9 中身を潰せ

 目的のスクランブル交差点が見えてくる。安吾は足を止め、『わんこ』に声をかけた。


「そうです。これを渡しておきますね。きっと何かのお守りになると思って、買ってから僕の加護をつけておいたんです。どうぞ」


 彼がバックから出したのは包装されたもの。手に乗るほどであり、止まって『わんこ』は驚いて顔を上げた。


「……私?」


 自分を指差すと、安吾は表情を柔らかくして頷く。


「ええ、本当はもっと別の形で返したいのですが、今はこれを。少しでも貴方の中にある犬神を抑えてくれるはずです」

「……ありがとう。……失礼になって悪いけど、これ中を開けてもいいの?」


 受け取って聞くと、彼は快く首を縦に振る。


「ええ、むしろ、すぐにつけてほしいですね」


 不思議そうに彼女はその袋を開けた。何気なく取り出して中を見ると、朝顔の飾りがついた可愛らしい髪ゴムと朝顔のキーホルダーであった。『わんこ』は目を丸くする。過去の後悔から名乗りたくなく、安吾からあさがおさんとあだ名をもらい呼ばれていた。呼び慣れては来ているが、『わんこ』は髪ゴムとキーホルダーの二つの朝顔を見つめ聞く。


「……ねぇ、安吾さん。本当になんで私にあさがおってニックネームをつけたの?」


 聞かれ、恥ずかしそうに安吾は話し出す。


「実は僕は初めて表に出た時に知ったのですが、花には花言葉があるそうですね。僕は桜と朝顔と月下美人……他にもありますがこういうのが好きなんで、気になって調べたんです。そこで朝顔の花言葉を知りました」


 彼女の手にしている朝顔の髪ゴムを指差し、安吾は話す。


「朝顔には愛情という花言葉があるそうで。出会った時に、貴方から大切に思う気持ちが強く感じたから朝顔のあだ名を送ったのです。貴方の母と愛犬の話を聞いた今では相応しいあだ名というものではないでしょうか」


 聞いているうちに中々照れる言葉が飛び出した。だが、嬉しいのも事実であり、『わんこ』の尻尾のフリは激しくなる。安吾も恥ずかしかったのか、照れくさそうに微笑み頬を掻く。


「って、すみません。お喋りが過ぎてかっこつけたものになりました」

「ううん、そんなことない。ありがとう、嬉しいよ。大切にするね」


 彼女は手にしている髪ゴムを袋に仕舞い、キーホルダーは財布に付ける。朝顔の花言葉を初めて知り、『わんこ』はキーホルダーを見つめる。愛情という花言葉があるのは知らなかった。だが、あだ名の由来を聞いてから恥ずかしくも切なくなる。

 朝顔には様々な色があるが、よく店に見かけるのはイメージ通りの朝顔の色だ。安吾がくれたのも、ありふれた色のもの。だが、男の人からプレゼントを貰うのは初めてであり、『わんこ』は嬉しそうに微笑みながら尻尾を大きくふる。

 嬉しそうな彼女の様子に微笑みつつ安吾は声を掛けた。


「さて、あさがおさん。そろそろ本題に入りましょう」

「……っそうだった、うん」


 彼女は我に返って頷き、安吾はスクランブル交差点をみる。


「犬神は貴方を狙おうとするでしょう。僕が守りますが……流石に外に出られると厄介です。僕が外に出ぬよう結界を貼ります」

「……そういえば、とおりゃんせの常世信号って振り返って帰るとどうなるの?」


 奥に行くなら、あの世へ行っておしまい。なら、帰りはどうなのか。

 とおりゃんせの歌詞には『いきはよいよい かえりはこわい』とある。一説には、七つのお祝いに札を収め、神の助けを得る。しかし、七つになったら一人前の明かしてして札を返し、神の助けを断ち切って生きていく故になったとされる。

 では、この場合は何なのか。安吾はあまりいい顔をせず答えた。


「逝きが良い良いなら、帰りは怖い。助かる見込みは低いと思ったほうが良いかもしれません」


 怪談でどのような状況で、話の主が声をかけられたのかはわからない。もし声をかけられなければ。想像の余地でしかないが、一寸先は闇しかないことに『わんこ』は体を震わせた。

 彼女を一瞥し安吾は声をかけた。


「あさがおさん。行きましょう。ご安心を。僕が守りますから」


 優しく言われ、『わんこ』は頷いてスクランブル交差点へと向かう。

 近くのスクランブル交差点。横断歩道の近くに来た瞬間に周囲は霧に包まれた。遠くから逃亡が聞こえると、背後からも遠吠えが聞こえた。

 安吾が何かをつぶやくと、周囲が一瞬だけ光る。結界を張ったのだと理解している最中、『わんこ』は気付いて目を丸くした。

 今まで湧き上がっていた信号の奥へと行こうとする衝動がないのだ。


「……! 向こうに行こうと思わない。お守りの効果、出てる……!」


 喜んでいるのも束の間だった。霧の奥から犬が威嚇するような声がする。『わんこ』はびくっと震え、奥を見た。

 駆ける音が近付いてくる。人影が霧の奥から現れるが、その勢いはゆっくりではなく凄まじい。霧の奥から飛びかかるように犬神が現れた。

 犬神の目線は一点。『わんこ』のみ。彼女は耳を倒して戦慄した。体とはいえど、母親に殺意を向けられているような状況。怖くないわけない。

 彼女の視界は安吾の背後で覆われた。彼は犬神の服の襟ぐりを掴み、遠くへと投げ飛ばす。コンクリートの道路の上を四肢で着地し、犬神はゆらりと立ち上がった。犬神が姿を消すと、安吾はすぐに『わんこ』を抱き寄せた。彼が横に伸ばすと、犬神が口を開けて噛みつこうとしていた。 

 犬神は驚く間もなく安吾に顔を掴まる。飛びかかった勢いを利用されて、横に投げ飛ばされた。今度は着地することはできず、地面に落ちた。落ちるが手を地面につける。

 怪我という怪我はなく、相手はゆっくりと立ち上がる。犬神は安吾に牙を向けて威嚇をする。


「……すみません。あさがおさん。守るためとはいえ、貴女のお母様に無体をしました」

「そ、そんなことはない……! 安吾さんが守ってくれなかったら危なかったから……!」


 謝罪してくれるが、先程の犬神の行動は守られていなければ『わんこ』は噛まれていた。フォローすると、安吾は不快感を含んだ深いため息を吐く。怖いため息に『わんこ』は鳴き声を上げるが、すぐに安吾に頭を撫でた。


「……申し訳ございません。自分の都合で不快感を感じてました。殴るのはできるだけ我慢しますが、あさがおさんは怖い目に遭うでしょう。覚悟をする忠告だけしておきます」


 優しい声で謝罪をし、首肯する彼女を解放する。怖い目に遭うのも覚悟の上であるが、安吾が怪我しないかどうか心配だ。

 犬神が駆け出すと同時に安吾も動き出す。犬神は鋭い爪を出して、安吾を引っ掻こうとするが容易に避けられる。逆に手首を掴まれ、勢いよく引っ張ると地面に向かって犬神は突っ込む。だが、両手をついて突っ込んだ勢いのままバク転をし着地をする。犬神は両手について、四肢を動かす。彼女を狙いに飛びかかり、口を開けて鋭い牙を見せた。

 彼女は目を丸くするが、安吾はすぐに左腕を出し噛みつかせた。安吾の腕に犬神は噛みつき、彼は顔を一瞬だけ歪ませる。


「っ!」

「! 安吾さん!?」


 悲しげと驚愕の声を上げる。犬神の噛みついた箇所からは深々と牙が入り込んでおり、血が滲み出ていた。安吾は笑みを浮かべ優しい声を出す。


「ご安心を。僕は半分人ではないので。玄闇天げんあんてん


 犬神の服の襟ぐりを掴む。犬神を軽々投げ飛ばしたが、腕ごと投げ飛ばした。『わんこ』は言葉を失う。だが、目の前にグロテスクな光景が起きているわけではない。

 安吾の左の片腕が取れたほうの口から黒い靄を出していた。犬神は彼の消えゆく片腕を噛みつきながら、地面に投げ飛ばされて落下する。

 犬神にあった黒い靄が霧散する。安吾の左腕のあった場所から黒い煙が集まっていき、一瞬で彼の左腕となって修復された。

 安吾は修復された手をグーパーして、肩を回したりし動きを確認する。

 噛みつかれた怪我などない。先程の血が出ていたのは嘘だったかのようだ。普通ではないと、彼女は体を震わせ声を上げる。


「くぅーん……くぅーん……」


 安吾が『わんこ』の怯えた声に気付き、向いて謝る。


「ごめんなさい。怖いことを見せてしまって。僕を気持ち悪いと思っても構いません。化物と思っても構いません。貴女のその気持ちを真実として捉えてください」


 傷付いた様子もなく、さも真実のように語る姿に『わんこ』は目から涙が出てくる。そんなことないと口に出して言いたいが、犬の鳴き声に遮られて言えない。行動で示そうと、首を横に振る何度も降る。そんなことないと。


 首を横に振る彼女の様子に、複雑そうに微笑む。

 奥から威嚇の声がした。安吾が笑うのをやめ、首を向ける。彼に対し犬のように牙をむき出しにして表情を歪ませる。グルルと声を上げて、目線を彼に向けている。

 標的が『わんこ』から安吾に向かったようだ。

 

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