3 癒やしの一時を

 五月の下旬頃。春の気候はなくなり夏の気候、即ち雨季がやってくる。土日、ある港近くにある商業施設にて。地元のサッカーのチームの名前をとっており、近くには観覧車もある。その商業施設の中で『わんこ』は安吾と共にフードコートにいた。昼食を食べ終えたあとだが、安吾は深い溜め息をついていた。商業施設には『わんこ』が誘ったのだが、安吾は疲れを滲み出している。


「はぁ……」

「……安吾さん。どうしたの?」

「……最近、お仕事が忙しいんです。直文の守ってる女の子の友人が誘拐されたり、八一と茂吉が忙しくなったり、啄木が怪我人を助けるわ。僕の方も色々と動かざる得なくて大変なのです。いや役に立てるのはいいんですけど、重なって色々起きることが多過ぎて……」


 初めて聞く安吾の愚痴に『わんこ』は呆然とする。彼の口から見知らぬ名前が出てきているが、彼の仲間なのだろう。安吾の顔から疲れが出ており、かなり慌ただしいようだ。


「疲れてるなら、今日来なくても良かったよ。しばらく忙しいなら電話か手紙だけの連絡にする?」


 苦笑しながら提案をすると安吾は首を横に振った。


「いいえ。あさがおさんとの日々が癒やしなので、外せません」

「……小っ恥ずかしいよ……安吾さん」


 素で言われ、『わんこ』は照れる。安吾は「すみません」というが、声に力はない。本当に疲れているらしく、彼女はどうしようかと考える。商業施設で気晴らしにはなるが休めるかと言うとちゃんと休める場所ではない。

 彼女は考えていると、一つ思いつくものがあった。


「安吾さん。バスタオルと下着の替えはすぐに用意できる?」

「? それはどういうことですか?」

「癒やすには少しちょうどいい場所を知ってるんだ。少し時間かかるけどいい?」


 話す彼女に、安吾は不思議そうに瞬きをする。




 近くの服屋で下着とパンツを買う。別の店によって洗体タオルを借りた。私鉄のバスと電車に乗り、かつての草薙の地に降りる。安吾は目的もわかないまま連れて行かれ、ある店の前につく。

 駐車場に車は止まっており、利用客はそれなりと言えるほどにいる。昔の風情はないが、平成としての建物の雰囲気はある。即ち、温泉施設であった。『わんこ』は建物を指差しながら話す。


「銭湯というよりも大衆浴場……温泉施設なんだけど、ゆっくりするにはいいかもしれないんだけどどうかな」

「いやはや、ありがたい。心遣い感謝です……」


 申し訳無さそうに彼は謝る。リラクゼーションもあるため、安吾もゆっくりとできるはずだ。中に入ると、靴を脱いで下駄箱に入れて入場。券売機で券を購入し、タオルもお金を払って借りる。中に入ると、安吾は興味深そうに中を見つめていた。『わんこ』はすかざず、説明をする。


「男湯と女湯で別れてるけど……お風呂の入り方とかわかる?

シャンプー、コンディショナー、ボディーソープとかもわかるかな」

「髪を洗うもの、整えるもの、体を洗うものですよね? 今のお風呂の使い方はわかりますよ」

「じゃあ、百円玉を入れてロッカーの鍵を閉めるっていうものは?」

「えっ、それは知りません。使い方を教えてくれませんか」


 知らないものがあると聞く。安吾に『わんこ』は教えつつ、男湯の脱衣所にありであろうものも教えておく。マッサージ機やお金を払えばできることを教え、別れてそれぞれの性別の湯に入る。

 コインロッカーにつき、お金を用意する。『わんこ』は共同の脱衣所にある鏡を見る。『わんこ』からすると犬の姿であるが、人からすると顔が認識できない人の姿なのだろう。


「……自分の姿が戻らないほうがいいのかもな」


 愛犬の呪いと名前を失った友人を傷付けた罰にちょうどよかった。彼女はお風呂に入る準備として服を脱いでいった。



 人体の大切な部分は隠す必要がある故に、漫画やアニメのように湯気やもので隠れる。規制線の各個人の想像に任せるが、隠れているのがいいんだよという人もいる。癖は人それぞれではあるが、モラルや良識は守っていただきたい。要約すると、『個人で想像するのは自由だが迷惑かけるようなことはするな』である。



 男湯にて。脱衣所のコインロッカーを難なく使えた。服を脱いでロッカーの中にしまう。百円玉を使って鍵を閉める。コインを入れて鍵を閉める仕様や鍵を腕輪のようにつける仕様に安吾は楽しげであった。自動販売機の牛乳の瓶とビールを見つけ、目を輝かせる。


「おお、これは風呂上がりの牛乳瓶ができる!

しかも、牛乳にも色んな種類がありますね……!」


 いちご牛乳やコーヒー牛乳やフルーツ牛乳等色々ある。興味津々見つめ、不思議そうに一瞥をする。当然、はしゃぐ裸姿の成人男性は目がいく。

 我に返った安吾は洗体タオルを用意し、すぐにお風呂場に向かった。

 様々な温泉の種類と体を洗う人物と、湯船に浸かる客。外には露天風呂があるようだ。サウナや水風呂もある。話し声や湯を出す音などが聞こえ、安吾は高揚する。高揚を抑えつつ、かけ湯をして体を洗える場所を探す。髪を濡らして洗い、洗体タオルで体を洗う。整髪料と泡と洗い流して、体を洗うタオルを棚に置く。棚は客なら置いていいらしく、髪を簡単にゴムで結び一息つきながら湯船に浸かる。

 湯の温度がちょうどよく身にしみる。肩湯や全身湯があるらしく。安吾はここで少し使ったら試してみようも考えた。


「……たまにはこったのもわりぐね」


 素の口調を出て、ふぅと息をつく。心身ともによほど疲れていたと彼は自覚した。ふと周囲の視線がこちらに来ることに気づく。

 脱衣所でも時折周囲から見られた。安吾は自分の鍛えられた腕と筋肉質な体を見て、小首をかしげた。


「……そんなに僕、だらしない体ですかね?」


 安吾はシックスパッドと呼ばれる腹筋を触り息をつく。むしろ逆である。湯船から出て、別の風呂に入る。全身湯や肩湯などの筋肉質をほぐす湯に入る。噴射される湯に腕や肩、背中に当たり安吾はおっさんのように満足そうに声を上げる。


「あー……沁みる……。たくぼっくんのマッサージよりこっちの方が良いですねぇ……。あいつ容赦なくゴリッとつぼつくんですから」


 全身湯に浸かりながら、安吾は天井を見る。小高い天井であり、反対側には女湯があることを把握する。彼女も浸かっているのかと考えつつ、湯船に浸かる自分に苦笑したくなる。

 全身湯から出て、彼は外に出て露天風呂に向かう。露天風呂の湯船に全身を浸かり、彼は満足気に息を吐く。

 頬を赤くして笑う。湯船に浸かる中、湯気が目に見えた。安吾は何気なくその湯気を掴むが、湯気をしっかりとつかめるはずはない。手に水分がついているぐらいだろう。湯気を見つめ、安吾は息をつく。


「……羨ましいといえば、羨ましいですよ。存在が確定しているのは羨ましい。けど──あさがおさんは、彼女はそうじゃないでしょう。顔が人に認識されないのはおかしい。彼女はちゃんとここにいる」


 聞こえないようにつぶやき、強く拳を握った。


「あの子は僕たち化け物じゃない。生きていていい普通の子だ」


 一年前に倒された神の嫌な置き土産が彼女の中にある。彼女の状態を役目上野放しにできない故に一年間交流した。彼女の件については組織の任務として、上司も扱ってくれている。『わんこ』と呼ばれる彼女の精神的なケアも必要と感じ、交流してきた。

 だが、交流した分、彼女から多くを与えられてしまった。文字の練習や生活の練習。それだけではない。暖かな思いを向け、自分をちゃんと見てくれる。彼を安吾として現実にいると思ってくれているのだ。

 脳裏に彼女を思い浮かべ微笑み、『わんこ』のいるであろう方向に目を向ける。


「……僕を僕としてみてくれる、温かな朝顔の貴女。貴女は僕がいるから救われていると思っているでしょう。逆も然り……僕は貴女に居ていいと言われるだけで救われています」


 魔王にもなれる血を引く故に、現実に居てはならないと思っている。彼女のように接してくれる存在は嬉しかった。泣きそうな顔を一瞬で作り、目を伏せる。


「僕が居てもいいんだって思えるから、救われているんですよ。あさがおさん」


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