8 わんこ達、戻ろうとする

 鬼が後ろによろける。安吾は追撃に飛び上がり、鬼の頬めがけて蹴りを入れた。鬼は横に倒れそうになりつつも、勢いよく手を道路の上につく。彼は地面を着地し、鋭い目つきで鬼へと笑みを向ける。


「けど、僕は無辜の人間を食べる趣味はない。彼女は巻き込まれただけの人間。元の世界に返してあげたいのです。貴方には彼女を食うつもりで僕たちの前に現れたのでしょう。ですが、お引き取り願いたい。僕たちには時間がない」


 厳しい声で丁寧に告げ、手を撫でながら安吾は笑みを深くした。


「まあ、貴方から感じる瘴気から見るに、諦めが悪そうなのでこう手を出しましたが。……禁忌を犯していないようなので、殺すまではしませんよ」

[っ……! この!]


 起き上がり、鬼は拳を握り安吾に殴りかかろうとする。が、安吾はすぐに避け、鬼の二の腕に手を添える。手に添えた腕を流れるように下へ向ける。鬼を勢いよく地面に突っ込ませた。地面はコンクリートである故に、さらに痛いであろう。鬼はゆっくりと起き上がり、鬼は顔を押さえる。血をポタポタと流していた。

 合気道を応用し、彼は鬼を地に伏せさせたのだ。鬼は安吾を見つめ、怒りを滲ませる。


[てめぇ……!]


 安吾は足を開き、拳を構えた。鼻から深く息を吸って、口から長く吐く。心身を落ち着かせようとしているのだろう。その間、鬼が安吾に目掛けて拳が振るわれる。彼女は息を呑み、目をギュッとつむる。

 風を切る音がする、だけ。安吾は紙一重で避けたのだ。すぐに鬼の懐に入り、腹にもう一度、腹パンをした。先程よりも強く鈍い音が聞こえる。

 苦痛の声を上げながら、鬼が膝をつきうずくまる。安吾は後ろに飛び下がり、『わんこ』に声をかけた。


「あさがおさん。何もないですか?」

「えっ、あっ、はい!」


 返事をする彼女にほっとしつつ、安吾はポケットから携帯を出し、サブディスプレイを見る。4時39分。彼女は息を呑み、安吾は舌打ちをして携帯をポケットにしまった。


「っまずい。すみません。余計な時間を。……急いで走りましょう!」

「っ、はい!」


 すぐに顔色を変え返事をし、『わんこ』は安吾ともに走り出した。公園までは遠くない。鬼の横を通り過ぎて、二人は急いで足を動かしていく。

 先程、動いたというのに息を切らしていない。また鬼の攻撃から避ける様子から、『わんこ』は本当に人外の血を引いているのだと実感した。

 コンクリートの上を急いで駆け出していくさなか、背後から音が聞こえる。


[待ち、やがれっ!]


 後ろからは鬼が苦しげに追いかけてきていた。


「後ろ向いている暇はありませんよ。走って!」


 安吾の言葉に『わんこ』は後ろを向かず、走る速度を上げた。忠霊塔公園前のグラウンドにつき、二人は中に入って階段を上がっていく。

 息を切らしながら、階段を上がっていく。安吾が入口前に先につくと携帯を出し、時間を確認していた。鬼がグラウンドの前に来た。


[逃がすかぁぁ!!]


 鬼が人ではないスピードで追いかけて来た。『わんこ』は後ろを一瞬向き、ビクッとした後、階段を二段ほど抜かして上がるやり方で上へと目指す。安吾は彼女に向かって手を伸ばす。


「っあさがおさん! 手を!」

[まてぇぇぇ!!]


 鬼も『わんこ』に向かって、手を伸ばした。伸ばされる手につかめるか、捕らえられる手に捕まえられるか。彼女は足に力を込めて、伸ばされる安吾の手を掴む。


「っ! しまっ」

「っ!」


 一瞬掴まらないと彼女は思ったが、安吾がしっかりと掴み勢いよく引っ張った。腕の中へと納めた。勢いよく引っ張った衝動か安吾は後ろによろけて、彼女諸共モニュメントの間を倒れていく。

 鬼は二人に向かって飛びかかっていく。逃がすまいという意志が強い。『わんこ』は伸ばして近づいてくる鬼の手を目を丸くして見ていた。が、安吾のガラケー機種なる携帯のサブディスプレイ。その画面の時計は時を刻む。『4:43』から『4:44』とへ。

 千木を模したモニュメントの間を通り、忠霊塔広場に向かって二人は倒れる。安吾は受け身を取り、大した怪我はないが地面にぶつかった痛みだけはある。

 安吾は痛みを堪えながら、腕の中にいる『わんこ』に声をかけた。


「っててて……あさがおさん。大丈夫ですか?」

「っ……はい……って」


 彼女は気付く。

 周囲から聞こえる虫の声と鳥の声。道路から聞こえる郵便配達のバイクの音。周囲が明るく、空に細かく見えていた星が二等星までしか見えない。匂いも彼女にとって馴染みの深いものだ。安吾も気付いたらしく、手にしている携帯を開いて細かい時間も確認する。『わんこ』も気になっていると、画面の時計を覗かせてくれた。『4時44分25秒』とそこにあり、『わんこ』と安吾は顔を見合わせる。


「……帰って……来れたのですか?」


 彼女は問うと、安吾は真剣な顔をして携帯の時計を見る。


「……時計が45分になったら動きましょう。動いてまた逆戻りも嫌ですしね」

「……それも、そうですね」

「……すみません。このままの体勢で耐えてください」


 彼の言う通りであり、『わんこ』は頷いて大人しく彼の腕の中にいる。安吾から悪い匂いがしないどころか、良い匂いがする。居心地がいいと思ってうとうとしそうになるが、すぐに我に返る。

 先程全力で逃げて走ったせいか、疲れたようだ。寺で寝たとはいえ、ちゃんとベッドの上で休まなくては意味がない。

 安吾の手にしている時計が45分になった。彼は『わんこ』を開放する。彼女も時計を見て、起き上がった。続いて安吾も起き上がると彼女は階段の先を見る。

 モニュメントの間を通るが、黄泉比良坂に入ったときのような違和感はない。

 真夜中ではあるが車が走り、犬の散歩をしている人がいる。グラウンドの近くには女学生が乗っていた自転車があった。風が吹く中馴染み深い香りがし、『わんこ』は瞳を潤ませる。ちゃんと出せる言葉を、彼女は口にした。


「……帰って、これたんだ……!」


 帰ってこれたが二つの自転車が目につき、『わんこ』は耳を垂らして悲しげな顔をする。

 夢ではない。非現実のように思えて現実。二人の女学生が犠牲になったことは変わらない。安吾は近付き、彼女に声をかける。


「あれらのこと、まだ気にしているのですか?」

「……あれらって……」


 人扱いすらしないことに彼女は非難の目線を向ける。避難すら気にせず、彼は悪びれもなく微笑む。


「ええ、あれらは運がなかったんですよ。日頃の行いが仇となったのでしょう。あの悪意の向け方、小さい頃の相方を泣かせた奴らそっくりです。僕が言うのもおかしいですけど、ああいう奴らは心底気持ち悪い」


 倫理観が違うのか分からないが、正義感だけはあるようだ。安吾は彼女に顔を向け、提案をしてきた。


「少し休みましょう。近くに自動販売機がありますよね。何か飲みますか?」

「……買えます?」


 不安げに見るわんこに、安吾は複雑そうに頬を掻く。


「信用されてませんね……。それもそうなんですけど……ご安心を。それぐらいの仕組みはわかります。相方や仲間に練習は付き合ってもらっているので」

「……じゃあ……」


 心配になりつつ飲料水の商品名を伝えた。聞いたあとに階段を降りていく。『わんこ』は【迎山景勝之地】とある石碑の近くに腰を掛ける。今の時間は何時なのか。時計を持ってないことを不便に思い、『わんこ』は大型の商業施設で時計を買おうと考えた。

 空を見ると、夜空から朝の空へと塗り替わりつつある。朝になろうとしている空気はどこか静かだ。息をついていると、はっとして気付いた。

 安吾が自動販売機で買える小銭を持っているかどうか。階段を降りようかと考えるが、近くに交番がある。下手すると警察官と遭遇する恐れもあり、真夜中に中学生がいる事柄を怪しまれる。

 どうしようかと考えていると。


「あさがおさん。買ってきました」


 声をかけられた。

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