1 夏、図書館での勉強

 七月。三連休の土曜日にて。セミの鳴き声は走っていく車の音で消されるだろう。各地では夏休みに入っており、『わんこ』も夏休みに入っていた。そのおかげでしばらくは安吾の世間慣れに付き合える。夏休みの宿題にも興味がありそうだった為、今も持ってきて安吾に見せたりしている。

 数学や科学にも安吾は興味があったらしく、小学六年生までに習ったものなら理解できるようだ。安吾は手にしている教科書を興味深そうに見ていた。


「図書館で色々と見てましたが、教科書というものはわかりやすく書いてくれてますね! 僕も学生になりたいです……!」

「安吾さんが学生って……想像つかないなぁ……」


 ジュースをプラスチックのストローで飲む。

 時間帯はお昼ごろ。『わんこ』と安吾はカフェでご飯を食べ終えたあと、お茶をしていた。

 県立美術館にあるレストラン。安吾は漢字の勉強ついでに、『わんこ』は夏休みの宿題を終わらせるために来た。夏であるが故に涼し気な格好をしている。彼女はスカートや半袖、安吾もスェットに半袖のYシャツを着ている。安吾は教科書を彼女に返しながら質問をする。


「ところで、あさがおさんはここの図書館で良かったのですか?」

「うん、交通の便とか距離を考えるとちゃんと行ける図書館はここしかないの。

一応自由研究って形なんだけどね……」

「へぇ、自由研究。学校というものは、面白そうですね」

「自由だから色んなものを研究していいの。私の内容は妖怪かな。一応、自由研究っていう名目で安吾さんだけ調べさせるのは悪いから……」


 安吾ばかりに調べさせるのは申し訳なく、自分も調べようと思ったのだ。『わんこ』の言葉に安吾は嬉しそうだが申し訳なさそうに話す。


「嬉しいです。気持ちは嬉しいですが、僕の自身もまだ断定はできないのでお手伝いはまたの機会に。すみません」

「……そうなの?」

「ええ、中々判断しづらいものでしてね。いや、パソコンとかある程度使えればいいんですけどね。地道にやってるので……」


 苦笑する安吾からの自虐とも取れる言葉に、『わんこ』は何も言えなくなる。安吾はコーヒーに砂糖とミルクを入れ、彼女に聞く。


「妖怪といいますが、あさがおさんはどこの地域を調べるのですか?」


 聞かれ、『わんこ』は答えた。


「四国かな。私のお母さん、四国の出身だから」


 四国と聞き、安吾はコーヒーカップの伸ばした手を止めた。瞼を開けて、目を丸くしていた。


「四国? 四国とは阿波国……っと、いや今は徳島県ですね。香川県、愛媛県、高知県のあの?」

「うん、お母さん。四国の田舎の出身でなんでも都会に出たくて上京して、そこでお父さんに出会ったんだって言ってたんだ」

「……ちなみに、お母様の出身は?」

「本人は徳島の田舎とは言ってたけど」


 安吾は話を聞き、険しい顔をする。あまりいいとは言えない表情であり、『わんこ』は恐る恐る聞く。


「……あの、安吾さん。どうしたの……?」

「……あさがおさんは、その友人と別れる前は異常とか起きませんでした?」


 聞かれ、彼女は意味がわからなかった。だが、思い起こす限り、■■と別れてからの異常や奇行はなかったと思える。


「異常とか奇行とか、異変もなく普通に過ごしていたと思うけど……」


 素直に答えると安吾は難しそうな顔をしながら数分ほど沈黙した。決心がついたのか、真剣な面持ちで『わんこ』に話す。


「あさがおさん。この後図書館に調べ物をしに行きますよね?」

「えっ、うん。それがどうした?」


 安吾はバッグからメモを出し、筆箱から鉛筆を出す。

 鉛筆から文字が書き出されていく。手紙のやり取りの成果もあってか、手慣れたように漢字やひらがなを書いていく。ビリっと破られると、安吾がメモの一枚を渡す。


「これを。書かれているのは本の題名です。おそらく自由研究にも役立つでしょう」

「えっ、あっ、ありがとう!」


 彼女は驚いて嬉しそうに受け取ったあと、安吾は注意をした。


「あさがおさん。もし自由研究の課題を妖怪にするなら、憑き物筋について発表するのはおやめなさい」


 注意を受け、『わんこ』はキョトンとする。

 憑き物筋。彼女にとって聞いたことのない言葉だからだ。知らないという顔をする『わんこ』に彼は教えた。


「あれは、貴方にとってある意味は諸刃の剣となり得る。僕は何を聞かれても断定はできないと言います。僕が確信得られない限り、話せません。……いいですね?」

「……は、はぁ……」


 真剣な顔をしていう安吾に、『わんこ』は何気なく頷いてみせた。



 カフェを出て会計を済ませたあと、美術館の近くにある県立中央図書館へと向かう。安吾は他の分野にも興味を持ったのか、科学や研究の本を持ってきて読んでいた。彼女は彼のメモを頼りに本棚から本を取る。

 地域資料や民俗学にもあるような難しい本もあった。貸出禁止の本もある。貸出禁止の本を優先して『わんこ』はテーブルに持っていき、席について読み始めた。

 四国についてピックアップされた物もあり、『わんこ』は何を調べようかと目次のページを開いてみたとき、ある項目に気になるものがあった。

【犬神】

 その項目を見て、彼女はビクッと震えた。

 汗が流れる。瞬きをすると周囲に黒いネズミやイタチのような動物が彼女たちの目の前をウロウロしていた。皮膚らしき場所にいくつもの目があり、ネズミやイタチとも言えない。腐敗臭が遠くから漂ってくる。


 あまりの気持ち悪さに吠えようとしたとき、近くで軽い音がした。


 彼女ははっとすると腐敗臭は遠退き、周囲はいつもの図書館の風景があった。視界に映る気持ち悪い動物はいない。横を見ると逞しい腕がある。腕の主に首と身体を向けると、安吾が真剣な顔で開眼していた。

 いつも以上に険しい顔をしており、顔が近くに見れることに顔に熱を感じて恐る恐る口を開く。


「あ、安吾さん……?」


 名前を呼ぶと彼は困ったように微笑み、本を差し出す。


「本、落ちてましたよ」

「えっ、あっ、すみません……」


 本を受け取り、安吾は「では」と少し離れた机の方へと向かう。『わんこ』の表紙を見て気付く。

 境界や境界線に関する本であり、自分が落とした本ではない。本を落としておらず、安吾が落としたと言って渡してきたのは嘘だ。恐らく、『わんこ』から何かを守ってくれたのだろう。察して、彼女は後で感謝を言おうと考えた。しかし、問題は犬神という言葉を見て、異様なものを見て感じたことだ。

 犬神というものは何なのか、憑き物筋とは何なのか。関係しているのはわかるが、今はやめとこうと彼女は考える。犬神以外のものを調べようと考えた。

 本を調べていくうちに、映画で出てきた狸にする。

 彼女は狸を調べることにし、隠神刑部と金長狸の二つにする。理由はバス停から見える銀行の近くにある大きな信楽焼の狸が見えたからだ。

 夕方の四時頃。日が暮れるのはまだ遅い。蝉の鳴き声と日差しの強さにため息を付きながら図書館を出た。その後、安吾に調べる妖怪を聞かれ答えると、安吾は失笑した後に大笑いしだす。お腹を抱えるほどであり、『わんこ』はきょとんとする。何でも狸が知り合いにいるらしく、思い出して笑ってしまったようだ。それは駅につくまで続いた。

 駅に近づくに連れて、周囲が薄い白のエフェクトがかかっているように見える。彼女は横に首を傾げていると、隣で笑い声が聞こえた。

 見るとバッグを片手に安吾は笑いを堪えている。


「っ……すみません。あさがおさん」

「大丈夫。怒ってないし、狸の半妖の方っていたんだなって思っただけだし」

「いやっ、四国といえばそうなんですけどね。不意に出てきたのでつい笑ってしまいました」


 狸の半妖と聞き、それほど愉快な人物なのかと『わんこ』は考えた。可笑しそうに笑う安吾を見て、彼女は微笑みを浮かべてみせた。本当の顔ではないとはいえ、こうして話して交流してくれるのは嬉しい。

 周囲が少しずつ、白いなにかに覆われていく気が来た。

 歩いていく最中、スクランブル交差点の信号につく。安吾は不思議そうにスクランブルの歩行者の信号を見る。

 歩行者信号についている横断できる時間をあらわすメーターの標識。スピーカーからは富士山という富士山に因む県ならではの曲が流れてくる。普通は『故郷の空』や『とおりゃんせ』などが流れてくる。他の場所では地元ならではの音楽装置もあるであろう。未来では地元の特有のメロディは流れなくなり、メロディが流れる信号機はなくなる。

 今はまだ赤であり、曲は流れない。

 周囲の風景が白んできた気がし、彼女は小首をかしげる。気になったらしく安吾は気になったらしく、『わんこ』に聞く。


「そういえば、あの交差しているような道についている信号機、メーターと言うんでしたってけ? 渡れる時間を示していますが、あのスピーカーは?」

「風景が見えない人用のもの。音楽装置というもので、他の信号ではかっこうとか鳥の鳴き声が多いけど、中には曲の一部を流すものがあるの。静岡の場合は『富士山』かな。鼻歌で歌うけどこんな感じ」


 『わんこ』が鼻歌でその歌を歌う中、横断歩道の前につくと霧が濃くなっていく。周囲が横断歩道と信号機以外が見えなくなる。流石の異常に『わんこ』は鼻歌をやめ、目を丸くした。


「霧が……えっ!?」

「……これは」


 安吾は笑うのをやめ、眉間にシワを寄せ周囲を見る。

 横断歩道の信号の色は普通は青に変わる。青信号になるはずが、赤となる。歩行する人の記号は変わらない。二つとも赤信号なのは可笑しい。スピーカーから流れてくる曲は富士山ではない。トーンを低くした『とおりゃんせ』であった。

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