10 その手を繋ぐ
名前を呼ぶ。反響した声だけで、安吾には届いてないようだ。
「っ、安吾さん。安吾さん……!」
何度も呼びかけても声が聞こえない。落下速度は一凛の方が早いはずが、距離が縮まらない。
両手を動かし、下に行こうとしても進まない。禍津は歪んでいる。現実とは異なる物理法則なのかもしれない。リュックの紐を引っ張ると、だいぶ軽くなっていることに気付く。
底へ向かうのは、消耗が激しいのだろう。そもそも落ちているのに、恐怖がわかないのが不思議だ。安吾が見えているからだろうか。まさかと一凛は苦笑して彼に目を向ける。
一凛から見ると自己満足自分勝手に挨拶やお礼も言わせずに別れた。傷になりたいやら思い出になりたい。彼の言葉を思い出し、ふざけるなと言う気持ちしかわかず、真剣な顔をして口を勢いよく開いた。
「っこの、バンゴぉぉぉ──!!」
呼びかけても答えない彼に、悪口を言う。バンゴーとは啄木があだ名でいっていた。バの文字が馬鹿の馬の字であると、今わかり一凛は拳を握り、口を動かしていくいく。
「タンゴ、喃語、ランゴー、団子、番号、暗号、サンゴ、飯盒、蛮語、背後、蘭語、最後、マンボー、マンゴー!!」
口の中が痛い。肌も、手と足も全身も痛い。痛くとも、安吾の悪態を吐いていく。
「っほんとーにばーか! 安吾さんのばぁぁかぁぁ──!
っ本当に、そこにいるなら、目を覚ましてよ!! 安吾さん!」
泣きそうになる呼び声に反応するがごとく、安吾がびくっと動いた。
いらないと言えば、いらないのであろう。存在するなと言われれば、存在してはならないのだろう。そうして出来てしまった。そうして生まれてしまった。
居てもいいと思えるのか、彼女が居てもいいと言ってくれたから思えたから居れるのだ。
何度か問いかけ、何度も答える。
呪いの元の中にいることが、己の異質さを象徴していた。特別などではない。神と人に作られた物。自分は人であり人でなく、神とも言えるかもわからない出自。だが、自分でもいてもいいと言ってくれる人物がいた。
安吾は嫌であった。犬の姿をしながらも、手を引いて多くを引いてくれる彼女。そんな彼女が死ぬのも、居なくなるもの嫌である。
最初にくれた五百円玉。五百円といえど、それなりに必要だ。たった一枚の硬貨といえど、与えてくれたあの少女の善意と優しさが彼は嬉しかった。
その後も、親切に色々と教えて、自分の占いに興味を持ってくれる。笑って、怒って、泣いた。自分の名前を呼ぶ唯一の友人。本当はもっと側にいたかったが、彼女を死なせたくなくヒーローの真似事をしてしまった。
ちゃんと彼女と大切な愛犬を守れて、最後には素顔を見れた。
少しでも彼女には生きてほしい。あの朝顔のような愛のある彼女には良い人生を送ってほしかった。
彼はこう考えられていることに、自意識が僅かに目覚めているとやっと気付く。目をゆっくりと開ける。真っ暗な闇の中、時折色んな光が遠くから見えることもあるが滅多にない。
何故目覚めたのかわからない。彼は不思議に思いつつ、眠ろうと目を閉じた。
声がする。聞き覚えのある、懐かしい声だ。
彼女は元気だろうか、元気ならいいと思っていても声が聞こえる。
彼は気のせいだと思いながら何度も声が響く。
《……サンゴ、飯盒、蛮語、背後、蘭語、最後、マンボー、マンゴー!》
違う。そんな名前じゃない。声の煩わしさに苛立ちを感じたが。
「っほんとーにばーか! 安吾さんのバーーカー!
っ本当に、そこにいるなら、目を覚ましてよ!! 安吾さん!」
本当に聞き覚えのある声に、彼は全身をビクッとさせ今度こそ目を開けた。居るはずもない。だが、居てはならない存在に彼は体の向きを変え、驚愕する。
「……あさがおさん!?」
その名を呼ぶ。
彼が気付いたことで一凛は表情を輝かせ、安吾に向かって手を伸ばして腕を振る。
「安吾さん! 安吾さん!」
安吾は困惑しながら、彼女に声を上げた。
「なんっで……──なんで貴女がここにいるのですか!?」
「なんでって、迎えに来た!」
「迎え……!?」
予想外だったらしく開眼して目を丸くするほどに驚いている。彼女を認識したことで、安吾と一凛の距離は縮まっていく。彼女は自分の中にある安吾の力と本人が引き合っているのだと、感覚でわかった。
縮まっていく最中、安吾は一凛の姿をしばし見たあと、察したのか憤怒の表情で彼女の背後を見る。
「っあのばかぼく……さては彼女を唆しましたね!?」
すぐに啄木が手を回したと気付く当たり、長年の付き合いだろう。だが、唆したという点は間違っており、彼女は首を横に振った。
「違う! 私の意志!」
「……はぁ!?」
仰天して声を上げた安吾に一凛は眉間にシワを作りながら声を上げた。
「っ本当に、本当の、安吾さんの馬鹿。自分かっこいいヒーローのつもりなら本当に大馬鹿!
私は男心わからないけど、安吾さんも女心を理解してないよね。っていうか、別れ方が無礼! 失礼、不躾、 無作法!」
「む、むさほうって……」
悪態に驚きつつも、安吾は反論をする。
「っ自分の意志って……貴方の方こそ馬鹿なのですが!?
今でも、ぼろぼろじゃないですか。貴女の背負ってるものは命綱のようなものですよね……!? 残基がほぼないじゃないですか……!」
彼女は背中のリュックが軽いことに気づいていた。だが、それでも彼女は帰るという思いを沸かさなかった。もうすぐ近づける彼に手を伸ばせる距離にあるのだ。痛みと気持ち悪さを堪えながら表情を歪めると、安吾はまずいと察したのか手を振り払うように動かす。
「ここざ長居をするな!! 帰る方法があるなら、帰りなさい!」
「嫌だ!」
「帰りなさい!」
「嫌!」
「帰れ!!」
「い! や! だっ!!」
犬のように吠え、拒否をする。引こうともしない少女に彼は複雑そうな顔をする。もうすぐ手を伸ばして安吾に触れる距離になった。一凛は手を伸ばして、捕まえようとするが安吾はあえて身を引いた。
また距離が空き、彼女は目を丸くすると安吾は苦しげな表情となる。
「……こんな自分を表に出しても利益なんてないでしょう……っ!
僕を連れ戻しても貴女の中にある力が僕の中に戻るだけで、貴女は無事では済まない。存在の維持も中途半端だし、存在自体も周囲に良くない。その証拠として、僕の一部が貴女を傷つけている!
僕を連れ戻す意味なんかないんですよ!」
高らかに叫び手を翳して、手のひらを一凛に向ける。
「帰りなさい。なんとか、僕が帰る道をつくって」
「まだ、安吾さんに私の自己紹介してない!!」
してないことを大声でいうと安吾は面を食らう。
「私が恩を返せてない。手紙の返信も来てない。貴方のことをまだ知らない!
だって、友人なのに、ちゃんとした初めましてもしてないもん!
──貴方が自分勝手で私を助けて別れたと言うなら、私も自分の勝手で安吾さんを連れ戻して恩を返す!」
近づきながら彼女は思いをぶつけた。理屈も何も無い目茶苦茶な思いに、安吾はありえないと表情で語っていた。
「そんなっ、目茶苦茶な……」
「そんなのわかってる。だって、私のエゴだもの。悲しい、許せない、ふざけるな──会いたい。そんな思いでここに来たんだ!」
怯む安吾の手首を掴む。掴める位置に来ているとこに、彼ははっとする。一凛は掴んだ手首を力強く握る。空いている手で指を絡めて恋人つなぎのように掴んだ。安吾を見据え、彼女は力強く言葉をぶつけた。
「安吾さんが私を守るなら、私はその手を放さない。絶対に放さない!
もう失いたくない。失いたくないもの!
私が死ぬまで絶対に放してやらないから──!」
真正面から言われ、安吾は目を開いたまま言葉を失っていた。彼が呆然としている間に、一凛は手首の手を放してポケットから勾玉のネックレスを出す。
「っ、そのネックレスはっ……!」
安吾が驚く間もなく、勾玉のネックレスを紐の部分をふる。うまく紐が輪となって広がり、安吾の頭と顔を通って首についた。
普通ではありえない動きだ。勾玉のネックレスに何か術のようなものが仕込まれていたとしか考えられない。しっかりと首につくと、ビリっと破ける音がする。安吾の背後に裂け目のようなものが現れ、光が漏れ出す。
裂け目が二人を吸い込むように開く。
「っきゃ!?」
「っあさがおさん!」
安吾は彼女が裂け目に吸い込まれぬように引っ張り、両手で抱き締める。裂け目は目を強くつぶった二人を吸い込む。
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