最終話
そして、いよいよシングルスの試合が始まった。ただ、どこにも勇仁の姿がなく、俺は戸惑った。田村さんは一回戦を勝ち上がり、四試合目が始まろうとした瞬間、会場内が騒然とし、ざわめきが起こった。
「嘘だろ…。何で…?」
俺は思わず声に出してしまっていた。
「何と!折田勇仁選手です!まさか、こんなことってあるんですか?」
実況していた元オリンピック代表選手が興奮する。
「いや、前代未聞ですよ。バドミントン競技は、スポーツの中で一番運動量が激しいですし、昨日までダブルスの試合に出て金メダル獲ってますから、相当疲れも残っているとは思うんですが」
「選手の名簿にはなかったですよね?」
「今入った情報によると、本人の希望で、当日まで発表は控えて欲しいとのことだったみたいですね」
「二人枠があるのに、出場選手が田村一心、一人だと思って不思議ではありましたが、まさか折田選手が決まってたとは、驚きましたね」
「いや、本当にまさかですよ。ダブルスとシングルス両方に出場なんて、まずあり得ませんから」
試合が始まる前から、実況する二人はかなりの興奮状態だった。
勇仁は、何とか勝ち上がり、決勝進出を決めた。決勝は田村さんとだった。だいぶ身体にも負担がかかり、疲れも出てきているのか、試合中の動きが少し鈍いように感じた。勇仁はダブルス選手のために用意されている俺との部屋には一度も戻らず、シングルス選手用の宿泊先に一人で泊まっていた。その間、連絡が来ることもなく、ただただ俺は勇仁の身体のことが心配だった。
決勝当日、一セット目は田村さんが21対11と、大差で先取した。
「折田選手、やっぱり無理がありましたかね。だいぶ身体への負担も大きいみたいですが…」
「そうですね。でも、本当にここまで来れただけでも、奇跡だと思いますよ。ダブルスもシングルスも代表選手として出場するなんて、あとにも先にも折田選手だけだと思いますね」
2セット目は、21対18で、勇仁が勝ち、試合はファイナルへと持ち越された。
「折田選手、何とか勝ちましたかが、ファイナルとなるとだいぶ不利と言うか、体力的にも相当きついんじゃないでしょうか?」
「そうですね。めずらしく、かなり息も上がってますし、足もあんまり動いてないように感じますね。あ、いよいよ始まりますね。これでどちらかが金メダル獲得になります」
両者がコートに入る。俺はもう息がうまくできなかった。膝の上に置いた、握りしめた手の中にも、汗が滲んでいた。
試合はかなり競っていた。一点取られると取り返すラリーが繰り返され、今までにない熱戦が繰り広げられ、会場も異常なまで湧き上がっていた。
「勇仁…。お願いだから、もうやめてよ。どうしてそこまでするんだよ」
苦痛で顔が歪む勇仁を見ている俺の胸が痛い。
「どっちも辛いと思います。一心もだいぶ足にきてる」
矢嶋さんが、俺の隣の席に座った。
「息が苦しくて。心臓が口から出そうです」
俺が言うと、矢嶋さんも「僕もです」と、試合から目を離さずに言った。試合は29対29になり、30点打ち切りなので、先に一点先取した方が勝ちになるところまできた。ラリーが続く。会場が静まりかえる。息が出来ない。勇仁がこんなにも遠い。ワアッ、と会場が一気に沸いた。
「折田選手のスマッシュが決まりましたが、インかアウト、微妙なところでしたね」
「田村選手が、チャレンジを申請しました」
映像が流れる。シャトルの軌道が映し出され、会場内に歓声が広がった。
「インです!イン!ぎりぎり、ラインの上ー!!田村選手、チャレンジ失敗。折田選手、金メダル獲得です!!」
そして、歓声と拍手がずっとずっとなりやまなかった。
「やっぱり折田さんはすごいですね」
矢嶋さんが話かけてくる。
「矢嶋さんは知ってたんですか?勇仁がシングルスの試合に出ること」
「はい。折田さんが出なかったら、僕が代表だったんで。選考から漏れた時、監督に呼び出されて、説明をうけました。そこに折田さんもいたので」
「あ…」
俺は何て無神経な質問をしてしまったんだろう。
「すみません」
俯きながら、謝る。
「いえ。折田さん、金沢君のためにシングルスの試合にどうしても出たい、って言ってました」
「俺のために…ですか?」
「ダブルスに転身させたことに、すごく責任を感じて苦しんでる、って。だから涼のためにも、シングルスで金メダルを獲ってから、終わりにしたいって話してました」
「そうだったんですね」
俺が勇仁を追いつめていたなんて、全然気が付かなかった。
「そんな真面目な話をしてる時に、泣いた涼を初めて見たんだ。しかも俺のために、って言って嬉しそうにニヤけてましたけど…」
「す、すみません」
勇仁のヤツ…。矢嶋さんの気持ちも考えろよな。
「折田さんて、本当に金沢君のことが大事なんですね」
「え?」
俺は思わず顔を上げて、矢嶋さんと目を合わせた。
「ここまでするなんて、普通、出来ませんよ」
「俺、勇仁の負担になってたんでしょうか?」
「逆ですよ。糧になってたんだと思います。とりあえず、金メダルおめでとうございます。僕は一心のところに行って慰めてきます。きっと落ち込んでるだろうから」
「え?」
「僕たち、付き合ってるんです。まだ、お二人ほどラブラブではないですけど」
そう言って、矢嶋さんは笑顔を見せて、席を立った。
「折田選手、金メダル獲得おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「本当にすごい試合でしたね」
「これで心おきなく、ダブルス一本で頑張れます。本当にダブルスとシングルス、両方の練習をするのはかなりハードだったので」
「4年後は、ダブルスだけということで?」
「はい。4年後は田村が金メダル獲ってくれると思うので」
「また、どちらも出場する可能性は?」
「絶対にないです。シングルスの練習も、ってなると本当に時間がなくなってしまうので。大切な人と過ごす時間も大事にしたいですし、もうダブルスだけに集中します。応援ありがとうございました」
そして勇仁は頭を下げると、インタビューの質問を避けるように早々と会場をあとにした。
俺は部屋のベッドに座ったまま、スマホを手に持ち、ため息を吐いた。試合が終わってからも勇仁からの連絡はなく、自分から連絡する勇気もなかった。
「はあ…」
思わずため息が漏れる。
そこに、ガチャンと鍵の開く音がして、扉が開いた。スーツケースを引いて、勇仁が部屋へと入ってきた。
「ただいま」
勇仁が優しく目を細め、微笑む。
俺は思わず勇仁に抱き付いた。
「何であんな無茶したんだよ。どんなに心配したと思って」
久しぶりの勇仁の温もり。安心感からか、涙が零れる。
「だって、涼の期待に応えたかったし、喜ぶ顔が見たくて」
「だからって、無理しすぎだよ。それに何で教えてくれなかったの?シングルスの試合にも出ること」
「言ったら、涼のことだから、どうせ俺をあまり疲れさせないように気遣って、まともな試合出来なかっただろ?」
確かに…。俺は言葉に詰まった。
「とりあえず、ユニットだけど、お湯張るから、湯船に浸かって筋肉の緊張緩めて」
「だな。マジで足がパンパン」
俺は急いでシャワールームへと向かった。
「涼…」
結局、一緒に湯船に浸からせられ、ゆっくり身体をほぐしたあと、そのままベッドへともぐり込んだ。
「何?」
勇仁の胸の中で眠りそうになっていた俺は、掠れた声で返事をした。
「しばらくテレビの出演とか増えると思うけど、お前はどうしたい?出たいか?」
「え?何で?」
「涼さえ良かったらだけど、一度地元に帰らないか?テレビのオファー断ることになるけど」
勇仁の提案に、俺もつい嬉しくなった。
「うん。いいよ。俺も久しぶりに地元に帰りたい」
俺は思いっきり勇仁に抱き付いた。
「では、地元、福井のスタジオにいるお二人を呼んでみましょう。折田選手と金沢選手です」
バラエティー番組のスタジオに、オリンピックの様々な競技のメダリスト全員が集まってた。
「こんばんはー」
MCの女性アナウンサーが俺たちに呼びかけた。
「こんばんは。今日はそちらに行けなくてすみません」
勇仁が言う。
「金メダル、本当におめでとうございます。お二人のダブルスの試合も、折田選手のシングルスの試合もすごい盛り上がりでしたね。本当に全国民が感動に包まれました。折田選手は史上初ダブルスとシングルス、どちらも金ということで、世界中からも注目されてますね」
「ありがとうございます。応援して下さったみなさんに、本当に感謝しています」
「久しぶりの地元はどうですか?」
「そうですね。やっぱり落ち着きますね」
「地元に戻ってから、どうお過ごしでしたか?」
「とりあえず、家族と過ごしたり、今までお世話になった人たちに挨拶に行ったり、友達と遊んだりしてました」
「金沢選手は、どうお過ごしでしたか?」
「あ、俺も、ほぼ勇仁と同じ過ごし方をしてました」
「そちらでも、お二人で練習されてるんですか?」
「いえ。体がなまらない程度に練習には行ってますけど、俺は二番目の兄が出身高のバド部の顧問してるんで、そっちの練習に参加してます」
「金沢選手は?」
「俺は、父が小中高合同のクラブチームの監督なので、そっちの方の練習に参加してます」
「そうなんですね。お二人、すごく仲が良いとお聞きしてるので、そちらでもずっと一緒に練習されてるのかと思ってました」
「いや。実は涼に会うの久しぶりなんです。一週間ぐらい会ってなくて。な?」
「うん」
俺が答えると、
「あの、折田選手、インタビューの時に、大事な人と過ごす時間を大切にしたいっておっしゃってましたが、どなたか特別な人がいらっしゃるんですか?」
もう一人の、笑い芸人の男性のMCが、勇仁にストレートな質問を投げかけた。
「そうですね。まさに今、話した人たちのことですね。なるべく地元に戻ってきたいな、と思って」
「ちなみに、友達とはどんな遊びを?みんな、プライベートのことも知りたいと思うので」
「俺はいつも居酒屋で集まってますね。中・高の友達やバドの仲間と、毎晩飲みに行ってました」
勇仁が答えると、
「金沢選手は?」
すかさず質問される。
「そうですね。俺も、中学や高校の友達と焼き肉の食べ放題に行ったり、カラオケ行ったり、あとバッティングセンターにも行きました」
「マジで?」
先に声を出したのは、勇仁だった。
「うん」
「え?お前、野球の球とか打てんの?」
勇仁が驚いたように俺に聞く。
「一応できるよ。それくらい」
俺はちょっとふてくされて、唇を尖らせて俯いた。
「金沢選手の、焼き肉食べ放題やカラオケは意外でしたね。イメージなかったです」
アナウンサーがすかさずフォローに入る。
勇仁が黙ったまま、ずっとこっちを見ていた。
「な、何…?」
顔を上げて、勇仁を見ると、
「いや。別に」
と、カメラの方に向き直った。
「そろそろお時間なので、お二人からメッセージいただいてもよろしいですか?まずは、折田選手からお願いします」
「はい。まだまだ涼の知らない部分があるんだな…と、今、気付いたので、これからもっともっと絆を深めて、息を合わせる努力をして、4年後のオリンピック目指して頑張りたいと思います。本当にありがとうございました」
「ありがとうございます。では、金沢選手、お願いします」
「はい。本当に、一つ一つの試合を大事にして、また4年後のオリンピック代表に選ばれるように頑張りたいと思います。本当にありがとうございました」
「折田選手、金沢選手、本当にありがとうございました。またこちらのスタジオにも遊びに来て下さいね」
「はい。ありがとうございます」
二人で声を揃えて言うと、俺はお礼をし、勇仁は右手だけを前に伸ばして手を振って「バイバーイ」と言って、テレビ出演が終了した。その姿が、妙にサマになっていて、つい、カッコいいな~と思ってしまったのだった。
勇仁は、素早くピンマイクを外すと、側にいたスタッフさんにそれを渡し「お世話になりました。ありがとうございました」と頭を下げて、足早にスタジオを出て行った。俺もお礼を言って、慌てて勇仁のあとを付いて行く。
「待ってよ、勇仁。どうしたの?何か怒ってる?」
勇仁の早く歩く足は止まらなかった。
エレベーターのボタンを押す。待ってる間も一言も話さなかった。エレベーターが到着し、二人で乗り込む。閉じるボタンを押した瞬間、勢いよく抱き締められる。
「ちょっと、勇仁…?」
「あんなカワイイ顔、全国放送で見せんじゃねぇよ。また涼のファンが増えるだろーが」
「カワイイって、何が…?」
「ふてくされた顔がかわいすぎて、つい見惚れた」
「え…?」
どうしよう。すごく嬉しい。
「そ、そう言う勇仁だって、あのバイバイは反則だよ。テレビの前の女の子たちは、絶対に歓声上げてたよ」
「何だよ、バイバイって」
「最後に手を振ってた姿がカッコよすぎて、ときめいた」
勇仁が俺を胸からはがすと、勢い良く唇を奪う。お互いに吸い付くような激しいキスを交わし、見つめ合う。
「って言うか、一週間はお互いに自由にしようって俺から言ったものの、涼のプライベートのこと全然知らなすぎて、すげぇショックなんだけど」
「確かに、お互いにプライベートのことは、あまり話したことないもんね」
「早く一緒に住みたい。涼とデートしたり旅行したり、いろんなことして、もっともっと涼を知りたい」
「うん。俺も」
「とりあえず今は、4年後のオリンピック目指して、二人で一緒に前を向いて、頑張って行こうな」
勇仁が、俺に向かって手を差し伸べる。
「うん」
そして俺は、その手を強く強く握り締めたのだった。(完)
小さな幼い恋から始めよう 多田光里 @383103581518
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