8 スクランブル交差点の境界

 チェーン店で食事を済ませ、『わんこ』たちは店を出る。

 食べている最中、簡単に話し合う。今日の方針としては犬神を追っていくと決め、目的のスクランブル交差点まで向かった。

 安吾からはスクランブル交差点につく前に、腕を掴むように言われた。犬神に誘発されないよう安吾が守るとのこと。『わんこ』の中で起きた衝動は、犬神により引き起こされていたのだと。

 話を聞きながら彼女は引っかかりを感じていると、目的のスクランブル交差点の前にくる。彼女は来る前に安吾の腕を掴んでいた。

 来るのかと思う前に、一瞬で周囲は濃霧と信号機と横断歩道しか見えなくなる。前兆も無しに『とおりゃんせの常世信号』に切り替わった。

 横断歩道の奥にはやはり遠吠えと人影のようなものが現れる。『わんこ』の背後からも遠吠えとが聞こえるが、すぐに安吾が何かを唱えて周囲の霧を払わせていく。霧が消え、周囲の風景が戻っていった。

 その度、『わんこ』は地図を出してチェックをつけていく。近くの交差点へと向かうと、『とおりゃんせの常世信号』が発生する。その度、封じては二度と起こらないように場を整えた。場所を移し、江川町通りと言われる道路へ向かう。二つのスクランブル交差点へと向かうと同じように発生し、安吾が封じた。

 通りのスクランブル交差点を二つの終え、霧がなくなった交差点を見て『わんこ』は地図に赤ペンのチェックを付け終えた。ペンの蓋をし、『わんこ』はコピーしチェックした地図を見た。


「……残りはあと二つ。結構地道だね」


 彼女の言葉に、安吾は苦笑した。


「ええ、まあ。けど、ここまで狙いが定められるもいっそ清々しいですね」

「うん、本当に私が来たら音楽装置付きのスクランブル交差点で、唐突に起きるんだもん。草薙で遭遇したものと違うって、本当にわかるなぁ……」


 実感をし、『わんこ』は安吾に聞く。


「安吾さん。今は犬神は追ってるけど、最終的には……」

「ええ、倒します。出回ってる犬神ほど厄介なものはない。……そもそも、犬神が出回ってる事自体がおかしいのです。あれは、式神や妖怪の一種と数えられるとしても本質は呪いです。宿主を失っているならばその人間とともに死ぬか、他の人間に取り憑いているのか……」


 話を聞き、『わんこ』は首を勢いよく安吾に向けた。


「じゃあ、お母さんが生きている可能性もあるの……!?」

「低いといえど可能性は否定できませんが……最悪を想定しておくことを推奨します」


 最悪の想定と言われ、彼女は呆然とする。何が最悪なのかがこの時の彼女はわからない。母親は犬神により『とおりゃんせの常世信号』に誘われ、戻って来なかった。常世の名の通り死んでいると予想できるが、その死を覚悟しろということなのかと。

 安吾と『わんこ』は次の信号機に向かう。

 次の信号機は私鉄の駅に近くだ。スクランブル交差点が見えてくると、瞬きをした時に周囲は濃霧へと包まれていた。スクランブル交差点で怪異が発生しないように施す。安吾の腕を掴み、衝動を押さえる。

 人影が表れ、遠吠えが聞こえる。『わんこ』の背後からも遠吠えが聞こえ、彼女は強く腕を掴む。聞き慣れてきたとはいえ、犬神を知ってからはいいものではない。


「……何?」


 安吾は目を開けて驚いている。驚いている方向は人影にあり、『わんこ』はその人影に首を向けた。人影が霧の中から出てこようとしている。様子を見ていると、それは姿を表す。

 ボロボロになった上着とワンピースだが、肌の色は悪く所々に獣の噛み跡のようなものが見える。黒髪の美女が虚ろの目で素足で歩いて現れた。経年劣化したような跡や匂いはなく、消えた当時そのままの姿だ。変わり果てていたとしても『わんこ』は覚えがある。女性に向かって、彼女は身内の名称を呼ぶ。


「……おかあ、さん……」


 光のハイライトすら入らない瞳を『わんこ』に向けた。

 犬の姿となった『わんこ』の母親。昔、横断歩道と濃霧の中に消えて行方不明になった。母親に駆け寄りたいが堪えて、『わんこ』は横断歩道にいる女性を見た。

 母親はちゃんとした母であった。子供の頃に声をかければ、明るい返事をしてくれる母親だ。だが、虚ろの目で彼女をターゲットのように見続けているような人ではなかった。

 女性は牙をむき出しにし、目つきを鋭くしていく。表情は人のものではなくなり、『わんこ』のように威嚇をし始めた。彼の言っていた最悪がわかり、彼女は身をすくめる。

 安吾は彼女の前に出て身を構える。


「あさがおさん。聞きますが、あれは貴方から見て母といえますか?」


 聞かれ彼女は耳を倒し、尻尾を足の間に持ってくる。今更ながら『わんこ』は理解する。もう既に母親はこの世にいないのだと。目から涙を流し体を震わせながら首を横に振る。


「違う……違うよ……! あれは、あれは違う」


 女性を見据え、力強く拒絶を示した。


「あれは、お母さんの体を乗っ盗った犬神だ! お母さんじゃない!

お母さんは、犬神に殺された!」


 女性──いや、犬神は爪を伸ばし、鋭くした。人ではありえぬスピードで『わんこ』にめがけて走り出し、牙と爪を向けようとする。この行動で更に母でないと、彼女は実感した。瞬きをすると安吾が消えていた。もう一回瞬きをすると安吾は犬神を蹴り飛ばしていた。

 蹴りの力が強いのか、犬神は霧の奥へと消えていく。安吾は何かをつぶやくと、周囲の霧が晴れていった。『とおりゃんせの常世信号』が消える。

 安吾は周囲を見回し、一つの方向に目を向けた。地図では最後のスクランブル交差点がある場所だ。真剣な面持ちで安吾は口を開く。


「最後の一つの信号を封じる前に、あの犬神を倒しましょう。あそこまで形を得ると現世に害をなす。野放しにできません」

「……っ!」


 彼女は顔色を変える。仮に乗っ取られているとはいえ、体は母親だ。安吾の腕を強く掴み、『わんこ』は必死で首を横に振る。


「駄目……体は、体はお母さんなの……!

お願い、体は傷付けないで。せめてお墓に入れさせて……!」


 中身がないのは知っている。せめての母親の供養だけはしたかった。彼女の言葉を聞いた彼は首肯し、優しげに笑う。


「ご安心を。むしろ、中身だけ潰すつもりでしたので。ああいう風に死者を弄ぶ事自体、許されないですしね」


 彼女がほっとしていると、安吾は背を向けて拳を握る。


「元より肉体自体がないのに宿主を殺し肉体を乗っ取て活動する。これが僕にとって甚だしい上に許せません。無象は無象のままであればいいものの。元より形があったくせに、本当烏滸がましい」


 穏やかに言っているが、声色は低く奥に良くないものが含んでいる。安吾の声を聞き、彼女は犬のように低く鳴いて怯えて震える。表情はわからないが、『わんこ』は安吾の手が強く握られているのに気づいていた。

 何が烏滸がましいのかわからないが、彼女が感じた気持ちは一つだけわかる。

 嫉妬。理由はわからないが、安吾は犬神に対して嫉妬をしている。『わんこ』は安吾がなにかに嫉妬していることは感じていた。


「くぅーん……安吾さん……」


 呼ぶと彼は振り返り苦笑する。


「怖がらせて申し訳ございません。……早く貴女の姿を戻す手がかりも見つけないといけませんね」


 雰囲気はいつもの安吾であり、『わんこ』は戸惑いながらゆっくりと頷く。

 彼女は彼とともに目的のスクランブル交差点へと向かう。『わんこ』は安吾に助けられた日を思い出した。

 日の出を見て、かたわれどきの意味を教えてくれていたときだ。彼は日の出の光景を見てこういった。


【ええ、どちらもあるからつけられたんです。……本当──】


 彼女は今でもその言葉を覚えている。


【本当、羨ましい】


 切なげに羨ましそうに、日の出を見続けていたのだ。

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