4 彼らの一時を

 風呂から出て体を拭いて、コインロッカーから服を出して服を着替える。髪を乾かして、借りたタオルを返す。

 牛乳を購入し、『わんこ』は一杯飲んでスッキリとした。牛乳瓶を回収する箱において、女湯の脱衣所から出る。

 安吾は出たかはわからないが、出ただろうと考えて彼を探していると。


「あー……効くぅ……」


 心地よさそうな安吾の声が聞こえ、『わんこ』が顔を向ける。声を上げた張本人は椅子型のマッサージ機に全身を解されて、とろけた顔で座っている。確かにマッサージ機は人によっては心地よいだろう。マッサージ機の力が最大であり、『わんこ』ならば痛いと声を上げる。かなりこっていたと見てわかり、『わんこ』は唖然としながら見ている。

 解されている様子からしばらく時間がかかるだろう。『わんこ』は近くのソファーでゆっくりした。

 近くの雑誌で時間を潰して十数分後。安吾が慌てて『わんこ』の元にやってきた。


「いやはや、あさがおさん。待たせて申し訳ないです……!

お風呂とマッサージ機のコンボがなかなかにすごくて……あっ、言い訳がましいですね」

「構わないよ。安吾さんが癒やされたのなら良かったよ」

「十分に癒やされて、湯どけてしまいましたよ。情けないところを見せてしまいました……」


 照れながら頭をかく安吾は花を飛ばしているようにも見えた。満足したらしく、顔に疲れが出ている様子はなかった。彼女は安心していると安吾は隣に座り、柔らかに笑う。


「心配かけさせてしまいましたね。すみません」

「こちらこそ、いつもだからお互い様だよ。ありがとう」


 彼女も笑ってみせた。助けられた分、彼の疲れを少しでも癒やさせたのならばよかった。『わんこ』はほっとすると、安吾が恐る恐る聞いてくる。


「僕は貴方の姿をミヤコさんと認識しています。普通の人間は顔がわからない人間と見えるようですが……認識出来ないことも周囲の人間は気づかないのですか?」

「うん、私の顔が認識できないこと気付かないの。私もあやふやなんだってこと、改めて分かるよ。……なのに、自分や人じゃない存在からは私のことが犬に見えるの不思議だよね。……あっ、ミヤコの力だから私に見えて当然なのかな」


 安吾は笑みを消し、口を開く。


「あさがおさん。それは」

「なに? 安吾さん」


 何かあるのかと気になり、『わんこ』は何気なく聞く。安吾は少し間をおいて、微笑して首を横に振る。


「……いえ、なんでも。そういえば、この地区に祭りはありますか?」


 話題を振る彼に彼女は不思議に思いながら、答える。


「草薙には流星がありますけど、清水は港まつりかな」

「港まつり。そういえば、スーパーでそのような張り紙がありましたね」


 思い出しながら言う安吾に『わんこ』は頷く。


「地元の港で毎年祭りがあるの。元は戦後地元の復興を背中押しするための祭りだったかな。今では、総踊りや花火とかやる普通のお祭りだけど、踊りがちょっと個性的なの。一、二日目で、総踊り。三日目で花火がやるの。港には貴重な船が停まるから、船を見に来る人もいるよ」

「あさがおさん。詳しいですね」


 安吾に言われ、彼女は懐かしむように笑う。


「私も、四年前までは祭の総踊りに参加してたんだ。でも、ミヤコが亡くなってからはやめたしダンスもやめたから今でも踊れるかどうか」


 奇行が出始めてからダンスと参加をやめた。名無しの友人とともにダンス教室で踊ったのは懐かしい。友人が総踊りに参加しているのか、気になったが参加していれば良いなと思っていた。


「……私の友人は花火が好きだから、あの祭りを楽しんでいるといいな」


 つぶやき、『わんこ』が天井を見ていたときだ。


「──そろそろ、あさがおさんは自分を許してあげたらどうですか?」


 言われ、『わんこ』は彼に首をむける。許すと言われ、彼女自身は自分を許せるはずがなかった。苦笑を浮かべ、『わんこ』は話す。


「許すって、自分を? 謝れずに、友人を傷つけて喧嘩別れのようなことをして、ミヤコが亡くなったのもお母さんを止められなかったのに?」

「……それは、全部貴女のせいではないでしょう」

「全部じゃなくても、割合のグラフにすると私のせいも含まれるよ」

「それでも、あさがおさんは悪くない」


 客観的に見れば、『わんこ』が悪くないと言える。名前を奪われた少女を追い詰めたのは、名前を奪った張本人。母親を狂わせたのは母親に宿った犬神。愛犬も死なせたのも犬神のせいだ。仕方ない部分もあった。だが、彼女は自責の念が強く、拳を強く握る。


「でも、私はやっぱり許せないよ。だって、ミヤコは───……あれ?」


 彼女は目を丸くした。前に安吾はミヤコは妖怪に殺されたといった。犬神という妖怪でもあり、呪いもある存在に殺されたという。だが、犬神が宿主なしで単体で殺せるかという疑問が湧いた。体なしで倒せることもあるかもしれないが、もし宿主がいた状態ならば。

 考えていくうちに、脳裏にいくつか映像のようなものがよぎった気がした。

 家の中、リビング、虚ろな表情の母親。ミヤコが飛びかかってくる姿。ミヤコが飛びかかってくる姿は真正面であり、目線は。


「あさがおさん!」


 呼ばれて彼女は我に返ると、安吾が両肩を掴んでいる。開眼して必死な顔で彼女を見ていた。額に嫌な汗が流れていると気付き、体がだるい。息も荒々しく、運動したあとのようだ。

 周囲の人間も心配そうに一瞥し、店員も駆け寄るほどであった。


「……安吾さん……? 何、が」

「……顔色が悪いです。寒気は?」


 聞かれ、『わんこ』は首を横に振る。寒気はないが心臓の音は激しい。目の前がくらくらしてくるほどだ。


「……あさがおさん? ……っあさがおさ──」


 声が遠くなる。目の前がふっと暗転し、遠くなる声を聞きながら『わんこ』の目の前はシャットダウンした。




 声がする。


「……先輩。やはり、僕の懸念はあっていたのですね」

「そうだね。心の外傷は簡単に治るものじゃない。個人差あるといえど、君がそれを避けたのは正解だ。今の彼女の状態で何が起こるかはわからない」


 安吾の声と優しそうな男性の声。彼女が薄く目を開けると、白い天井と病院で見るようなカーテンがあった。カーテンの近くで話しているらしい。


「本当なら事を急いだほうが良いのでしょう。……ですが、それではちゃんとした解決ではないですよね」

「うん、そのとおりだ。これはかなり難しい問題だ。だから、チャンスを逃してはならないよ。安吾」

「……法泉先輩。ありがとうございます」


 何を話しているを気にしていると、カーテンが開く。優しそうな茶髪の男性が、『わんこ』を見て微笑んでいた。


「ああ、起きたんだね。良かった。さっきより顔色はいいね」


 彼が医者なのだとわかると、意識が鮮明になる。薬の匂いで彼女は自分がベッドの上にいるのだと理解した。腕に点滴の針が刺さっており、安吾は心配そうにカーテンから覗いていた。


「……あさがおさん。大丈夫ですか?」

「……安吾、さん?」


 名を呼ぶと、医者は彼女の近くに来て屈む。


「ここは、組織の運営している医院だ。安吾が救急車の人に無理言ってここまで連れてきてくれたんだ。今の君は普通の病院では見れない。こちら側で処置をして君の不調を治したんだ」


 普通の病院で見れないと言われ、『わんこ』は多くを察した。


「……貴方も、私が犬に見えるのですか?」

「……ああ、うん。ごめんね」


 医者に問うと、申し訳無さそうにゆっくりと頷かれた。かの医者も安吾と同じ半分人ではないのだろう。安心と今の状況への嫌悪感がないまぜとなり、複雑そうな顔をする。『わんこ』はゆっくりと起き上がると、安吾が慌てて駆け寄る。


「っあさがおさん。無理なく……」

「大丈夫、です」


 息を吐き、『わんこ』は医者に顔を向ける。


「……あの、私はこのあとすぐに退院できるのですが?」

「問題はないよ。処方箋もないし、点滴が終わったらすぐだよ。君は安吾の任務の対象者だからお金もいらない。こちら側で負担する決まりだから。お大事にね」


 優しく微笑まれて言われる。お金を支払わなくてもいいことに戸惑い、安吾を見た。彼は流されておくような頷かれ、『わんこ』は困惑しながら頭を下げて感謝をした。



 体が楽になり、落ち着いた頃。医者の車により、家の近くまで送られた。空はすでに暗くなっており、車のドアから二人は降りる。安吾と医者は何かを話したあと、医者は『わんこ』に優しい言葉をかけて車を運転して去っていった。

 車を見送り終え、『わんこ』は安吾に頭を下げる。


「安吾さん。ありがとうございます」

「気にしないでください。貴方が何もなくてよかった」


 ホッとする安吾に『わんこ』は頭を上げ、苦笑する。


「今まで不調がなかったから病院に行く必要もなかったんだ。だから、油断しちゃったのかな」

「……あさがおさん。それは」


 安吾に名を呼ばれ、『わんこ』は首を横に振る。


「わかってるよ。だから、これに関しては何も言わないで」


 不調の原因は犬神となったミヤコの呪いなのだと、彼女はわかっていた。安吾は拳を握りながら『わんこ』に口を開く。


「あさがおさん」

「……なに?」

「もしよければ、港祭りの案内をしてくれませんか?」


 唐突の頼みに彼女はきょとんとする。意外な頼みだったのだろう。『わんこ』の反応を見て、彼は楽しそうに微笑んでいた。

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