10 嫉妬するものとわかったもの

「僕の異常さを見て驚かないとは、本質はたかが呪いか。怨念が甚だしいですね」


 安吾は威嚇する犬神を見ながら不快感をあらわにする。


「──……ぁぁああ……抑えていてもお前のような存在は……本当嫌いだっ……」


 声と雰囲気ならイラ立ちは隠せていなかった。初めて見る安吾の苛立ちに、彼女は驚きと恐怖を隠せなかった。安吾が怒りも露わにするのは初めてだからだ。彼はアイマスクにも似た木造の仮面を手に出す。

 天狗を模したような仮面だ。仮面をつけると安吾の姿は変わっていた。

 髪は長く、三つ編みに結ばれていた。

 人の耳の部分にはたれ耳のような獣の耳。額には鬼の角が生えている。背中には天狗のような翼があった。服装は黒を基調としたベストジレと袖のないインナー。黒いスキニーにも似たズボンと黒いブーツをはいている。

 ゾワっとし、『わんこ』は硬直した。耳は倒れたままであるが、声が出ない。小刻みに震えて彼女は息を呑んで、彼の姿を見る。

 姿はアニメや漫画、ライトノベルの絵でも表現されよう。だが、彼女は直感で戦慄していた。異質であり、何よりもあの日見た悪夢の黒いもの以上に濃いものだった。

 彼は自分の姿を見つめて、溜め息を吐く。


「啄木と一緒に考えましたが、やはり当世風に形を考えるのは大変ですね……。まあそうしないと、ただ古いだけ──おや?」


 安吾は犬神に顔を向けると、身を縮こまり震えていた。『わんこ』のようにガグブルと震え、怯えたように鳴いていた。


[くぅーん……くぅーん]


 怯えきった犬神の姿に、安吾は蔑む目線を送り呆れた。


「……はぁ、本性を表しただけでこれとは情けない。戦う気でしたのに降参ですか。呆気ないですね」


 犬神に一歩ずつ歩いていく安吾。犬神はキャンキャンと四肢で『とおりゃんせの常世信号』の霧の奥に消えようとした。ギャンっと悲鳴を上げ、見えない何かに弾かれる。飛ばされて地面に倒れ、安吾は犬神に近づく。彼の歩みはあえて足音を立てている歩き方であり、わざと追い詰めているようにも思えた。

 彼が近付いてくると分かり、犬神は急いで見えない何かに向かって体当たりや牙を向けて突破しようとする。だが、弾かれるだけで突破の術もない。強力な結界を張ったのだろう。

 安吾は犬神の背後に来た。犬神が振り返る前に、安吾の手が『わんこ』の母親の体の中にはいる。グロテスクのようなものではなく、手が体をすり抜けて『わんこ』の母親の体の中を探っているような光景だ。

 何かを掴もうとしているようで手応えはあったらしく、安吾は動きを止めた。


「さあ、彼女の母親から出ていってもらいましょうか!」


 勢いよく黒い煙のようなものが『わんこ』の母親の体から抜かれる。体は人形のように崩れ落ち、安吾は受け止める。黒い物は投げ飛ばされ、地面に落ちる。『わんこ』は思わず鼻を押さえた。

 図書館の時に感じた腐敗臭は黒い獣からだったのだ。彼はゆっくりと『わんこ』の母親の体を横にさせ、首を黒いものに向けた。

 黒い煙と腐敗臭を発している四本脚で立つ獣。大きさは中型犬ぐらいだろう。だが、犬なのか、鼠なのか。イタチなのかは形がわからない。正体は既にわかっており、『わんこ』は口にする。


「……犬神」


 その犬神は『わんこ』を見つけると、彼女に向かって走り出す。姿を失い狙おうとしても無駄だ。犬神に向け、横から安吾が蹴りを入れた。きゃんと悲鳴を上げて、見えない壁にぶつかる。酷い動物の虐待現場を見ているようなものだ。しかし、その動物が生物でないゆえに、今の光景は虐待と言えるかは定かではない。

 彼女が瞬きしているうちに、犬神の元に安吾がいた。犬神の頭を強く掴む。ジタバタともがいている様子だが、彼は離さない。犬歯を見せるように不敵に笑う。


「実体がないから掴めないとでも思ったんでしょうかね。この元使い魔風情が。実体を失って、宿主の肉体を奪って実体を得るなんて気持ち悪い。生きた犬のように怯える様も気色悪い」


 怯える犬神に安吾が笑みを消す。


「瘴熔。消えなさい」


 言霊を吐いたあと、安吾は犬神の頭を砕いた。ゴリッという音はない。ベチャッという音だけが響き、黒い煙だけが霧散して消える。彼の手に液体のようなものはなくい。安吾が手を開くと黒い靄だけが残り、空中に溶けて消えていく。

 彼は息をつき、『わんこ』に目を向けた。彼女はびくっと怯え、仮面を外し安吾は苦笑する。


「そう、なりますよね。すみません。とんでもないものを見せて。

ですが、ご安心を。貴方のお母様に憑いていた犬神は倒しました」


 いつもの穏やかな話し方をした。安吾は『わんこ』の母親の体を抱き抱え、彼女に顔を向ける。


「今日はここまでにしましょう。……貴方のお母様の遺体は一回本部に運んで浄化をしてから、こちらの方で手続きをします」

「……あ、の……」


 体を震わせながら尋ねる彼に、安吾は切なく柔らかに笑う。


「大丈夫です。お別れをちゃんと済ませる準備をするだけです。その準備の知らせは、電話か手紙で来るでしょう。……じゃあ、今日はここでお別れです。機会ある時に、また」


 安吾が何か呟くと、彼は母親の体とともに消えていく。周囲の霧も晴れ、建物と信号機に横断歩道。いつものスクランブル交差点が見えた。スピーカーから『富士山』の電子音が鳴る。

 通行人が横断歩道を渡るさまを、『わんこ』は呆然として眺めていた。




 数日後。母親が遺体で見つかったことがニュースとして流れた。『わんこ』の家に手紙や父親から電話が来る。

 妻の遺体が綺麗な状態であることに驚きつつ、父親は葬儀の手続きをしていった。『わんこ』も葬儀の手続きを手伝う。

 葬儀の手続きを葬式を終えて、火葬場にて。『わんこ』は制服を着て、親族は黒のスーツや黒の喪服などに身を包む。親族共々、母親の入った棺桶を見送った。

 父親が泣いているのを見て、つられて『わんこ』も涙を流した。

 火葬場の待合室で、親族と父親で待つ。彼女と父親は向かい合って座っており、父親は黙ったままお茶を飲んでいた。久々に父親と対面する彼女だが、流れている空気は気不味い。だが、ここで一歩踏み出さなくてはならないと考え、『わんこ』は口を開いた。


「あの、お父さん」


 娘に呼びかけられ、父親は顔を向く。父親にとって認識できない顔であろう。だが、それでも『わんこ』は言わなくてはならなかった。


「お母さん。見つかって良かったね」

「……そうだな。遺体の損傷もなく綺麗な状態で見つかったのは、不思議ではあるけどな。死体特有の匂いがないのも不思議だって言ってたな」


 父親の言葉に『わんこ』は同意するように頷く。

 遺体が見つかったと警察から連絡はあったものの、警察の人間は奇妙に思っていた。安置所に来たときは生前の綺麗な姿のままであり、解剖の結果の死因は原因不明のまま。死因については現実的ではないため判断のしようがない。だが、母親が綺麗な姿のままなのは、安吾が手を回してくれたからだ。『わんこ』はどう話そうかと考えたとき。


「お前は母さん似だよ」

「えっ?」


 言われ父親に目を向けると、瞳を潤ませながら鼻声になって再び話す。


「……お前は、母さんに似てるんだ。……ぼやけて覚えてないけど、確かそうだった気がする」

「お母さんに……似てるの?」

「ああ、母さんは目の部分は俺に似ているって言うけど……俺は全体的に母さんの方に寄っていると思うって話したんだよ」


 母と父の話していた事柄を聞き、『わんこ』は目を丸くする。似ている部分がわかり、少しばかり救われた。僅かに自分の顔が思い出せたような気がする。そして、父親が自分から話してくれた行動も嬉しかった。彼女は目が熱くなる。頰に涙が伝うのがわかり、泣きながら笑顔を父親に向ける。


「ありがとう。お父さん。話してくれて、嬉しいよ。

私、この先頑張れそうだよ」


 泣いていると分かったのか、娘に父親は驚く。困惑しながらも『わんこ』の父親は笑みを作ってみせた。

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