7 ふざけるなと彼女は吠えた

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔というのだろう。啄木は愕然として一凛を見ていた。自分が死ぬかもしれない案件に協力するのは普通は抵抗がある。だが、一凛はすぐに協力を宣言したのだ。

 真剣な表情になっている彼女を見て、やがて啄木は我に返る。


「……いや、待て。君はよく考えたのか……? 自分が死ぬ可能性がある案件にそう簡単に答えを出されると、気を疑いたくなる。

自滅願望はないよな?」

「ありません」


 一凛はきっぱりと言い、眉間にシワを寄せ堰に溜めていた思いを吐き出していく。


「安吾さんにはまだ手紙の返事も来てないし、恩返しもしてません。それに約束したことだって果たしてないし、ちゃんと自己紹介もしてません。私を助けたあと突然別れを切り出して、急にいなくなったんですよ?

別れるならちゃんと色々と後始末をしてから別れてほしいです。その後なら記憶を消しても構わないのに、なんですがあの別れ方は。思い出になりたかった? 傷になりたかった?

馬鹿ふざけるな!」


 ばんっと机が勢いよく叩かれ、啄木はビクッとすると凄まじい剣幕で安吾に対する鬱憤を出していく。


「私は安吾さんの中の思い出になりたくないし、安吾さんを記憶の中の人にしたくない!

彼なりに思っての行動なのかもしれない。彼は正しいのかもしれない。でも! あんな別れ方は自己中だし、自己満足だ!

そもそも、人の心がわかってながらもあんな別れ方ないでしょう!

ムカつくし、腹立つし、とりあえず顔をはたきたい。だから、協力します。首根っこ掴んでも噛みついてでも、連れ戻してやる!!」


 迫力のある怒声に啄木は唖然とし、一凛は肩を上下に揺らす。

 悲しみよりも怒りが待っている。特に、許せないという思いだけが彼女の中で締めていたのだ。

 しばらく口を開け、啄木は声を発しないでいた。次第に表情を戻すと心底とも言えるほどの溜息を吐き出し、片手で顔を押さえた。


「……本当にあのバンゴーは仕方のない奴だよ」


 顔から手を放すとまったくと仕方なさそうな表情で笑っていた。


「よし、決まりだ。目的は安吾を引きずり出すこと。それでいいな」


 一凛は首を縦に振る。彼は返事を見て、話を続ける。


「けど、安吾を戻すにも準備が必要だ。その準備については後で話そう。今は、俺からの礼をさせてくれ」


 啄木が指を鳴らすと、周囲にあった違和感がなくなった。ちょうどいいタイミングで店員が現れ、料理の準備を頼んだ。怒りが鎮まってきた一凛は冷静になり、懐石料理を食べるのは初めてであることを思い出す。恐る恐る啄木に聞く。


「あの、これマナーとかありますか? 高級料亭で食べるとか……初めてなので……」

「それもそうか。じゃあ、食べながら懐石料理のマナー講座といこう。この先、覚えておいても損はない。もし、あいつと来た時にここでの食べ方を教えてやってほしい。ハンゴーは宝の持ち腐れしてるからな。連れ戻したらお願いしてみなよ。君に対してなら喜んで出すだろうな」


 相方に対するあだ名と皮肉を込めて笑いながら話す。安吾も相方に遠慮もなかったが、啄木も相方である安吾に遠慮がない。安吾の話や彼の話や遠慮なしに言い合えるほどに仲がいいのだとわかり、彼女は少し羨ましくも安心した。





 懐石料理のマナー講座をしながら食べる。啄木は負担にならないように一凛に教え、豆知識やうんちくでマナー講座を楽しませてくれた。食べている合間に安吾の思い出についても話してくれた為、一凛にとっては充実な時間となった。

 その後、啄木が安吾を連れ戻す手筈を聞く。死ぬ可能性もある作業。啄木は死に行かせる真似は個人的にも本業的にもよろしくないと言っており、生存確率を少しでも上げるための手段をいくつか用意すると聞いた。事前準備として、啄木からあるものを渡される。当日に忘れないよう言われた。

 料理を楽しみ、奢られたそのお昼の二時頃。

 タクシーを呼ぶと啄木がタクシー代の分のお金を渡される。お釣りはいつか返すと言われたが、啄木が首を横に振った。お釣りはやるから好きなように使えと言われ、タクシーが去るまで見送られた。

 現金で返したいが返す機会もないだろうと考え、今度別の形で返そうと考えた。

 忠霊塔広場の近くでおり、彼女はタクシーのお金を払いお釣りをもらう。レシートを貰う。

 忠霊塔のあるグラウンドに入り、彼女は階段の先を見上げる。

 かつてモニュメントのある場所は、戦没者の慰霊式が行われていた。感受性が豊かな人間はその悲しさと祈りを感じるやもしれない。

 近くに住まう彼女はそこはいつもあり、公園としての象徴だ。彼女は階段を上がり、千木を模したモニュメントへと向かう。

 モニュメントをくぐり、彼女は我に返って携帯の時計を見る。午前2時45分。幸い『4:44 16:44 4:44:44』の怪談条件に一致する時間ではない。何もないといえど、襲われた身としては警戒してしまう。

 彼女は千木のモニュメントからでて『迎山景勝之地』とある石碑の近くに行く。

 景勝之地。または景勝地というのは、普通の人から見て景色や風景が綺麗。絶景である場所や土地のことをいう。『迎山景勝之地』の石碑があるということは千木のモニュメントが作られる前から、この辺り一帯は富士山の眺めがふさわしい場所なのだ。

 一凛はそこから見える富士山と町並みを見続ける。

 いつもの見慣れた風景ではあるが絶景のおかげか彼女は見飽きなかった。彼女の気持ちに共感できる人間はどれだけいるかはわからない。彼女はここで安吾と見た朝日を忘れてなかった。


【ええ、どちらもあるからつけられたんです。……本当──本当、羨ましい】


 切なげに羨ましそうに話していた。だが、同時にそこに嫌悪感など含んでいなかった。かたわれどきと朝日の夜と朝の曖昧な時間帯が実在しているから羨ましがっているだけ。実際に嫌ってはない。街並みや人々が行く風景を彼は興味津々に見て、目の前に映るものを優しく見ていた。

 一凛は彼と話を思い出す。

 啄木がいるとき、彼女は聞いていたのだ。

 何故安吾は自分が弱まることを黙っていたのか。瘴気の中にいれば力は消えずに維持されるとはどういうことなのかと。

 聞くと、普通に教えてくれた。

 安吾の存在が強いままであれば、一凛の宿っていた力が主に戻ろうと外に力が放出される。力が抜けると一凛が生きられなくなるため、安吾はあえて自分の存在を弱めたのだと。相方の啄木いわく、一凛と別れて以降はあまり外に出ていないと言う。最後にある無茶をして自分をあえて弱めたのだと話していた。もっと難しい話であろう。啄木は一凛に合わせてわかりやすく教えてくれている。

 彼女は別の方法もあったのではと問うと、啄木は呆れながら安吾について語った。


【あいつは自分が良くない存在と自覚したうえで、ここで長居をしないようにしている。安吾が表にでるときは自分の中の人の要素を補うときだ。長居をすればあいつの存在自体が危うくなるし、何かしらオカルト側からの害が出るだろう。安吾は現在を壊すのが好きじゃない。その証拠に久世さんを生かした】


 本当に生かすために動いていたのだと、改めて知ると彼は呆れながらもシニカルに笑う。


【でも、あいつは、その後を考えてなかったな。こうして連れ戻そうとしてる事自体予測ついてないかもしれないな】


 その時の彼女も同意をして笑った。

 思いだした後、彼女は町並みを見つめながら拳を握る。やり方と結構日時は打ち合わせた。準備をするのは、一凛の気持ちのみ。

 彼女は町並みを見たあと、思いついたような表情をし足を家に向けた。

 帰宅をしすぐに靴を脱いで部屋に上がると、彼女は自室にて机に向かうとペンと便箋セットを出す。つまり手紙を書くのだ。

 一つは父親に向けた手紙。もう一つは安吾に向けての手紙。

 もし失敗して死んだ場合の遺書である。一瞬だけ手を止めたが、彼女は深呼吸をし紙の上にペンを走らせた。綴り終えれば、何が起きるというわけではない。

 ただ彼女の中で気持ちの整理をつけるだけ。

 死にたくない、なんでこうなった、方法を教えて、仕方がない。そして、ありがとう。

 多くが綯い交ぜになりながら、瞳を潤ませながら彼女は思いを手紙に向けて綴った。

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