第2話

 晴れ渡る青空、心地よい風、まさに洗濯日和だった。ピンと強く張られたロープに、洗い立てのシーツが掛けられてはためいている。そして、飛んでいった。


「待って!」


 ハルティアはシーツを追いかけるも、足下は雪が少し解けて滑りやすい。だが転ばぬように気を付けると、素早く動けない。ゆっくりとシーツは風の恩恵を使いきり地面に落下していった。


「また洗い直さないと」


 ハルティアはため息をこぼしつつ、地面に落ちたシーツを見る。運が悪いことに、雪が解けて泥水になっている部分に端が浸かっていた。


 古城での暮らしは、基本的にばあやが掃除や洗濯、食事の支度をしてくれている。ハルティアは手伝うこともあるが、ほとんどは魔物退治のための時間に費やしていた。魔物が現れたら浄化し、それ以外の時間は魔物退治用の槍を手入れしたり、王城から送られくる武器に浄化の加護を付与したり。だから、洗濯物を干すことすら初めての経験だった。


「でも、頑張らなくては」


 ハルティアはシーツを拾い上げて、これから干す洗濯物が入った籠の方へと戻り始める。


 元気が取り柄と言い張っていたばあやだが、昨日腰を痛めてしまった。ハルティアは魔物の浄化は出来ても、怪我の治癒は出来ない。そのため、ばあやは安静にするしかなかった。街から離れた古城だけに、医者に来てもらうにも数日かかるうえ、おそらく魔物を恐れて断られるだろう。だから、ハルティアがおぶって医者まで行こうとしたら、おぶって歩くなんて不安定すぎて腰が余計に痛いと、こちらはばあやに断られてしまった。ばあやにしてみたら、ハルティアにおぶさるだなんて滅相もないという遠慮の気持ちもあったかもしれないけれど。


 だからこそ、ばあやの腰痛が治るまで、ハルティアが身の回りのことをやろうと決めた。だが、さっそく始めた朝食作りは、ばあやに古城が焼け落ちると困るのでやめてくださいと懇願された。そのため、ばあやが昨日焼いてくれていたパンをジャムを付けて食べるだけになった。

 次に掃除に取りかかったが、廊下を掃いていたら箒の柄を飾られていた絵皿に当ててしまった。大ぶりの絵皿はぐらぐらと揺れた挙げ句に床に落ち、粉々に砕け散った。それだけでなく、ばあやも音に驚いて腰を余計に痛めてしまった。ハルティアには大丈夫と笑っていたけれど、ばあやは脂汗を額にかいていた気がする。


 厨房を散らかすだけで食事は作れず。廊下も絵皿の破片が飛び散り、掃く前の方がよほど綺麗だった。落ち込みつつ、今度こそはと洗濯に取りかかった。洗濯板を使って汚れを落とし、井戸水をくんで濯ぐ。少し力をいれすぎたみたいで擦り洗いをした部分がよれてしまったが、それくらいだ。厨房や廊下の惨事を思えば順調だ。そう思って、鼻歌を奏でながら干しに出てみたら……この有様だ。


 泥で汚れたシーツは別の籠に入れ、まだ干してないシーツや衣類を干し始めた。今度は風に飛ばないように衣類の袖にロープを通して干すことにした。


「あれ、上手くロープが、引っ張れない」


 布が濡れているせいでロープが進まず、塊のままロープの端から動かない。むきになって力を入れて布を引っ張ると、ビリッと嫌な音がした。


「嘘……袖がもげてしまったわ」


 呆然と本体とはぐれてしまった袖を見つめるしか出来ない。

 なんだか、途方もない無力感が襲ってきた。どうして誰もが出来ることが出来ないのだろう。人の営みとして、洗濯なんて誰でもしていることなのに。


「ばあやに見つかる前にどうにかして袖をひっつけなくては。任せてと行ったのは私なのだから。と、とにかく、他の洗濯したものを干してから――あっ」


 魔獣が駆け寄ってくるのが遠目に見えたので、浄化の力を込めて指先から放った。槍を使うよりも力の加減が出来ないので、当たった瞬間に魔獣は塵のように消え去る。だが「あっ」と声が出たのはそこではない。籠を蹴って倒してしまったのだ。

 ころんと転がった籠から、雪の上に洗濯物がはみ出る。魔物の出現と目の前のちぎれた袖に気を取られて、足下がおろそかになっていたのだ。


「もう、どうしたらいいの!」


 頭を抱えて思わず叫んでいた。もう泣きそうだ。

 雪の上なら、すぐに拾えば汚れもつかないだろう。そう分かっていても、体が動かなかった。何かをすると、さらに酷い有様になっていくのが怖い。


「あんた、笑っちゃうくらいに不器用だな」


 上の方から声が降ってきた。声の主は老木の枝の上に立ち、幹に寄りかかっている。


「……ロキ?」


 信じられなかった。もう二度と会うことはないと思っていたから。そして、ロキの見た目の変化も。服装は黒一色になり、もっさりしていた前髪が横に流されていることですっきりし、一気に洗練された様子になっている。

 枝から音もなく飛び降りると、ゆっくりと歩きハルティアの目の前で止まった。

 ハルティアの胸が高鳴る。ロキは嘘をつかなかった。本当にまた来てくれたのだ。感動で自然と口角が上がってしまう。


「なに嬉しそうにしてるんだよ、変な奴だな」

「いえ、その、殺しに来たのですか」

「そうだったんだけどな。ばあやさんは?」


 ロキは視線を左右に動かす。ばあやの姿を探しているのだろう。


「実は腰を痛めてしまったのです」

「大丈夫なのか?」

「心配してくださるのですね、ありがとうございます。今のところ安静にしているしか出来ることがなくて」

「ふーん」


 ロキは心なしか口元をとがらせて、もにょもにょとさせている。言いたいことを伝えあぐねているかのような仕草だ。


「あの、殺しに来て頂いたのは有り難いのですが、殺す前に一つお願いがありまして。私の代わりにばあやの腰が治るまで世話を頼みたいのです」


 ハルティアに魔を宿した攻撃が効かないと分かった上で、再度現れたのだ。きっと対策を考えてのことだろう。だから、きっと今度こそロキはハルティアを殺せるはず。そう考えての提案だった。

 ロキがばあやの世話をしたくないけど殺すと言ったら、申し訳ないが戦うつもりだ。果たしてどういう答えが返ってくるのか。


 ロキは大きなため息を腹から吐き出した。


「ばあやさんには恩がある。包帯を巻いてもらったし、シチューは美味かった」


 眉間に皺を刻みながら、ロキは不服そうに言った。


「つまり?」

「待ってやるよ」


 まさか今は殺さないという答えだとは思わなかった。


「良いのですか?」

「別に構わない。数日遅れようが支障はない。それより、この惨状を片付けるぞ。こんなの見たらばあやさんが安心して休めない」


 ロキはハルティアの足下に倒れた籠を呆れたように見ている。


「お恥ずかしいですわ」


 また来てくれたことに気を取られていたが、ハルティアが洗濯物と格闘していた姿を見られていたのだ。顔を隠したいほどの羞恥が遅れて襲い来る。


「あんた、魔物を退治してるときと別人みたいだな」

「魔物を浄化するしか、能が無いのですよ」

「……それが出来る奴の方が貴重だろ。本当に変な奴」


 殺しに来たくせに、励ますようなことを言うロキの方が変な人だと思う。だけれど、その言葉は胸にとどめておいた。言ったら「励ましてなんかない」とか否定するに決まっているから。




 ロキによって洗濯物は洗い直されて、今は風を浴びて干されている。途中で断念した廊下の掃除も、加えて階段や窓までも拭き掃除してくれた。窓の高いところはばあやも手が届かなかったので、とても助かる。そして、今は厨房で昼食を作ってくれていた。

 ふんわりと漂ってくるスープの香り。火を使うことをばあやに禁止されたので、朝から温かいものを口にしていなかった。期待にそわそわと落ち着かなくなる。


「あんたさ、平気で殺せって言うわりには、食べることには積極的なんだな」

「今からでも殺して良いのですよ? だけどロキは殺さないみたいだから。生きているなら、美味しいもの食べたいわ。それに、ばあやにも温かいものを食べさせたいし」


 スープをゆっくり掻き回すロキの横で、ハルティアは身を乗り出すように鍋をのぞく。


「あんまのぞき込むな。髪が燃えるぞ」


 ロキが肘を軽くハルティアの肩に当ててくる。ハルティアは驚いて視線を鍋からロキに移した。

 燃えれば良いではないか、殺す相手だ。それなのに心配して注意してくるロキ。本当に変わった人だ。何を考えているのだろう。気になる。どうせなら、ロキのことをもっと知ってみたいなと思った瞬間、我に返った。


「魔物が来たわ!」


 それも一匹どころの気配じゃない。

 ハルティアは窓に張り付くように駆け寄る。年に数回、群れでやってくることがあるのだ。だが、よりによって今来るなんて。


「ロキ、ばあやのことをお願いします」


 ロキに言い残し、ハルティアは槍の元へと駆けていくのだった。



***



 厨房に残されたロキはため息をこぼしていた。そして投げやりな口調の独り言がこぼれる。


「何やってんだ、俺」


 国に連れ帰れないならば殺せと命じられた相手だ。それなのに、甲斐甲斐しく世話をしているという謎。自分で自分が分からなかった。


 ロキは生まれが特殊なため、子どもの頃から自分のことは自分でしてきた。なまじ出来てしまったがために、洗濯物と格闘しているハルティアを見て、もどかしくてたまらなかった。ちゃんと押さえないと風でシーツが飛ぶぞと思ったら飛んだし、無理やり引っ張ったら破けるぞと思ったら袖を引きちぎっていたし、よそ見すると足下の籠を倒すぞと思ったら蹴り倒していたし。本当に危なっかしくてイライラした。でも、だからといって、自分が手伝う義理なんて何もないのに。


 第一印象は、こんなに綺麗なものがこの世に存在するのかと思うくらい、美しい人だと思った。銀髪をなびかせ、舞うかのように魔獣を浄化している姿は、舞い降りた天使だと言われたら信じただろう。気高く、凜とした空気をまとい、内に秘めた強さがにじみ出ていると思った。これが聖王女なのだ。誰もが憧れ、頼りにし、力を欲すと言われるのも納得だと思った。


 だが、いざ接してみると笑ってしまうくらいの不器用さ。魔獣を引き寄せるためにわざと付けたロキの傷だが、その傷を手当てするとハルティアは言い張った。変に固辞するのもおかしいかと思い頼んだが、手腕は酷いものだった。自分でやった方がよほど綺麗で早く終わる。この聖王女、槍を持っているときと持っていないときの差が激しすぎるだろう。


「連れて帰ったら、偽物だと疑われたかもな」


 想像して思わず笑ってしまった。

 王女という身分からしても、連れて帰るなど無理だなと最初から分かっていた。もしハルティアの意思で我が国に来たとしても、ブリュンヒルド国に知られたら大問題だ。恐らく戦争になる。だが、ハルティアの強さからして、彼女がいる国が勝つだろう。だからもし連れ帰ってこれたとして、戦争になっても構わないと上の人達は考えてるに違いない。

 だが、ハルティアは案の定、ここから動くつもりはないと拒否した。ならば殺す一択だ。


 魔物を退治する姿をみて、真正面からいっても能力的に自分に勝ち目はない。不意打ちで有利な体勢を勝ち取ることが望ましい。その考えで動いていたが、ハルティアが少しも抵抗しないどころか、むしろ殺してくれと言ってくることに調子を崩された。結局は魔剣が役に立たず殺せなかったが、それも含めて惨敗した気分だった。何もかも計画通りには進まない。


 だが、ロキにはハルティアの首が必要だ。生死問わず彼女の首がなければ帰国することは許されていない。ある意味、ハルティアと運命共同体のようなものだ。かなり一方的だけれど。

 要するにロキが帰国するためには、ハルティアの首が通行手形になる。彼女がここに居続ける限り、ロキもここにいるか、殺すのを諦めて国を持たぬ放浪の民になるしかない。まぁ、最悪それでもいいかもしれないなと、窓の外をみる。いい加減、主君のためとはいえ、汚れ仕事ばかり押しつけてくるのにはうんざりしていたところだ。


「……嘘だろ」


 信じられない光景が広がっていた。

 槍を持ったハルティアを取り囲むように、数え切れないほどの魔獣が出現していた。


「あんな大群、初めて見た」


 魔獣が群れるなんて聞いたことがない。彼らは基本的に個で動くものだ。だがその認識が覆される現状が、目の前にあった。



***



「洗濯物は死守するわ」


 ハルティアは槍をくるりと頭上で回してから、両手で構える。

 せっかくロキが手伝って干してくれたのだ。また一からやり直しなんて嫌である。


 じりじりと間合いを詰めてきた魔獣が一匹飛びかかってきた。それを槍で切り払うと、次々に襲い来る魔獣を切り伏せ浄化させていく。魔獣が浄化していく黒い靄の奥から新たな魔獣が突進してきた。靄のせいで視界が悪く、急に魔獣が現れたように見えた。ハルティアは下がって魔獣をかわしつつ、冷や汗をたらす。


 単純に一匹ずつ浄化していくならどうってことない。だが、混戦かつ浄化させた魔獣のせいで視界が悪くなっている。これは少々分が悪いなと冷静に考えた。

 今までの群れに比べて数が多い。正確に数えていたわけではないけれど、体感的に倍はいる気がした。

 すると、急に後ろからドンと押されてたたらを踏む。死角から魔獣に襲われたのか、背中はどうなってるのかと腹の底が冷えていく。


「考え事とは余裕だな」


 振り向くと、背中側にロキがいた。ロキの手には飾り気のない剣が握られており、足下には魔獣が転がっている。


「ロキ、助けてくれたの?」


 状況的にハルティアの背後から飛びかかってきた魔獣をロキが切り伏せてくれたのだろう。その際に、ロキの体がハルティアに当たったに違いない。

 もし魔獣がハルティアに触れていたのなら、魔物は浄化されているか、もしくはハルティアの浄化能力が追いついていなければ、ハルティアの背中が切り裂かれていたはずだから。いくら浄化能力に長けていても、戦いながらでは力にもムラが出る。


「魔物を倒したら、たまたまあんたの近くだっただけだ」


 まさか、そんな言葉を信じるとでも? 

 思わず笑いそうになってしまった。でも、そういうことにしておいた方が今は良さそうだ。何せ魔獣はまだまだいるのだから。軽口を叩いている場合ではない。もしここを突破されてしまったら大変なことになってしまう。


「ロキ、あなたどれくらい強いの?」

「あんたが思っているよりは強い」

「なら、守らなくても大丈夫ね」


 倒れた魔獣の切り口は鋭く、加えて魔獣達のまっただ中のここへ来ている時点で、ロキの戦闘技術の高さがうかがえる。

 ロキと背中を会わせて、魔獣達との距離を測る。そして、二人の呼吸がシンクロした瞬間、魔獣達へと足を踏み出した。


 槍を突き、大きく回し、切り伏せる。その合間に視界に入るロキの俊敏な動き。ハルティアの長い槍とは違い、剣で戦うロキは素早く魔獣の懐に入り込み、喉を切り裂く。かと思えば、小さなナイフを投げて動きを鈍くし、心臓をひと突き。まるで暗殺を得意とするような動きだと思った。

 ハルティアを殺すために仕向けられた暗殺者なのだ。これくらいの動きは当然なのかもしれない。だけれど、その動きは何故かハルティアに向かうことはなく魔獣に向けられている。


 ロキは不思議な人だ。


 魔獣と戦いながらも、ハルティアの頭の中はロキのことで占められていく。だが、改めて辺りを見渡し、息を整えながらロキに声をかけた。


「ロキ! さすがにこの数は危ないわ。あなたは逃げて」


 こんなに倒しているのに一向に数が減らない。ということは、減らす以上に新たに寄ってきているということになる。いくら強くとも、体力には限りがある。ハルティアがここで力尽きるのは本望だが、ロキを巻き添えにするのは嫌だった。


「あんたは?」


 ロキが飛びかかってきた魔獣を蹴倒して剣で一刺し、剣を抜きながら顔を上げる。


「ここで魔獣達を食い止める。そのために聖王女としてここにいるのだから」


 ここを通過されてしまうと、街までは魔獣の進行を邪魔するような山も谷も川もないのだ。この古城は魔獣や他国からの敵意ある侵入をはね除けるために作られた。今でこそハルティア達しかいないが、かつては多くの騎士が国防のために集っていた場所だ。


「……くそっ。俺は仕事に失敗したことなんか今までないんだよ。あんたを殺すのは俺だ。魔獣なんかにくれてやるつもりはない!」


 自棄になったように叫んだロキは、そのまま魔獣の群れへと突っ込んでいってしまう。


「ロキ!」


 ロキの背中が魔獣に紛れて見えなくなる。

 逃げてくれないなんて。心のどこかで、力が尽きたのだと言い訳して魔獣に食われてしまおうかと思っていた。でも、ロキが自分を殺すために戦うというのなら、諦めて死ぬわけにはいかないと思ってしまった。

 魔獣に食い殺されるくらいなら、ロキに殺されたい。その気持ちが固まった瞬間に、槍を持つ手に力が戻ってきた。


「全部倒して、ロキに殺してもらうわ」






 荒い息遣いが二人分、魔獣の死体が転がる雪原に響く。ハルティアとロキは魔獣の群れを倒しきったのだ。


「あー、もう手に力が入らねぇ」


 ロキが雪の上に座り込む。


「私は手の皮がむけてしまったわ」


 いつも槍を振り回しているので、手のひらは分厚く堅くなっていた。その手の皮がむけてしまうくらい、限界を超えて槍を振り回した。もう当分、槍は持ちたくない。ひりひりする痛みに泣きそうになる。でも、ロキが死ぬこともなく横にいることに心底安堵もしていた。


「ここって、こんなに魔獣が来るのか?」

「年に数度、群れで現れますね。今日は特に多かったけれど」

「は? 年に何回も来んのか? それをあんたが一人で退治してるってこと?」


 ロキが目を見開いてこちらを見てきた。そこまで驚いたような反応をすることだろうか。


「もちろんです。ここを通過されると街に甚大な被害が出るので、私がここで食い止めています」

「それってさ、あんた一人を盾にしているようにしか思えないんだけど」

「その通りですが、何か問題でも?」

「……問題だろ。なんで一人なんだよ。寂れた古城でたまに現れる魔獣を倒してる程度なら別にいい。でも実際は違った。いくら浄化能力が桁違いに高いからって、あんな群れで来られたら命がいくつあっても足りないだろ」


 ロキが睨み付けてくる。


「それが私の背負うべき使命ですから。ですが、正直にいえば疲れます。だからこそ、終わらせてくれるというロキの申し出を受けると言っているのですよ」

「は?」

「ですから、私を殺すのでしょう? ロキに殺してもらうために、必死に魔獣を倒したのですから、どうそ、殺してください」


 ハルティアは疲労でもつれそうになる足で、ゆっくりとロキの真正面へと歩く。そして、ロキの目の前で膝をついた。


「わからん。人を守るのが使命ならば、俺に殺されている場合じゃないだろ。生き延びて魔物を浄化しようと考えるもんじゃないのか」


 ロキの眉間に皺が寄る。不可解だと言わんばかりの視線が突き刺さった。


「この力は諸刃なのですよ。私がいなければいないなりに、ロキのように強い者が魔物を退治します。今までそうだったのですから。私が異端なだけ」


 その異端ぶりをいち早く知った母は殺そうとしてきた。つまり、それくらいハルティアは危ないと母が考えたということだ。当時は母の気が触れたと騒がれたが、今では母の気持ちも分かる。だから、殺されることを否定するつもりはなかった。


「あー、もう、今日はなし。どっちみち手に力が入らないから剣も持てない。あんたを殺すのは無理だ」


 わしゃわしゃとロキは己の髪を掻き混ぜると、すっくと立ち上がった。


「殺さないのですか」

「そうだよ。文句あっか?」

「……また殺しに来ますか?」


 何を聞いているのだろうかと自分でも思う。でも、尋ねずにはいられなかった。


「当然だろ」


 ロキの返答に自然と頬が上に上がってしまう。


「では、お待ちしております」

「ふん。だから何で嬉しそうにするんだよ。変なやつ」


 ロキはハルティアをちらっと見た後、不服そうな口調で言い残し、踵を返した。


「それはロキもですよ」


 遠ざかっていく背中に向かって、ハルティアはつぶやく。

 ロキはまた来てくれる。ハルティアを聖王女から解き放つために、殺しに来てくれるのだ。それは、とても心躍る来訪の約束だと思った。

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