1 あの後の朝顔の少女

 寒さが和らぐ静岡の三月。二〇一二年、平成24年の三月上旬。


「では、久世! ここに答えを書き出して答えなさい」

「はい!」


 一つ縛りの茶髪の少女が返事をした。朝顔のように愛らしくもあり、表情も生き生きとしている。制服姿の久世一凛くぜいちか。散髪し髪を結べる程度にした。彼女は黒板の前に立ち、チョークを手にして数式を書いていく。前は躊躇を覚えた行為であるが、今では自信をもって黒板の前に立てる。

 答えを書き終え、チョークを置くと先生からは正解と言われた。一凛は嬉しそうにはにかんでみせた。

 安吾と別れて、夏休み終盤ころに父親が帰ってきた時。娘が認識できるようになったことに、驚きを隠せていなかった。娘に妻の面影があったのか、一凛を抱きしめ父親は泣き出す。困ったものの彼女もつられて泣いてしまい、互いに励まし合うなどおかしな光景になった。

 それからは父親とは定期的に連絡を取り、長い休みではなく休みが取れた日はこちらに戻ってくれるようになった。単身赴任も事が落ち着いたらやめるとのこと。娘にとっては嬉しいが、奇行がぱったりと止んだことを父親は不思議そうな顔をしていた。なんとか誤魔化すも、安吾の事を家に上げていることはいつかバレる不安が募った。そんな安吾に向けて、彼女は今でも手紙を書き続けている。返事が来ることないと分かっていても、せめて近況は伝えたかった。

 彼と別れたあとミヤコの姿は見つからず、怪奇現象に遭遇していない。

 授業が終え、昼休みに入る。

 昼食は持参し、夕食の残りと朝作った卵焼きを入れた。料理の腕は父親からの絶賛され、自信がついてきている。一凛は弁当風呂敷に包まれたお弁当を手に机に座り、一人で食べようとするとき。


「ねぇ、久世さん」


 声をかけられ驚いて顔を上げると、二人の女学生が声をかけてきた。一凛は何だと身構えるが。


「一緒に食べない?」


 とお弁当を手に声をかけてきた。数年ぶりの声掛けに一凛は目を丸くし、ゆっくりと首肯する。

 テーブルをくっつけて、その女学生の二人が自己紹介をする。


「私は望月海月。って、クラスメイトだから名前は知ってるか!」


 ショートカットの明るい少女が言うと、一凛は首を横に振る。


「あっ、でも、人となりは知らないから自己紹介してくれて嬉しいよ」


 素直に伝えると、海月は「良かった」と笑顔になる。ロングの落ち着いた少女が自己紹介をする。


「私、大和田朝香。よろしくね」

「うん、私、久世一凛。よろしく。……私の名字もだけど、大和田さんも珍しいね」


 素直に言うと、朝香はにこやかに笑う。


「うん、何でも私たちのご先祖様は武家なんだ。三浦氏の末裔の大和田の子孫……って言ってもわからないかな」

「えっ、武家!? いや、わからなくても武家ってだけでもすごいよ!」


 驚いて言うが、一凛の母方の家系もある意味すごい。ただし自慢はできない。海月と朝香は非常に驚いており、一凛は我に返って申し訳無さそうに話す。


「あっ、ごめん……私なにかしちゃったかな」

「ううん、違うよ」


 海月は首を横に振り、驚いている理由を話した。


「久世さんって、表情が豊かで話しやすい人だったんだなって。久世さんのことは知ってたけど、顔を知ったのは九月だし。人となりを近くで感じたの、今が初めてだもん」


 一凛は言葉を失う。他者から顔が認識されずにいたブランクもあり、話しやすいと言われたことがない。話しやすいと言われ一凛は衝撃を受けている中、朝香が聞いてくる。


「そういえば、久世さんの名前も珍しいよね。いちりんって読むのにいちかって」

「……あっ、それはお母さんが名付けてくれたの。凛々しく生きて欲しいからって、あえて凛のりんの読み方をかにしたんだってお父さんから聞いたかな」

「そうなんだ。お母さんってどんな人?」


 聞いてくる彼女に、一凛は母親を思い出す。

 明るく料理がうまい母親であった。家を出ても故郷を大切に思う人で、父親の背中を叩いては応援していた人。久々に母親の人となりを思い出し、一凛は笑う。


「凄く愛のある人だったよ」

「……だった?」


 過去形に朝香は気付き、遅れて海月も気付く


「うん、私の母親は早く亡くなってるから、私の名前はお母さんの形見の一つなんだ」


 頷いて打ち明けると、二人は笑みを消して表情を暗くさせる。雰囲気が暗くなるのに気付き、一凛は慌てる。


「ご、ごめん! でも、お父さんがいるから大丈夫だよ!

最近はお父さんとも仲良いし!」


 ボロを出してしまい、更に二人の雰囲気は複雑なものとなる。『最近は』と付け加えることで勘繰られてしまったのだ。一凛はしまったとどう考えようかと思ったとき、海月が携帯を出す。


「久世さん。携帯出して、赤外線通信できる?」

「? うん、できるけど、望月さん。どうしたの?」


 赤外線通信という機能は一部のスマホにあり、スマホ同士を近づけるだけで一部の情報を送れるのだ。一凛は赤外線通信の受診を設定しスマホを近づけると、電話番号とメールに名前が送られた。


「それ。私の携帯番号。電話帳に登録できる?」

「えっ、できるけど……なんで?」


 キョトンして聞くと、海月はにこやかに笑ってみせた。


「久世さんと話してみたくなったから。それだけだよ」


 話してみたくなる。単純な理由に彼女は唖然としていると、海月に朝香は釣られて笑う。


「海月は、相変わらずだね、私のは機種が違うから赤外線はできないけど、プロフィールを見せるね」

「えっ、いや、あの!」


 困惑する一凛は二人に声を掛けた。二人はどうしたのかという表情で顔を向け、彼女は恐る恐る聞く。


「……いいの? 私と電話番号の交換して。私に良くない噂とか付き纏ってるよ?」


 犬神のせいで不幸になるとか良くない噂がある。中学の頃に鬼に食われた女子学生も一凛のせいとされていた。中学三年の頃の安吾と出会ったときの事件については、彼女も関わったため噂については否定できない。だが、他の原因は犬神のものであるが、僅かに一凛も関わっている。

 海月は瞬きをし、不思議そうに言う。


「えっ、噂? 聞いたことあるけど、それってただの噂でしょう。本当に久世さんが起こしたの?」

「お、起こしてないって。私が知らなかったこともあるから……」


 言われ一凛はびっくりし、はげしく首を横に振る。大半は犬神が関わってはいるが、一凛自身が関わっているわけではない。彼女の言葉に二人は「だよね」と笑い、朝香は顔を向ける。


「人を死なせたとか傷付けたとか噂があるけど、久世さん。そんなふうに見えないもん。すごく優しそうだから」

「うん、朝顔みたいで可愛らしい!」

「こら、海月」

「あっ、ごめん。久世さんもごめんね」


 海月の口説くような台詞に朝香はツッコミを入れると、明るく謝った。朝顔と言われ、彼女は安吾の呼ばれていたあだ名の由来を思い出す。

 あさがおと呼ばれていた由来は、花言葉の愛情から来ていると言われていた。見た目からも朝顔のように可愛らしいと言われることはない。いや、初めてであった。

 気にしてない旨を伝えようと照れながら首を横に振る。


「ううん、気にしてないよ。初めて言われたからびっくりしちゃっただけ。ありがとう」

「良かった。久世さん、ありがとうね」


 胸を撫で下ろし、海月は柔らかに笑う。一凛は送られた電話番号とメールを電話帳に登録し、朝香のプロフィールをメモして電話帳に登録する。赤外線通信で海月にプロフィールを送り、プロフィールを開いて朝香に見せて電話番号とメールアドレスを登録する様子を見守る。

 登録する様子を見ながら、ふっと安吾との出会いを思い出す。彼は友だちになろうと言ってきた。本当に友だちになってくれるのか不安で聞いたのだろう。彼女も同じような不安を抱え、登録し終えた二人に恐る恐る話す。


「ねぇ、望月さん。大和田さん。本当に申し訳ないんだけど……」


 見てくる二人に、もじもじとしながら彼女は聞く。


「友達に……なっても、いいかな」


 彼女の言葉に、海月と朝香は。


「いいっていいって。そのつもりで声をかけたんだって。ね! 朝香!」

「うん。そうだよ。ねぇ、一凛ちゃんって呼んでもいいかな」

「抜け駆けずる! 私も一凛って呼んでいい!?」


 にこやかに話す朝香に海月はすぐに彼女に聞く。聞かれた本人は困惑しながら頷いた。「やった!」と喜ぶ海月に、微笑ましく見守る朝香。明るい笑顔の二人を見ながら、一凛は笑みをこぼした。



 その後はお昼を食べながら談笑し、海月と朝香が幼馴染であることを知る。その間に入っていいかとも思ったが二人が一凛に多く聞いてくる為、話の輪に入れてくれる。

 彼女は数年ぶりとも言える友達との談笑に笑顔を見せた。

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