8 境界線と裂け目を越える少女

 終業式から日にちが過ぎ、四月。始業式の日に向かえば、晴れて高校二年生となる久世一凛。始業式が始まる前で良かったと息を吐き、彼女は真夜中の三時に起きた。

 四月四日の夜が明ける前。雨戸はあけず、部屋の電気だけをつけて用意した着替えを準備する。父親が帰って来るのは先であり、掃除や後の準備はし終えた。

 洗面所の鏡に映る自分の表情は悪くなく、不調の兆しはない。歯を磨いて綺麗にし、顔を洗う。食事はしっかりと取り、片付けをした。

 彼女は自室に向かい、部屋の中を見る。

 いつもより綺麗にされたリビングは問題なく、テーブルに遺書の存在を確認すると彼女は電気を消した。生還できたら捨てればいい。もし、生きて帰ってこれなかったら、彼女の書いた遺書が役立つだろう。

 やっていることは紛うことなき親不孝。だが、父親も子供が怖くて単身赴任へ逃げたこともありお互い様だろうと娘は考える。

 一つの勾玉のネックレスを首にかけて、もう一つをポケットの中にいれ、鍵を手にする。

 啄木から貰った勾玉のネックレスはつければ、運命共同体のようなものになる。ただ彼を連れ戻すだけでは意味がない。一凛が安吾を現世に留める楔となる。だが、互いに相性がいい場合は外れないというデメリットがあるらしい。ネックレスの詳細を聞いてもなお、彼女は引き受けた。一凛の姿勢に啄木は感嘆していた。

 机の近くにある朝顔の髪ゴムに気付いて彼女はそれもつけていく。財布や携帯はいらない。バッグは用意せず、勾玉のネックレスと手紙と鍵だけを持っていく。

 死ぬかもしれない作戦に遺書と鍵以外は必要ない。

 時間を見ると、四時近くであった。そろそろ出る頃合いだろうと思い、ガス元や鍵などを確認してすべての明かりを消した。靴をしっかりと履いて、彼女は玄関を出ると玄関の鍵を占めた。仕舞っているかの確認をし終えたあと、一凛は忠霊塔の公園へと向かう。

 夜の街灯と夜空からの明かりを頼りに道を歩く。忠霊塔の千木のモニュメントが見え、公園の後ろから入る。忠霊塔の慰霊碑がある場所の入口前につく。

 彼女は足を止め、深呼吸をして歩み出した。

 階段を一段、一段。ゆっくりと上っていく中、千木を模したモニュメントの下では春服姿の啄木がそこに立っていた。

 大きめのリュックを背負って、空を見ている。彼女の来訪に気づいたらしく体を向け、表情を明るくして手を上げた。


「おはよう。こんなに早くに悪いな」

「……おはようございます。いえ、佐久山さん。気にしてません」


 中に入って、一凛は挨拶をした。彼女は空を見ると、一等星から三等星までの星が輝いている。日が出るのは先であるが、彼女の目的は日の出を拝むことではない。


「安吾を連れ出す。準備をする前に、簡単なおさらいと確認だ」


 彼に頷いて、話される内容を聞く。


「今から『4:44 16:44 4:44:44』と『さけめ』という怪談を利用し安吾のいる禍津の入り口を開け、久世さんがすぐに入る。久世さんは安吾の力があるから禍津にある程度受容できるし耐えられるが長居はできない。

一応長居できるよう身代わりの形代を多めに用意したが、これも長く持つものでない。安吾は底の方まで行っている。命綱は多めにあったとしてとも、危なくなったら帰還の札に意識して『帰る』と叫ぶように。

これからするのは、深海へ向けての水中ダイビングのようなものだ。ガイドはなく、自分の中にある安吾の力と直感でいくしかない。安吾にたどり着いたら、手にしている勾玉のネックレスをあいつにつける。

つけて成功の場合は、『さけめ』の怪談が作用して安吾とともに外に出られる。失敗は帰還の札を意識してこちらに戻ってきてくれ。

……そして、互いに勾玉のネックレスを付けたとき、久世さんは安吾をこちら側に留める境界の楔となる。ここまでは覚えているな?」


 彼女は首を縦に振った。

 怪談の利用。一凛が最初に遭遇した『4:44 16:44 4:44:44』と『さけめ』という怪談の性質を利用して、入口をこじ開けるというもの。しかし、入口は長く持つものではない。そして、一凛が楔となることは、完全に組織に関わることを意味している。

 本来ならば一凛が行かなくてもいい。やらなくてもいい。問題自体は組織側のもの。彼女は関わらなくても良いのだが、本人の意志により行きたいといった。

 理由は怒りが強いが、自分のしたことへの贖罪もある。

 名前を奪われた彼女を傷つけたこと。愛犬のミヤコを己の意思ではないにしろ、手にかけてしまったこと。母親を助けられなかったこと。虐めようとした女子学生を二人を助けられずに鬼の餌にしてしまったこと。そして、安吾に無理をさせてしまったこと。

 非がないものだとしても、向き合わず目を逸らし続けるのは良くないと一凛は考えている。結局自分のためだと自嘲の笑みを浮かべていると、彼から問われた。


「久世さん。もう一度聞く。自棄で俺の頼みを引き受けるわけじゃないよな?

この作戦を引き受けることは組織に関わることになる上に、普通の人間ではいられなくなる。今ならまだ間に合う。嫌なら嫌でも構わない。久世さんの意思に俺は尊重をする」


 メリットは少ない。デメリットばかりであり、痛みもあるし死ぬ可能性もある。普通なら怖いものを彼女は一息置いて力強く答えた。


「やります」


 躊躇せず、はっきりと啄木を見据えながら四文字の是をだす。啄木は目を大きく見開きながら逃げようとしない一凛の姿勢を捉えた。彼は仕方なさそうに笑みを浮かべて、腰に手をつく。


「ったく、安吾は……。本当にこんないい子を置いていくなんて、やっぱ馬鹿だよな」


 仕方ないと言っているようだが、嬉しそうであった。

 早速啄木は一凛に小さなリュックを用意してくれた。

 一凛は何気なく中を見てみると、中にはぎっしりと詰まった身代わりの形代と帰還の札が一枚入っていた。リュックの全てに形代が入っており、一見するとホラーであるため、一凛は表情を引きつらせながらリュックのチャックを閉める。中を見なかった。リュックを背負い、彼女ははっとして啄木に声を掛ける。


「佐久山さん。少し良いですか?」

「どうした?」


 彼に手紙と家の鍵を差し出して見せて話す。


「安吾さんへの遺書と家の鍵です。私が死んだ場合、この家の鍵を使って鍵を家のリビングの上においておいてください。そして、この遺書も私が死んだ場合に安吾さんに渡せるときに渡してください」

「……もう一度聞くが、自棄になってないよな?」


 険しい顔で怪しげに聞く啄木に彼女ははっきりと答える。


「自棄になってません」


 自棄になってないが、一凛は顔を俯かせて表情を隠す。泣きそうになっている情けない顔を出したくなかった。


「ただこうでもしないと、気持ちに踏ん切りがつかない。

……それに…………私は……私は──っ私は、もう私の近くにある大切を、失いたくないっっ!!」


 普通でないと自覚しているが、彼女は俯かせながら歯を食いしばり叫んだ。

 かつての友人との友情を失い、愛犬を失い、母親を失い、今は大切な人を失おうとしている。安吾は死なないが一凛が寿命で死んだあとに復活する。だが、会えない。彼女が死ねば会えないのだ。約束を果たしたい一凛は袖で目に出そうになる涙を拭い、顔を見せた。


「……お願いです」


 目が赤く腫れながらも真剣に言われてしまえば、啄木は受け取らざる得ない。差し出された手紙と鍵を受け取る。彼は手紙と鍵を手にしながら真剣な顔で話した。


「俺のしてることは本当に良くないことだ。だからこそ、久世さんが安吾を生きて連れて戻って来るように尽力する」


 嘘云わぬ声色を感じ、啄木は手紙と鍵を大きなリュックの中にしまう。リュックを背負うと、彼は腕時計を見た。彼女も気になっていると、四時三十五分を針を指していた。


「──そろそろ準備に入ろう」


 啄木の言葉に頷くと、彼はリュックを地面におろした。

 道路方面にある入口の前に向かい彼は立つ。気付くと、啄木は手に大きな太刀を手にしていた。

 一瞬だけ白い光に包まれると、啄木の姿は変わっている。白椿の髪ゴムで、長くなった髪を束ねていた。牛のような長い角と獅子の耳、緩やかな毛を持つ尾。ウインドベストの腰の両側には三つずつ裂け目からは人の目が見える。ベストの端やチャックには十字のチャーム。篭手こてをつけており、ズボンと革のブーツをはいていた。

 腰のベルトには二つの十手じって。口仮面は白い髭が生えている。額にはもう一つの目が瞬きをしていた。

 前に見た安吾の変化した姿とは対になっているように思える。啄木は体勢をかえる。刀の柄を手にし、彼は何を呟いていた。

 数分ほどたった頃合いだろうか。ちゃきっと音がすると、暗闇に綺麗な銀色の曲線が一瞬だけ描かれた。

 布が切れるような音がする。道路側の入口に斜めに切られた大きな裂け目のようなものができ、裂け目の奥には真っ暗な闇が見えた。


「今だ久世さん!」

「っはい!」


 啄木が素早く納刀すると、一凛は走り出す。

 忠霊塔公園の千木のモニュメントを選んだ理由は、わかりやすく境界線にもなり得る場所だからだ。元々は祈りの場であり、慰霊の場であり、悲しみの残滓がある。悲しみは負や瘴気に結びついており、安吾の居る禍津につながりやすい。

 そして、二つの怪談を利用し、禍津の扉を無理やりこじ開けたのだ。禍津の入口は長くは開けられない。

 速めに閉じられていく裂け目の中に一凛は飛び込んだ。



 裂けめは閉じられる。残された啄木はすぐに変化を解いて、腕時計を見た。針は『4:44:45』を表しており、秒針は一秒進む。

 啄木はポケットから折りたたまれた形代を出す。一凛の背負ったリュックの中にある身代わりの形代の残基を示す。身代わりの札はまだ残っており、一凛が上手く禍津に入ったことを意味していた。


「……久世さん。申し訳ない、あいつを頼む」


 ポツリと呟くも、彼は彼女が無事に帰ってくれるように準備をし始めた。

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