3 わんこは不思議な男性と出会う
いつの間にいたのか。彼女は驚いて、その男性を見た。相手は『わんこ』が降りたときにはいなかった。いや、道中にも彼のいる素振りはなかった。男性は『わんこ』に手を差し出す。その手を見ていると、彼は申し訳無さそうに差し出してない手で頬を掻く。
「大丈夫ですか? 僕が唐突に現れて、驚いたでしょう。すみません」
「……いえ」
「自分で立ち上がれますか?」
「……いえ、……手を、ありがとうございます」
彼の手を手にして、立ち上がる。いや、その方法しかない。彼女は力が抜けて自力で立ち上がれなかったのだ。
相手の手を借りて、『わんこ』は立ち上がり、尻やスカートに付いた砂を払う。尻尾も勝手に振って砂とホコリを払うと、男性は興味深そうに尻尾を見ていた。
「ほぉ、尻尾と耳も動くのですね。やはり、犬の姿に見えたのは僕の見間違いではなかったですか」
「──……えっ、わかるの!?」
恐怖よりも驚きが勝り、『わんこ』は食いかかるように聞く。男性も迫って聞いてくる彼女に驚きつつ、ゆっくりと頷く。
「え、ええ。僕は見えます。恐らく、さっきの鬼もそうなのでしょう。妖怪からすると貴方は犬の姿に見えた。鬼は貴女を妖怪と勘違いした」
「……そ、そうなの。……って、あれ? 貴方は人なの?」
彼がいったことに、『わんこ』は気になり訪ねる。しばらくしたあと、彼ははっとしたように目を開いた。恐らく失言に近いであろう。その後は目を糸目に戻し、悩ましげに笑う。
「……えっと、まあ……僕はその……うーん」
一瞬だけ思考したあと、仕方ないというように『わんこ』に顔を向けて話す。
「うん、そうですね。はい、半分だけ人じゃないんです。僕。
僕は貴女に今朝のお礼を言いたくて、実は貴女を探していたのですが……」
「……もしかして、人じゃないって指摘したのまずかったですか……?」
「……………………いいえ。僕に非があるので、貴女は気にしないでください」
指摘した瞬間、彼は間をおいてから話す。不味かったのだろう。申し訳無さを覚えつつ、彼が心配になる。この男性の行動が自動販売機の件から、どこか抜けているように思える。
彼は咳払いをし、『わんこ』に笑ってみせた。
「はじめまして。僕は安吾。鷹坂安吾と申します。僕のことは気軽に安吾とお呼びください。よろしくお願いします」
「……ええ、はい。よろしく、お願いします」
自己紹介をされて『わんこ』は頭を下げると、不思議そうに安吾から見られる。
「おや、自己紹介したら自己紹介をし返す。礼儀だと思いましたが……自己紹介したくないのですか?」
言われると『わんこ』は耳を垂らして、目線を下に向けた。
学校の自己紹介のときに名前を名乗るが、用事以外で呼ばれることは少ない。最も彼女はあまり自分の名前を呼ばれなくていいと思っている。■■のことについて気付けなかった罪悪感が強く、彼女は自分の名前を名乗りたくなかった。
「……ごめん、なさい。私は、名前を名乗る資格が、ないのです」
「……それは、個人的にですか?」
「……はい、ごめんなさい」
優しく聞く安吾に『わんこ』は頷く。喧嘩別れしたことが、心の奥で深く突き刺さっている。彼女は自分の名前は名乗るべきでないと考えていた。安吾は『わんこ』を見つめながら考え、思いついたように指を鳴らす。
「そうだ! 『あさがお』なんて、あだ名なんていかがでしょう?」
「あさ……がお?」
耳を立てて彼女はきょとんとした。犬に関連付けられたあだ名は呼ばれたことある。彼女は花から取られたあだ名は初めてだ。
安吾はにこやかに『わんこ』に話す。
「ええ、あさがお。あの花の朝顔です。風情のある夏の花ですし、恐らく貴女にふさわしいのではないでしょうか」
「ふさわしいとか……いやいや。でも、ポチよりマシですね」
「ふふ、では、僕だけが貴女をあさがおと呼びましょう。いつか貴方が自分の名前を誇れて名乗れるようになるまで、ね」
どこまで心情を読めているのか。『わんこ』は気になりつつも、苦笑した。
「──すみません」
すると、彼女に安吾は手を出す。
「ありがとう。それだけでいいのですよ」
出された手にわんこは彼を見る。優しく朝焼けの空のように笑っていた。
「では、改めて。初めまして、僕は鷹坂安吾。安吾と呼んでください。
名前は自分が名乗れるようになったときに、僕に教えてくださいね。あさがおさん」
声は柔らかく、向けられる目は暖かくて、やさしい。和やかな気持ちを向けられるのは久しぶりである。『わんこ』は泣きそうになりつつも安吾の手を握った。
「はい、よろしくお願いします。安吾さん」
手を握り、互いに握手をした。安吾が握った瞬間、「おっ」と興味深そうに『わんこ』の手を両手で握る。
「開いてもいいですか?」
「えっ、どうぞ……?」
彼女の手を開いて見る。指の腹や掌に肉球などがある。腕や首には犬としての体毛があり、犬の獣人として安吾の目には写っている。彼女の全体を見つめ、複雑そうな顔をしていた。
「ところで、あさがおさん。いつからあなたはこのような状態に?」
「……ええっと、異変が起きたのは……四年前ぐらいかな?
愛犬が亡くなって、その一年後に母親が亡くなったあと聴覚が良くなったり、その一年後に嗅覚が良くなったりとか、一年ごとに変化がありました。そして、中学入学前にはこの姿に。この姿は、私の愛犬のミヤコの姿なんです」
わかるなら教えてもいいだろうと、『わんこ』は教える。今まで打ち明けられなかったゆえに事細かに教えた。安吾は話を聞き、真剣な顔をして考える。
「……妙ですね」
「で、ですよね!? 自分でも何が原因でこうなったのか、よくわからないんです。安吾さんは半分人でないなら何か思い当たったりしますか!?」
「いえ、僕もわからないものはわかりませんよ」
「……くぅーん……そうズバッと言わなくても……」
即言われ、『わんこ』は耳をたれて落ちこむ。期待を込めて聞いた自分も悪くある。安吾は申し訳無さそうに話す。
「すみません。でも、思い当たるというよりも引っかかりですね。なので、断定としては今は言えません」
「……そう、ですか」
落ち込む彼女に、安吾がまだ手を掴んでいることに気付いた。彼も手を見て、はっとしてすぐに手を放した。
「わっ、すみません! 女の子に失礼をしました……!」
「い、いえ……気にしませんよ」
すぐにフォローを入れ、安吾はホッとしつつことを進めようと話す。
「……とりあえず、少しでも安全と言える場所に向かいましょう。
身の安全を確保してから、話せることを話しましょう」
「……って、そうだ。ここどこ!?」
今更気付いて、『わんこ』は慌てた。
二人がいる場所は間違いなく、『わんこ』の知る忠霊塔公園ではない。戸惑う彼女に安吾は落ち着かせる。
「……とりあえずここを去りましょう。さっきの鬼、もしくは似たような危険な奴らと遭遇したいですか?」
「あっ、それは嫌……」
「では、ここより別の場所に向かいましょう。少し歩きますが、構いませんか?」
家に戻ったとしても、ここが『わんこ』の知る世界でない。安全地帯と言い難く、安吾の提案に乗るしかない。彼女は頷いて、彼ともに忠霊塔公園から去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます