9 禍津
一凛は我に返る。彼女は立っていた。だが、立って入るがコウモリのように逆さまになっているからだ。暗くても周囲の状況がわかるのは、恐らく安吾の一部を一凛が持っているからだろう。
自分が光っている状態で周囲は真っ暗だ。
「……っ!」
腐敗臭、刺激臭にも近いものが鼻をかすめ彼女は鼻を押さえた。犬神の気配が近いときに、一凛が感じていたものと近い。息をしづらく、呼吸をするにもゆっくりしなくてはならない。
ここで立ち止まるわけにはいかず、彼女は服の袖を鼻で抑えつつまっすぐと歩いてみた。すると螺旋階段のように逆さまになっている体は、地上を普通に歩く姿となる。彼女は驚くが、啄木から禍津について聞いていた話故にあまり驚かなかった。
禍津は生き物や人など、呪いのもととなる場所。空間などねじ曲がっており、自分の感覚も役に立たないと。どこに落とし穴があるかわからない雪原のようなもの。もしくは、明かりをつけない真っ暗な洞窟。わかるのは、野生の感覚を持つものがその地域の場所や特性を知る人物しかない。
啄木は何回か来たことはあるが慣れないという。一凛はこんな場所を慣れてたまるかと考えた。
彼女は胸のうちにある安吾の力。もう感覚と言ってもいいだろう。その感覚を頼りに、一凛は歩みだしていく。
歩きながら、闇の中から声が聞こえてくる。
《いたい、いたい、いたい……いたいよぉ……お腹すいたよ……》
《こわいよ……お母さん……こわいよ》
《なんでお父さんはこんなことをするのだろう》
《羨ましい。ずるい、ずるい》
《ねぇ、どうしてそんな事するの!? なにか、私悪いことした!?》
《俺を認めろ!》
《あいつを認めるな!》
《死んでしまえ、居なくなってしまえ》
《うるさっ。なんで働けっていうんだか。本当に父親ウザイ》
《あいつ本当にダマサれやすいから》
《いなくなると困るなあ。使いやすいのがいないと困る》
《ばっかじゃねぇーのw まじ受けるw》
《あの人はああですし、ああいう性格だから》
《何がなのかわからないけど》
《こっちは微妙だなあ。パッとしないし》
《目をかけてやったのに裏切りやがった》
《目が覚めました。本当に良くないですね》
《ここで不正すれば、ランキングが上がる!》
《なーにが、界隈を盛り上げるためだ》
《またあいつがいってるwww》
《俺
《うわ陽キャくんな!! 気持ち悪いやつの方にいけ!!》
《◯◯警察でーす。そこちがうとおもいます》
《マウント取りたがるんですよ。あいつは》
《自分が正しいのに、そうだ。フォロワーを利用して攻撃させよう。そんなつもりはなかったといえばごまかせる》
《この作品は俺が原作者。書いたのはお前だけど原作者はお前じゃない》
《あいつずるい。そうだ、仲間はずれにしよ》
《えー、なんて死んでないのー? いなくなったほうが世間のためだよー?》
《なんで消えてないの? 消えろよ》
《あー、あいつからもっとお金取れるなぁ。もっとゆすろ(笑)》
《バレなければいいんだよ。バレなければ、報道機関や事務所圧力かけてればお金のことなんてバレないんだよ》
《神がすべて正しいのだ! 神が言えといったのだ!
神を信じないアイツラは敵だ!! 自分たちの神を信じない人間は敵だ!!》
《そうやって神という場からお前たちは逃げているだけだろ!
お前らがテロを起こさなければ……家族は……! 家族はっ!》
《元々自分たち領地に決まってるだろ。だから、侵攻するだよ》
《仲良かったのに、助け合いたかったのに、なんで人を殺すんだ!》
《ぼくたちはただいきたいだけ、なのになんでころすの?》
《わたしたちはただかぞくとあんしんしてくらしたいだけ。なんでめちゃくちゃにするの?》
《おれたちはただあいつらにめしをくわせてやりたいだけ。なんでじゃまをする?》
《わしらはただいきているすがたをみたいだけ。なんでしなせるのか?》
《なんできにくわないといえりゆうだけでじゃけんにするの?》
《なんで、こんな目にあうの。なんでこんな目に》
《許せない》
《許せない。許せない。ゆるせない。ユるせない。ユルせない。ユルセない。ユルセナい。ユルセナイ。ユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイゆルせナイゆルせナイゆルせナイゆルせナイゆルせナイゆルせナイゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない》
多くの気持ち悪い声が聞こえてくる。
悲しみ、苦しみ、憎しみ、怒り、恐れ、恨み、妬み、僻み。優越感、マウント、冷笑してバカにし、追い詰めいじめ。大人の気持ち悪い欲と許せないという怒りと殺意。同情しろ、許容しろ。俺を認めろ、あいつを認めるな。
ありとあらゆる悪意と敵意、殺意持った思いの声だ。腐敗臭も刺激臭に近い匂い。肌がヒリヒリとし、一瞬だけ痛みを感じる。
頬と腕と足にいつくかの小さな切り傷がある。胸を掴みながらも一凛は吐き気をもよおす。
「……っぅ!」
彼女は口を押さるも我慢できずに吐き出した。
禍津。啄木が呪いの元というのも言い得て妙だ。間違いなく呪いのもととなる。ここに安吾が居れることに一凛は凄さを感じ、改めて人外だとも思った。
普通なら禍津に呑まれて精神が壊れて廃人となって死ぬ。飲まれないのは安吾の力と身代わりの形代があるからだ。だが、影響を受けないわけではなく、長居をしていればいずれは呑まれて死ぬ。
背中にあるリュックが少し軽くなって気がする。禍津にはいれるが、タイムリミットはあるのだ。
立ち止まっているわけにはいかず、彼女は落ち着いた後に駆け出す。
「……はぁ……はぁ……いっ!」
真っ暗な闇と悪意の声の中を走りながら、彼女は痛みを我慢する。道という道はなく上下を走ったり登り坂を上り、下り坂を下る。もう少し走っていけば安吾が近くにいるような気がした。
幸いなのは山のように崖を登ったり、落ちたりすることがないことだろう。だが、禍津の底に行っていると聞いた。単純に底に行けばいいのだろうが、底に行くにも歩いてばかりで、行けている気がしない。
一凛は立ち止まり、肩を上下させながら考える。
底に行くならどうすればいいのか。彼女の歩いていく場所に道があるような気がきた。
歩いていく形で道ができているのならば、落ちてみる形で行くのはどうだろうか。
彼女は真っ暗な周囲を見回して、地面を見る。
真っ暗なだけのもの。底があるかもわからない。息を呑んで足を踏み出そうとすると声が聞こえた。
《助けに行く価値なんてあるの? 自分にメリットないのに無駄なことするよね》
「……っうるさい」
一凛は吐き捨てるように言う。
自分の声だ。悪意や敵意を持ってない人間なんていない。怒りを持たない人間なんていない。自嘲もまた自分に向けられる良くない思いの一つだ。
自分の負の想いは喋り続ける。
《もうミヤコとお母さんを殺した犬神を倒せただけいいじゃない。お母さんがお墓に入れて、お父さんと関係修復出来て、あとは普通に過ごせてるだけでいいはず。
なのに、これ以上する必要あるの?
助ける必要あるの?
佐久山さんも言ってたじゃない。安吾さんが引きこもってるのは、私には関係ない。組織関連のことだって。これは、私にとっては無駄なことなんだよ? どうしようもないエゴだよね。
遺書なんて無駄。後始末なんて無駄。自分のしていることすら意味ない──》
「意味は、作るものだ」
声を、自分の気持ちに言い聞かせる。
嫌、怖い、面倒くさい、死にたくない。ないまぜになっている気持ちに声を震わせながら彼女は言い聞かせた。
「意味なんて、作るものだ。後であろうが、先であろうが関係ないよ。
もう、自分が決めたことにケチを付けるな!」
一瞬だけ声がしなくなる。その瞬間を狙って、彼女は体を前に倒した。前に倒れるのは受け身を取れるようにするため、両手を伸ばして手につこうとする──が空振る。
「……!」
そのまま体が前に倒れ、足も地から離れた感覚があった。全身が宙に浮き、下へと落ちていく。
「ひゃあああ!?」
落ちていくせいか髪が激しく揺れ、一凛は涙を流しながら落ちて行く。彼女は触れる場所を探そうと両手をを動かしてみる。
《怖い落ちる怖い落ちる死ぬ死ぬ死ぬ!》
「当たり前でしょう! 私の声黙れ!」
恐怖の声にツッコミを入れてた。自分でやったこととはいえ、間抜けすぎて笑えない。声を黙らせようと声を出そうとした時、胸の内が暖かくなるのを感じる。彼女は目を丸くして、下をもう一度見下ろした。
──闇の奥にはぶれかけている透明な人の形。その人の形は目を瞑りながら闇の奥へとに向かってゆっくりと落ちている。よく知る、よく見ていた彼に一凛は手を伸ばした。
「……っ安吾さん!!」
闇の中、彼を呼ぶ声は反響する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます