ep8 8月の別離4
暗闇の中、声がする。
「うん、治療したよ。完全な状態に癒やして戻しておいたよ。明日には目覚めるだろう」
「ありがとうございます。法泉先輩」
誰かとの会話だ。
「けれど、これで良かったのかい?」
「ええ、本来なら僕と彼女は関わり合ってはいけません」
「……だから、啄木からバンゴーとかマンゴーとか言われるんだよ?
……自分の力を分け与えるなんてそんな無茶……」
「ははっ、僕が馬鹿なのは真実ですから。……相方に苦労をかけさせます」
ため息が一回。
「犬神を祓わず犬神を抜けた場合、その宿主は弱まる。代わりに、安吾の力を入れるのは正解だ。でも、それは自分の存在が」
「わかってます。でも、その方が彼女を守りやすい。瘴気の中にいれば、僕の力は消えずに維持されます。それにです、先輩。僕の存在は表に出てはいけない。その存在故に手を差し伸べる機会も、助けたいなんて思う事もない」
先輩の言葉を遮り黙らせ、彼は切なげに話す。
「だから、お願いします。
しばらくの沈黙が続き、二回目のため息が聞こえてくる。
「……別れはちゃんと済ませたほうが、心残りも未練もない。記憶を消したほうが、彼女のためになるよ」
「そうですね。僕の別れ方は下手くそです。
でも──僕は彼女の傷になりたい。思い出に、なりたいんです。彼女がいて覚えていてくれるだけで、居てもいいんだって思えるのです」
また沈黙し、三回目のため息。
「……わかった。これ以上は何も言わないけど、ちゃんと責任は果たすんだよ?」
「はい。……ありがとうございます。先輩」
会話からして、安吾と前に診察してくれた医者だ。彼女は起きようともがいてみるが、体が動かない。
一瞬だけ意識が沈む前、近くで犬がわんと吠えた。
聞き覚えのある声に、彼女は目を開ける。見慣れた天井に瞬きをし、身を起こす。自分の家で自分の部屋。カーテンの間からは薄暗さと月明かりが見えた。周囲を見回し、自分の服を見るとパジャマを着ているようだが。
「──えっ」
人の手に人の肌色。手のひらに肉球がなく、手相を見るための皺がある。彼女は自分の体を触り、犬の耳ではなく人の耳と体であることを確かめた。
「えっ……えっ、嘘。私……」
彼女は急いでベッドから降りる。洗面所の電気をつけて、彼女は鏡に映る自分を確かめた。
前髪と後ろの茶髪は全体的に長い。前髪をどけて顔を出してみると、青い朝顔のような愛らしい顔が鏡に映し出されていた。
焦げ茶色の瞳と長いまつげであり、目元は母親に似ている。わからなかった自分の姿を確認できて少女は目を潤ませていく。彼女は目を拭いながら洗面所の電気を消す。
自室に戻っていくと、勉強机に便箋があることに気付く。勉強机の近くにあるライトを付けて、彼女は便箋を手にした。見覚えのある字で『あさがおさんへ』と書かれていた。安吾からの手紙だ。彼女は開けて、書かれている内容を見た。
【あさがおさんへ
これを読んでいるということは、目覚めているということでしょう。
一つ、まだ謝罪してないことがありここに文を認めて置きました。
僕はもう一つ嘘をついていました。貴女の一年後や今後の占いをしたとき、実は鬼札が出ていたのです】
鬼札と聞き、彼女は絵柄を思い出す。
白の余白がなく全体的に血のように赤く、雨が降る中で鬼のような手が伸びており雷神の太鼓を手にしようとしている絵。十一月の札の柳の種類であり、素札の一つであり、鬼札と呼ばれる特殊なものと聞いた。
思い出し、彼女は手紙を読み続ける。
【鬼札は不吉なものを表しているのですが、今ではジョーカーの意味合いがあり一発逆転の意味もあるのです。最初に僕が占ったときに出た桜に幕が、鬼札の意味ももう一つの意味の結果にしたのでしょう。
この謝罪とこの結果を伝えたくて、僕は手紙を書きました。
黙っていて本当に申し訳ございません。でも、本当に貴女が元に戻ってよかった。
この先、貴女は普通に生きられます。より良く生きてください。
僕はしばらく自分の維持のために表に出る機会を少なくします。貴女の自己紹介を聴けないことが申し訳無いですが、また出会ったときに名前を聞かせてください。
余計なこととなりますが、占いとして貴女の今後を占いました。
桜に幕と菊と盃で、「花見で一杯」というものが出ました。その後に鶴の最高の札が出ています。この先、あさがおさんに楽しい事が起きるようです。詳細はもう一枚に書いております。良い人生を歩めることを願いながら、手紙はここまでとさせていただきます。
では、さよなら。あさがおさん。
鷹坂安吾より】
勢いよく手紙を机に叩きつけた。目を潤ませ、奥歯を噛みしめた。
「……馬鹿! 安吾さんの馬鹿野郎……!」
そう言いたくなるほどだ。彼女は気付いて、テーブルの上にある携帯を起動させる。そこは花火をやる日が乗っており、もう少しで花火大会の花火も見れる。
花火が見れるビュースポットを安吾に教えており、そこにいるかもしれないという期待があった。
玄関の鍵を手にした。自室を出て玄関に向う。サンダルを履いて、彼女は玄関を施錠したあと鍵を強く握る。
外は暗く外灯が頼りであり、彼女は走って忠霊塔公園に向かった。忠霊塔公園の一部は、本当の公園になっている。花火を見るビュースポットにもなっている。
近くで花火を見る見物人少なからずもおり近所の人だ。港側の空から一筋の光がゆらゆらと昇っていく。
朝顔の少女はゆっくりと歩みだし、公園の中央まで来ると歩みを止める。花火が打ち上がる音がした。
パァンという擬音で表現される。だが、大きな花火はドンッという鈍くも軽い音のほうが近いだろう。多くの花火が打ち上がっていく。
期待なんぞ常に裏切られる。そこに彼の姿なんてない。ただ安吾と見るはずだった花火を見つめながら、彼女は唇を下唇を噛む。
「……ばか……」
朝顔の少女──
「安吾さんの馬鹿! 別れの挨拶くらいさせて、ちゃんとありがとうって言わせて!
急にいなくなるなんて、挨拶させないなんて失礼だよ。こっちはちゃんと自己紹介もしてないし、恩だって返しきれてない。
私は貴方との出会いで、たくさん良い事がおきたし思い出もできた。父親との関係も改善されつつあるし、生活だって普通に送れてる。私の命も、ミヤコも助かった。
なのに、なんで……なんでこんな別れ方なの! 理由くらい言っても良かったじゃない!
私は安吾さんのこと知れてない。それでも、友達だから……気にかけたくなるし、心配なのに……」
一年と僅かといえど過ごした時間は濃密であり、決して忘れることのできないものだ。顔を俯かせ、一凛は叫ぶ。
「ばかぁぁぁ──!!」
彼女の罵声は人々を驚かせる。しかし、一凛は気にせず両手で顔を押さえて泣く。近所の人で顔見知りということもあってか、彼女は心配そうに声をかけてくれる。
認識され優しくされて、また彼女は泣く声を大きくしてしまった。
戻ってきた日常と姿に喜びはあるが、悲しみと怒りのほうが一凛の中では勝っている。
彼女の姿は戻ってきたが、これ以降安吾の姿を見なかった。
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