2 わんこは迷い込む

 放課後。四時頃だ。四月故に空はまだ明るい。通学バッグを手にして、廊下を歩いていく。

 部活などなく、友人はいない。

 彼女は中学に入学してから友人などいない。顔見知りはいるが、決して仲が良い訳では無い。顔が認識できない故に、『わんこ』は覚えられるはずなくコミュニケーションがまともに取れない。先生や同級生に声をかけられたとしても、成績や今後の進路、委員会についての連絡ぐらいしかない。

 明日から休み故に、土日はゆっくりしようと考えた。帰宅後の日用品などの買い物など考えていたときだ。


「ねぇ、おいぬさん?」


 廊下から声をかけられ、彼女は嫌そうな顔をして首を動かす。

 声をかけてきたのは制服の身を崩したガラの悪そうな女の学生が二人ほど。彼女の知らない生徒だ。目が良くなく、あえて悪態とも言える方で呼びかけている。『わんこ』にもちゃんと名前はある。彼女の犬としての行動が表に出て目立つため、『いぬ』や『ぽち』など悪い意味での呼ばれる。

 物理的な虐めなどがないのは、『わんこ』自身が奇行により遠巻きにされているからだ。また彼女に関わったものは不幸なことが起こるなど、陰湿な噂がある。

 声をかけてきた相手は噂を確かめきたのか。目的があるのか。警戒していると、女学生二人は楽しそうに笑っていた。


「あっ、やっぱり、犬に関連する名前を呼べば反応する! おいぬさんじゃなくても、ポチで良さそう!」

「えー、じゃあ私は御手とかお座りとかにしようかなぁ」

「それ、しつけ!」


 互いに無邪気に笑っているが、お里がよろしくない模様が全て出ている。ただ興味本位で話しかけてきたようだ。明らかによろしくない目的であり、『わんこ』は嫌そうに下駄箱へと向かう。だが、女学生たちはにやにやとしながらついてくる。

 あからさまに、『わんこ』をターゲットにしようとしていた。二人から距離を離す。下駄箱から靴を取って、上履きも袋に入れて通学バッグにいれた。上履きも洗うつもりであったゆえに、隠されたら溜まったものではない。

 靴に履き替えて、彼女は門から速歩きで出ていく。あじさい通りと言われるにある門前から彼女は歩いていく。振り返ったとき、二人の女の学生は下駄箱で靴を脱いでいる。『わんこ』の後をつけるつもりのようだ。


「……まさか、家までついてくる気……!?」


 だが、家から中学まで距離はある。面倒くさがることを願って彼女は速歩きで逃げる。ついてくることを考えて、あえて忠霊塔まで誘き寄せようと思った。

 速歩きで市立病院の前の信号機で渡る。速歩きからだんだん駆け足になっていくのは、彼女の心情を露わにしている。

 汗が流れるのを感じつつ、彼女は忠霊塔公園の前まで来た。息をついていると、背後から自転車の鈴の音が聞こえる。嫌な予感がし、体を後ろに向ける。チリンチリンと何度も自転車の鈴を鳴らし、女学生二人は自転車に乗っていた。面白そうに『わんこ』を見ており、一人は腕をついてしたり顔である。


「あれー? ドッグランはもう終わりー? ぽち」

「……っ私はポチじゃない……!」


 彼女は大きな声で言い返し、忠霊塔へ上がる階段に向かった。自転車を利用していたことまで考えてなかったのは、『わんこ』のミスと言えよう。だが、想定できないとも言える。忠霊塔をグラウンドから立って見上げると、正面にある急そうな階段が天に向かうように作られている。上にいくほど絞り込んだ階段が柱のように天空を指し示しているよう。両ささら桁という階段の作りが、そうさせているのだろう。

 天に逃げられたならと思いながら、彼女は上へと向かっていく。

 二人は自転車を止め、一人は面白そうに声をかけた。


「ちょ、そう怒らないでって! 私はぽちちゃんと話したいことがあったんだって!」

「知らないわ!」

「そう、キャンキャン騒がなくてもいいじゃん」

「騒いでない!」


 言い返すも二人のしたり顔は消えない。自分の姿が犬であるからか、己の言い返しが自分への皮肉にもなる。『わんこ』の後を追って、階段を上がっていく。

 上がっていく中、そのモニュメントが見えてきた。千木を模した二本の柱と、反対側にある二本の柱が交差している。遠くから見れば山と一体になっているのだ。


 一つ、この忠霊塔のモニュメントの場の行われていた話を振り返ろう。


 静岡市清水区となる前はかつて清水区は『清水市』であった。その旧清水市では忠霊塔の場にて毎年終戦の日になると戦没者の慰霊祭が行われていた。あの場は元はといえど、慰霊施設であり奉られていた場所。

 場に神社建築の意図が盛り込まれているならば、その場に人と慰霊の場を別ける境界線があっても不思議ではない。


 時計があったならば、彼女たちがある話を知っていたならば、防げていた。正しい言い方をするならば、運がなかった。『わんこ』は苛立ちながらそのモニュメントに向かい、女学生二人は笑いながら後を追う。

 一分違っていたならば、状況は違っていただろう。


 とある場所の時計の長針が九になる手前で止まり、秒針は十二を通り過ぎる。同時に『わんこ』と女学生はその時間の間にモニュメントの下を通っていく。


 背後から聞こえていた車の音が聞こえなくなった。


 聞こえるのは、風が吹いて木々の葉を擦る音と女学生の嫌らしい声だけ。『わんこ』はおかしさにすぐに気づいて振り返った。

 周囲は前に来た忠霊塔に変わりはない。だが、生き物と言える生き物の声が聞こえるような気がしない。匂いと雰囲気は似て入るが非なるものだ。

 目を丸くする『わんこ』の反応に、女学生たちは笑う。


「あっ、なに? かまってほしいのー?」

「……えっ? 貴女たち気づかないの……!?」


 彼女の反応を女学生二人は意味がわからないという顔をする。


「はぁ?」

「何言ってるの? いみふめー」


 二人の反応に『わんこ』は構っていられず二人を通り過ぎ、すぐに階段を降りていく。グラウンドの中央までに行き、彼女は360度見回して気付く。

 人の気配がなければ、人の営みとも言える後が無い。公園の入口に停めてあったはずの女学生の二つの自転車がないのだ。

 彼女がいる場所は県道であり、多くの車やバスも通る。見慣れた店の建物や交番があったとしても、人の営みの証の一つもない。


「……ここは、一体……!?」


 普通の場所ではないことは当然だ。彼女はどうしようかと悩んでいたとき、階段の方から声が聞こえる。


「ったく、何がおかしいんだが」

「さー、さっさとぽちちゃんで遊んで帰ろー」


 ここが普通の現実の世界でないと気付いていない。『わんこ』は困惑していると、彼女自身影に覆われる。振り返って見上げると、体の大きな鬼がいた。体が赤く日本の角が生えている。だが、着物と下駄を履いている以外は絵に描いた鬼だ。やがて『わんこ』は見上げたまま、驚愕させる。

 腰をつき、尻尾は足の間にある。耳を後ろに倒して唇を引き、目を潤ませた。身体の全身を震わせた。


[おい、犬のねぇちゃん。どうした?]

「クゥーン……クゥーン……」


 犬のように怯えて震えている最中、学生たちが階段の上から姿を現して『わんこ』が鬼と遭遇した現場を目撃する。


「っは!? 何あれ?」

「なになに? あれ、撮影!?」


 興奮する女学生に鬼は気付いて目を見張るが、口角を上げる。


[ほぉ、人間がここにいるとは。しかもまだ若い女か。これは思いがけない幸運だ]


 嬉しそうに言う鬼は足に勢いよく力をつけて飛び上がり、女学生の目の前に現れた。二人の女学生は口をあんぐりとさせ、言葉を発していない。目の当たりにした光景でやっと解ったのだ。これは撮影などのフィクションを作るものでないと。

 鬼は女学生の二人を大きな両手で掴む。


「ひぃ……ぃやァァァ! 放して……放して!!」

「ぁ……ぁぁあ……!」


 とらわれた友人を女学生を見つめて、怯えた声を上げた。涙でボロボロと怯える女学生を品定めするように鬼は見た。


[騒がしいが、活きいい証拠だな。さて、この場で〆るより川の方で〆ていくか]


 〆ると聞こえ、何をするのか『わんこ』は理解し顔面を蒼白にさせる。


「や、やだぁぁぁ! 助けて!」

「助けて……助けて……!」


 女学生たちは助けを叫ぶが、『わんこ』に助けるすべはない。

 鬼は忠霊塔の奥の方まで消えていく。女学生の助けを呼ぶ声が聞こえなくなるまで、『わんこ』はその場で腰をついていた。


「運が悪いのは、あの二人のようでしたね。ですが、あの顔はなかなかに良い。見ものでした」


 隣から楽しそうな声がして彼女は驚いて顔を上げる。

 薄く閉じられた目は楽しそうな気持ちを表していた。今朝、五百円玉をあげた男性がそこにいた。

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