5 時代なら時代 郷なら郷に従うべし
券と共に小銭を入れ、『わんこ』はバスから降りた。おまちに行くということもあり、洒落た格好で行く。
翌日の朝、駅の周囲がしらんで見えた。朝に出る朝霧が漂うというものではない。草薙駅前につき、彼女はスクランブル交差点に近付く。一歩歩く事に霧は濃くなる。周囲の町並みは見えない。横断歩道の白線と道路、信号機とスピーカー。そして、通学や通勤をしようとする通行人しか見えなくなる。
彼女が声をかけようとする前に、一気に強風が吹く。『わんこ』は身構えて目を閉じる。通行人たちも強さに少し声を上げ、靡く髪を押さえる人物もいる。服なども風によって、捲られるが強い風はすぐにおさまる。
彼女が目を開けると、周辺の風景と奥に列車が走っているのが見えた。
私鉄の路線であり、少し古さを感じさせるオールステンレス製の列車。未来ではすでにほぼ運行していないと言えよう。赤信号の待ち時間を表すメーターが切り替わる。青信号となるとスピーカーからはご当地メロディ『富士山』の曲が流れていた。曲が流れるとともに、横断歩道を渡る人々。『わんこ』はきょとんとした。
「曲が流れる前で良かったですね」
振り返ると安吾がいた。Tシャツとズボンにスニーカーという差し障りのない出掛け着の格好をしている。『わんこ』は彼に近づき、軽く一礼をする。
「安吾さん、おはよう! それに、ありがとう。今のは昨日とやったことと同じ?」
「はい、おはようございます。ええ、そうです。この辺りの境界を整えて補強しました。しばらく、ここで怪談は生まれないでしょう」
彼女は胸を撫で下ろした。バス停や私鉄や元国鉄の駅もあるゆえに人通りも多い。ここで怪談が起きた場合、確実に大騒ぎになる。この場での不安事を避けられたが、まだ起こる場所はある。この場を去る前に、『わんこ』は聞く。
「安吾さん。この怪談は現象系とか行ってたけど、怪談に種類とかあるの?」
「生物という形として変生し現れるか、現象という形で発生するかの違いですね。僕たちが遭遇しているのは現象系というやつです。複合している場合もありますが、大まかに分類とこうなりますね」
「それって生物に出てくる何目何科何属みたいな……?」
「生物の図鑑にある動物の属性というやつですね。ええ、案外それに近いかもしれません。生物のような創作の怪異は個として存在することもありますから、恐らくですが」
生物の分類に近いと言われ、『わんこ』は苦笑をした。
「何かそう聞くと生物っぽくて、あまり怖くないかも」
「いえ、生物も怖いですし、普通の生物より殺傷能力は高いので怖がってください。熊可愛いと思っていているうちに、熊に爪で裂かれて食われているとか。蟻の巣じゃなくて毒蟻の巣だったとか。わかりやすく言うと、突撃お前が晩御飯というやつですね。油断大敵です」
「……現実的な例えすぎる。……うん、気をつけるよ」
耳を倒し、尻尾を振るのを辞める。安吾に現実に引き戻されるような答えを言われた。熊は可愛いように見えて、人よりも力がある。ヒグマであろうが、ツキノワグマであろうが嘗めてはいけない。蟻の巣も普通に見えて毒蟻の巣であることもある。外来種が入っていている時代ならばよく分かるであろう。『わんこ』は倒した耳を戻し、納得したように頷く。
「けど、種類があるのはわかったけど……こんな人通りがある場所で生まれるとは思わなかったな」
「条件に合致していたからこそ、相手がここを利用したのでしょう。怪談の怪異は滅多に生まれないとはいえ、です」
「ここを利用した……?」
彼女が不思議そうに聞くと、安吾は横断歩道の一帯を指差す。『わんこ』が首を向けると彼は教えてくれた。
「境界です。横断歩道とは、向こう側の歩道を渡るための橋のようなもの。ですから、横断歩道を境界と見立てて利用し発生させたのでしょう。横断歩道を渡るものと認識しているなら、尚更でしょうね」
境界と言われ、彼女は腑に落ちた。横断歩道の白線のラインがあるからこそ、反対側の歩道に渡れる。多くの人間が横断歩道を向こう側に渡るためのものであると認識していた。またその境界であると象徴させる信号機があるならば。
指をおろし安吾はスクランブル交差点を見つめ、話を続ける。
「さらに、ここが十字路……四辻のようなものだからでしょうか。スクランブル交差点とやらは、辻の形に近いからか余計に境界となり得る。辻とは、古来よりあの世とこの世の境界と言われています」
「……だから、ここで『とおりゃんせの常世信号』が発生させられた……?」
答えを口にすると、安吾は複雑そうな話す。
「ええ、ここであの怪異を発生させたのは、多くの人間を取り込むつもりだったのかもしれませんね。さっき発生したばかりのようですから、防げてよかったです」
多くの人間を犠牲にするつもりだったと聞き、彼女は言葉を失う。意図的に発生させたのであれば、早く次に行かなければならない。彼の腕を引っ張り、『わんこ』は急かす。
「安吾さん。次行こう次! 地図は持ってきてるから! 早く抑えよう!」
ぐいぐいと『わんこ』が引っ張る様子は散歩を急かす犬のようだ。安吾は困ったように笑いなだめる。
「わかりましたわかりました。先程のようにすぐに起きるわけではありませんし、逃げていきません。発生する前に防ぐっていう方法を取りますが、さて、どちらの駅の改札にいきます?」
「とりあえず、東海の方! 距離的に遠い方からせめてきたい!」
元国鉄の駅の方からスクランブル交差点の方を抑えていく。順番はどこからでもいいが、距離が遠い方からせめたほうが楽と考えたのだろう。駅に向かう前に、『わんこ』は安吾を見た。名古屋や横浜のように大都会というわけではない。だが、駿府城下ということもあり、安吾の服装が気になった。
「……あの、安吾さん。一応私達が行く場所ってちょっと人通りが多い場所なんだけど服って……持ってる?」
「服? 持ってますよ?」
「あっ、そうじゃなくて数の話。出掛け着とか持ってる……?」
土日とか同じ格好しか見たことがない。夏になるまで、春の服も同じような服を着ていた覚えがある。彼女に指摘され、安吾は瞬きをする。
「……数は持ってませんよ? 今の出掛け着といえる夏の服は、これだけです」
致命的であり、『わんこ』は急ごうと言う思いが冷めた。ズボラというよりも、恐らく何を着ていいのかわからないのだろう。また彼の気にしてない素振りからして世間知らずな面が出たと見た。
「……駅についたらデパートとか併設してるから、流石に服を買おう? そして、今日着よう。お金。ある? ないなら……」
「あっ、お気遣いなく、大丈夫です。お金はたくさんありますから」
と安吾はバッグから出したのは、大きな封筒に入った札束であった。
その封筒の口から札束の頭が見えた。百万円は余裕であるのは札束の厚みから見てわかる。流石に『わんこ』は口をあんぐりとさせた。通り過ぎていく人物はドン引いた顔であることは言うまでもない。公衆の面前で札束を普通は出すものではない。傍から見て援助交際か、特殊詐欺の現場か。明らかに印象はよろしくない。
近くに交番があることを思い出し、彼女は慌てて彼のバッグに仕舞わせた。
「っちょ、まっ、安吾さんの馬鹿! すぐに仕舞って!!」
「えっ」
「えっ、じゃないの! 札束なんて、普通は持ち歩くものじゃないのっ!
そこまで常識知らずなのやめて!!」
すぐにバッグの奥底に仕舞わせ、『わんこ』は慌てて問う。
「ねぇ、安吾さん。がま口以外のお札を入れる財布は? もしくはクレジットカードとか、そういうのないの!?」
大金などトランクがない限り、持ち運べるものではない。普通は銀行にあずけているか、カードなどで支払うか。封筒などでお金を持っていくとなると、相当な買い物か大事関連となる。
彼女に言われ、安吾は瞬きをした。
「えっ、がま口の財布以外ないですし、お札を持ち歩くときは封筒にしてますけど……?」
彼女は頭を抱えた。流石に大金を持ち歩かせるわけに行かず、『わんこ』は安吾の腕を掴むが、今度は犬のようではない。逃すものかという意思が込められていた。安吾も感じ取ったのか、表情を引きつらせていた。
「えっ、えっと……あさがおさん?」
安吾を見ながら、『わんこ』は必死な顔で言う。
「……安吾さん。巡る前に、買い物しよっか?
流石にここまで無頓着なの駄目だよ……?」
言われ、彼はきょとんとする。彼女の言っている意味を理解したのは、買い物し終えたあとであった。
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