巻き込まれる人生

三鹿ショート

巻き込まれる人生

 私の人生は、穏やかなものではない。

 誕生した病院では治療に不満を持った人間による放火で火災に遭い、飲酒運転の自動車に追突された自動車が散歩をしていた私に襲いかかり、背の高い建物の屋上から飛び降りた人間の落下地点に立っていたために大怪我を負った。

 見知らぬ人間の浮気相手だと間違われて女性に刺されたこともあれば、あと一歩で銀行を出ることができたにも関わらず強盗に遭遇するなど、他者が人生において一度か二度ほどしか経験することがないようなあらゆる不幸に見舞われたのである。

 肉体は傷だらけであり、事情を知ると他者は同情するかのような目を向けてくるが、私にとってそれは、自分の身に起きずに良かったという安堵の表現以外の何物でもない。

 だからこそ、私が心を許すことができる人間は、存在していなかった。


***


 呼び鈴が鳴ったために応ずると、其処には一人の女性が立っていた。

 見覚えがあったのだが思い出すことができなかったためにしばらく見つめていたところ、やがて彼女は己を指差しながら、

「屋上から飛び降りたとき、あなたを巻き込んでしまった人間です」

 その言葉を聞いたことで、私はようやく思い出すことができた。

 あのとき、私が巻き込まれなければ彼女は間違いなくこの世を去っていたらしいが、私が緩衝材のような役割を担ったために、一命を取り留めたのだった。

 聞くところによると、ようやく怪我が治ったために、こうして謝罪にやってきたということだった。

 彼女のことを思い出すと同時に、私に怪我を負わせた彼女に対する怒りが強まっていったが、彼女は近所の人間の目があるというにも関わらず、その場で土下座を開始し、私に謝罪の言葉を吐き続けた。

 その様子を見て、近所の人間が小声で何かを話し始めたために、居た堪らなくなった私は、彼女を家の中に入れた。

 家の中でも、彼女は謝罪の言葉を吐き続けている。

 放っておけば永遠と続くように考えられたために、私は彼女に対して、顔を上げるように言った。

 だが、彼女は頭を下げたままで、行動を変えることはなかった。

 ゆえに、私は彼女に許しの条件を告げることにした。

「では、何故きみがあのような真似をしたのか、教えてほしい」

 思い出すことも憚られるような記憶を口にさせられるということは、それなりの罰でもあると考えたのである。

 そのことを理解したのか、彼女は頭を上げると、事情を語り始めた。


***


 一言で言えば、彼女は恋人に裏切られたことが原因で飛び降りたということだった。

 学生時代から何年も交際を続け、互いに互いを愛していたと思っていたが、実際のところは、交際の当初から恋人が裏切っていたということを知ってしまったのである。

 裏切りを問い詰めたところ、相手は謝罪の言葉を吐いたものの、それから選ばれた人間が浮気相手だったために、彼女の心はさらに傷ついた。

 冷静さを失った彼女は、この世を去ることで失恋の苦しみから逃れることができるものだと考え、飛び降りることを選んだ。

 しかし、一命を取り留め、己の行為によって他の人間が傷ついたということを知ると、冷静さを取り戻していた彼女は、あまりの情けなさに涙を流したのだった。


***


 私ほどではないが、不幸な目に遭った彼女をそれ以上責めることは出来なかった。

 失恋を思い出したことが原因なのか、彼女の表情が暗いものと化している。

 過去を語ることが許しの条件だったとはいえ、彼女にそのような表情をさせてしまったことに対する申し訳なさが生まれてきたために、私は己の不幸を話すことで、彼女の辛い記憶を中和させようと考えた。

 私の話がよほど衝撃的だったのか、彼女は己の失恋のことなど忘れているかのように、熱心に話を聞いている様子だった。

 自分の経験など些細なものだと気が付いたのだろう、彼女は悩んでいるような素振りも見せることなく、頭を下げると、私の家から出て行った。

 これでは、一体、どちらが被害者なのか、分かったものではない。


***


 私の日常生活には、何の変化も無い。

 飲食店では喧嘩に巻き込まれ、食べ始めたばかりの料理が台無しと化した。

 私の日常に平和な時間が訪れるとすれば、それはこの世から去ったときだろう。

 だからといって、自らそのような道を選ぶことはない。

 生きていれば、何時の日か幸福が訪れるなどという脳天気なことを考えているわけではない。

 私の能力は、他者より劣っている。

 たとえ様々な事件や事故に巻き込まれることがなかったとしても、良い人生を送ることが出来る可能性は低かっただろう。

 だからこそ、私は頻繁に事件や事故に巻き込まれていることで、人生がうまくいっていないという言い訳を得ることができているのだ。

 それに加えて、そのような不幸に遭いながらも、逃げることなく生き続けている私を強い存在だと褒める人間も現われていた。

 褒められることがない人生だと思っていたために、思わぬ収穫だった。

 それを自ら手放すなど、愚か者の行為である。

 ゆえに、私は今日も生き続け、事件や事故に巻き込まれる日々を選ぶのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巻き込まれる人生 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ