女に向けられていた。
「君がここで生まれて生きていることは、君が名前がある存在であることを証明している。君が名無しなんてありえない」
「……そうなの、ですか?」
戸惑いながら聞くと彼は頷いた。
「そうだ。そして、俺は直文という名があるんだ。名字は久田と名乗っている。久田直文。それが俺の名前だ」
声に抑揚がなく表情も変わらないまま、名を告げる。
「……久田、直文さん」
名前を唇を動かして言うと彼女は違和感がなく、何度も呼び続けた名のような気がした。彼女が呼ぶ名に反応し、彼は不思議そうに言う。
「やっぱり、この子は俺の嫁じゃないのか。茂吉」
「嫁?」
きょとんとする彼女ととんでも発言をする直文。少女たちは言葉を失うと、ぱんっと強い音がする。ヘアバンドをした男性が、直文の頭を強く叩いたのだ。
「この馬鹿ぶみ。段階踏み越えての嫁発言やめろ!」
「っ……てて、もっくん。でも、この子から俺の力を感じるよ?
記憶を失う前の俺がこの子をお嫁さんにしようとしてたんじゃないのか」
「そういうのじゃないってここに来る前に説明しただろ!」
「けど、この感じはどう考えても嫁認定だろ。何かの理由があって、俺がこの子をつがいたっ」
茂吉という男性から軽いチョップを受け、直文は頭を押さえる。直文という男性は意外と天然の気があるのかと彼女は考えた。茂吉は呆れたあと、彼女に自己紹介をする。
「ああ、ごめんよ! 俺は寺尾茂吉。この直文とは幼い頃から一緒なんだ。唐突にこいつが変なこと言ってごめんよ」
笑顔で直文を指差し、彼女は苦笑した。
「いえ……それよりも、色々と話していただけませんか?
私がなんでここにいるか、私が何者なのかを知りたいのです」
記憶のない彼女の頼みに茂吉は頷き、紫陽花の少女に目配せをする。彼女は目線を察し、首を縦に振って話しかけた。
「それじゃあ、まず私達のことを話そうか。
私は高島澄。
君の先輩で私の隣りにいるのは田中奈央。君の友人だ。
結論から言うと、君は名前と記憶を失っている──」
紫陽花の少女である高島澄から、彼女は己の素性を多くを聞いた。
この家の主の娘で、家族の一員であること。高校に通う学生という身分であり、名前を奪われるまでは普通に暮らしていたと。
名前を奪われるのはこれで二度目であり、記憶まで奪われることはなかった。だが、今は奪われ名無しの彼女となっている。本来名前を取られると現世どの境が曖昧となり、名無しの期間が長くなるたびに曖昧な状態が作用し、強い霊力を持つ霊媒体質となる。名無しの彼女の場合、妖怪や神などを受け入れるほどの器となっており、それを保護するために半妖の組織『桜花』が名がない彼女を保護していると。
澄と茂吉、直文は半妖であり、奈央はある事情から組織に同じように保護されている人間であることを話した。
粗方話を聞いていた名無しの彼女は考えるように話す。
「……つまり、私はかなりまずい状態にあって放置するのは危険。そのために失われた名前を取り戻す必要がある……ということですか?」
「そうとも。流石だ。飲み込みが早いのは変わらないね」
褒められ彼女は照れている。だが、半信半疑であり本当に人外なのかの、茂吉と直文を見る。
直文は無表情のまま黙っているが、茂吉が紙を用意してペンで何かを書いていた。しかし、インクが出ていないのか紙上はまっさらなままだ。戻すは紙を証明で照らしてみるが、紙が光を通すだけで浮き上がるわけではない。こすっても浮き上がらず、茂吉は厄介そうに紙を見た。
「……なんってこった。かなりまずいぞ。前に比べて彼女の存在が危うい」
「──茂吉くん。それはどういうこと?」
必死で聞く澄に、茂吉は真っさらな紙を見せた。
「はなびちゃんの本名を紙の上で書いてみたんだけど、前のように塗りつぶされたり、ぼやっとしたような認識じゃない。この紙面上にあるのもを名前と認識はできるけど、本当に目に見えない。はなびちゃんが存在しているかわからない。感覚的には、体を悪くするウイルスが肉眼で確認できない状態だ。何かの横槍が入ると、すぐに彼女の主導権が奪われる」
「……えっ!? それってかなりまずいのでは……!?」
奈央が我に返って発言すると、茂吉は頷いた。危険な状態であるという意識がない は瞬きをする。本当に何もわからない名無しの彼女の様子に、茂吉は頭をかくと相方の直文に声を掛ける。
「直文。なにか心当たりのようなものはあるか。忘れて覚えてないかもしれないけど」
「いや、この家から少し離れたところで、微力だが俺の力を感じている。隠されてるように感じる」
「……それは、本当か?」
驚いたように言う茂吉に、直文は頷き事務的に淡々と話した。
「他者に触れられないようにしてあるな。俺か君以外に触れられないようだ」
「……その説明から聞くに……直文ははなびちゃんをなんとか守ろうとしたってことか」
話を聞くと、奈央が意味変わらないというようなリアクションをした。
「……うーん、どういうことですか?」
難しいと表情からでもわかるほどの奈央の反応に、澄が説明した。
「なおくんははなびを守ろうとしてこの状態になったということだ。でも、はなびの名前と記憶を失い、直文くんの記憶も失っている。これは、守りきれなかったということではなく、名前を奪おうとした相手が強すぎたか。複数の要因が重なってはなびの名前が要因に奪いやすくなっていた……とも考えられるけど」
澄の目線が来ると、茂吉が変わりに話す。
「両方だろうね。元々、彼女はなびちゃんには他の妖怪を寄せ付けないほど直文の力が溜まっていたんだ。でも、ある作戦で溜めていた力を放出し、すっからかんに。そこから少しずつ直文の力を入れていったんだけど……守り切れるほど溜っていたわけじゃなかった」
「久田さんの力を一気に入れられなかったのですか?」
奈央の質問に、茂吉は複雑そうな顔をする。
「勾玉を通しでだと、そう簡単にはできないんだ。早いのは肌の接触だけど、流石に今の二人にはできなさそうだ」
意味がわからないといったように は直文を見ると顔が合う。直文と顔見合わせる形となり、彼女はにっこりと線香花火のように笑ってみせた。その微笑みを直文はじっと見つめ続け、次第に は困ったように微笑みを浮かべ続ける。
二人の様子を見つめ、奈央は不思議そうに話す。
「……はなびちゃんは失う前より明るくて、久田さんは無表情で淡々とした感じ。私の知ってる久田さんとはなびちゃんじゃない……」
向日葵少女の言葉に、茂吉は苦笑した。
「そうだろうね。でも、俺としては心境は複雑だけど久しぶりかな」
「久しぶり、とは?」
奈央が聞くと、茂吉は と直文に目を向けて懐かしそうだがどこか苦しそうに微笑む。
「今のはなびちゃんは俺の知る前のはなびちゃんに近くて、今見ている直文は昔の直文なんだ。だから、これは再会でもあり初めましてのようなものなんだ」
彼の言っていることは知っている人しかわからない。奈央は茂吉の言っている意味を理解し、切なそうな表情をした。
二人の話を書いていた名無しの少女 は余計にわからなかった。
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