2 青年期〜大人
十年後。彼らは十代後半となっていた。
啄木の身長はかなり伸び、安吾の身長もそれなりに伸びていた。筋肉がついて体格も良くなっただが、大人というにはまだ風格はない。安吾の読み取る能力も制御できている頃であり、普通に対面して話せる。
啄木は縁側にて、巻物を目にしている。近くには太刀と盆の上に乗った鉄急須と湯呑みがあった。
巻物を興味深そうに読んでいる啄木の湯呑みに、ある手が伸びた。
そこに何かが入れられ、手が離れる。啄木が湯呑みを手にして、口をつけて飲みそうになると。
「──っぶっ!? っゲホ、ゲホ……っなんだこれ、しょっぱ!!」
中身を吹き出して、顔を横に向いて咳き込む。近くのなにもないところから安吾が現れ、楽しげに笑う。
「だぁいせぇいこー☆ 上手ぐいった!」
「っこの、バンゴー! 飲み物に塩入れたの、お前の仕業か!」
「んだんだ。塩占い、たくぼっくんの吹ぎ具合がらすて……中吉」
「占いが好きでも、でたらめな占いするな!」
「んだ、その通り!」
「っお前なぁ!」
怒る啄木に安吾は頷く。啄木は普通に喋れることができ、安吾の方言は抜けきれていない。バンゴーやあだ名を言い始めたのは十代の前半頃。後半に差し掛かる前に、上司から「ふつーにたくさん名前で呼んでも問題ないよ?」と言われ、ぶっ殺そうかと二人は思った。
啄木は巻物を置いて、太刀を手にする。
「いい加減にしろ! 論語! これでお前の悪戯何回目だ!?」
「ひーふーみー……総数たくぼっくんに対すて百一回」
指折りで数えて明るい笑顔で答えられ、啄木はブチ切れたらしく鞘から太刀を抜く。
「やぜか!」
「あっはっはっ!」
笑いながら啄木の斬撃を安吾は余裕で避けていく。成長した啄木なら太刀を抜くことはないが、この頃は若かったのだ。安吾の悪戯もかなり頻度が多かった時期とも言えよう、啄木に対して。
攻撃したり避けたりを何回か繰り返し。二人は息を切らすまでやったらしく、四肢をついて荒々しく息をしていた。
啄木は息を何度かつきながら話す。
「っはぁ……はぁ……お前……本当に懲りろよ。悪戯……」
「はぁ……はぁ……ははっ、仕方ねだびょん。わっきゃもう少すすかこごさすかいらぃね。構って欲すくなる」
息を切らしながら言う相方の言葉に反応し、啄木ははっとして顔を上げた。
「……ここにいられなくなる? もしかして、そろそろ負の中に行く時期なのか……?」
「……人に偏りすぎだはんで、ね。何年後さ会えるのが」
残念そうに話す相方に、啄木は不思議そうに話す。
「……なぁ、安吾。最近、引きこもってる期間が長くなってきてないか?」
聞かれて瞬間、安吾は黙った。
安吾は定期的に人や負の根源の行き来をしている。幼い頃は数日や一週間で負の根源に溶け込むだけで済んだ。しかし、成長するにつれて安吾の引きこもる日数が増えてきているのだ。安吾は苦笑して腰をついた。
「人間増えでぎだはんでらすぃ。争いも増えだ。連動すて、わぁの力もでっけぐなってぎでら」
「……人間が増えて争いも増えて、連動してお前の力が強くなった。……つまり、維持のためにも引きこもらないと駄目なのか」
「んだ。だはんで、わもその力馴染まへるだめに眠ねどさ」
「……馴染ませるために眠るって何年だ」
聞かれた安吾は息をついて、空を見る。
「……次は八年。ほんにわっきゃ啄木達どは違うのだね。啄木達が羨ますい」
空に浮かぶ白い雲を見つめ、手を伸ばして掴む。
「雲も、水も、夕暮れも、暁も、羨ますい。曖昧でもちゃんと存在すてらんだはんで、ずるぇ。ちゃんと名前もあってずるぇ……」
安吾は十代の前半の多感な時期に自分の異質さに気付き、上司から真実を教えられたのだ。母親は自分の放つ瘴気に弱ってやられて逝ったこと。自分は仲間たちとは違う異質な存在であり、存在し得ない血を引くと。
真っ先に啄木に打ち明けた。彼らは互いに全部を打ち明けられるほどの関係性になってきている。
本来、厄除けの神獣の血を引く啄木と安吾は相性悪いはずだが、啄木は深い心の傷を負っており、負の思いを常に抱いている。故に啄木の側にいれるが、同時に心配していた。その逆も然り、啄木も安吾の心配をしていた。
相方の様子に、啄木は不安になって口を開く。
「安吾。でも、お前は」
安吾はため息を吐いて、手を下ろす。
「ばって、そえでいぃ」
でも、それでいい。そう言う安吾に啄木は口を閉じ、話を聞いた。
「わぁによすがはね。だはんで、わっきゃわの力、みんなのさ役立づごどがよすがだ」
よすがとは拠り所という意味だ。安吾は自分によすがはなく、役立つことがよすがとなっている。組織の半妖の中には自分を道具と見るものもおり、存在意義としているものもいた。安吾はその一人であり、啄木にも同じ節があるために何も言えなかった。安吾は啄木に顔を向け、ニッコリと笑う。
「啄木には時々話すかげでいぐじゃ。耳元でね」
「不意打ちじゃないか……お前」
互いに笑い合って、再会を約束した。だが、このあと庭を目茶苦茶にしたことに気づき、恐るべき先生の雷が落とされた。
安吾は瘴気の渦の中に眠りって、八年後。再会した良いものの、安吾の力が必要なときが多くなり、また瘴気の中に戻っていった。時折出てきては話していたが、ここ最近は啄木との会話だけとなる。
その時代に国内に戦争や世界大戦があったからだ。故に、安吾が姿を表に出すことは三百年間なかった。
交流があるのは啄木だけということもあり、明治時代になって安吾がよく話しかけてきた。
明治を過ぎて大正二年頃の春。
江戸の後期ぐらいに啄木は医師としての勉強を始め、今では立派な医師になっている。組織の大半は着物から西洋の服になっている。今は休みであり、洋室となった自室にて西洋の本を読んでいた。啄木の耳元からは声が聞こえてきた。
《時代とは早いものですね。口調も統一され、利便性も上がっていき……本当に人間とは目まぐるしい。占いの種類も増えてきましたね。たくぼっくんに悪戯できる方法も増えてきますね》
「最後、余計だぞ。マンゴー」
《僕は安吾ですよ》
安吾の声だ。方言がない知ってる人ぞ知る喋り。話したあと安吾はふぅと息をつき、啄木に話す。
《どうですか、違和感はありません? 貴方と練習をしてきましたが……》
「問題はないけど、やっぱですます口調じゃないと普通に話せないのか?」
相方の質問に苦笑した声が響く。
《ええ、みたいです。口調外れぃば訛出でくる……ね?》
啄木は仕方なさそうに頭を掻いた。
「……俺以外と話してこなかった弊害ってやつか?
直文と茂吉、先輩達に話してくるのもありかと思うぞ」
《……残念ながら、今本部の中がピリピリしているのですよ。たかむらさんも余裕がない感じでした。だから、これから忙しくなりそうです》
「……おい、それ。かなり大事だぞ。百年以上何もなかったのに、何があった」
本をパタリと閉じて聞く啄木に安吾は困ったように話す。
《それが、僕たちには手が出しにくい案件らしいです。……なんせ、法泉先輩が深く関わっているのですから》
「……おい、嘘だろ。それはまずいやつだぞ」
驚愕する啄木に安吾はため息を吐いたように声を出す。
《ええ、ですから、あまり手を出せない》
啄木は本を机において腕を組む。
「……なら、仕方ないな。俺達の出る幕じゃない。いつもの通り、俺達にすべきことをするだけだ」
仕方なさそうに言う彼にしばしだまり、安吾は声を出す。
《──すべきことあるのが尊敬しますが、貴方には気に食わない部分もあります》
「気に食わないって」
《あの時の彼女を力を使って助ければよかったではありませんか。なんで自ら傷を負うのですか。今でもそこが気に食わない》
聞こうとする前に言われ、啄木は黙った。
啄木は過去に恋した女性がいた。しかし、その女性は病の力で治すことを拒み、死に行くことを選ぶ。それはかつて愛した人にすぐに死んで会いたいと願ったからだ。彼はそれを受け入れた。啄木が医師になったのは、救えなかった母親の為、彼が会いたい人の為の傷を治し生かすためだ。
そんな相方が、安吾は自ら辛い道を選ぶ相方が気に食わない。気に食わない理由は、啄木と出会った日に直接食らった思いと記憶が原因だ。あの思いと記憶は今でも鮮明に思い出せるほどであり、啄木にはせめていい思いをしてほしいと思っている。
その逆も然りである。啄木は目を伏せ、苦笑した。
「……俺はもうあの人の願いを叶えたからいいんだよ。相手の意志でもないことをするのは裏切りだ。そうだろう、安吾」
言われ安吾は何も言わないのは、正しき道理の一つだからだ。啄木は立ち上がり、背伸びをする。ふぅと息をついたあと、安吾に話を続ける。
「俺は人でなしだから、普通の幸せはいいと思ってる。刑期と任期を終え、罪を償い終えた暁には俺は消滅すると決めている。お前もそうだろう、安吾」
啄木の指摘に安吾は黙った。沈黙は肯定と受け取れる。
組織の半妖は恒久的だ。終わりがあるとすれば上司に半妖をやめるように頼み込み、自ら死んで地獄に行くか。恒久的な任期と刑期を終えるか、罪を償い終えるか。任期と刑期を終えた場合、人として転生するか消滅を選べる。大抵は消滅を選ぶケースが多い。そのケースに二人が入っている。
天井を見て、彼は笑う。
「俺もお前が普通に生きられるようになれば良いなって思ってるの知ってるだろ。それじゃあ、俺は気分転換に庭の中を散歩をしてくる。またな」
部屋のドアへと向かい、啄木は出ていく。相方がいなくなった部屋に、安吾はポツリと言葉を残す。
《……消滅を決めているといえど、納得いかないのはお互い様ですか》
言葉を残したあと、部屋に安吾の声は響かなくなった。
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