退陣論

「敬語」


「え?」


「敬語止めてください。あなたの方が年上でしょ。なんか歪な関係になっちゃうじゃないですか」


「あ、ああ」


 どうやら彼女が放った「気持ち悪い」は、俺の言葉遣いに向けられたものだったようだ。危なかった。女子高生に直接罵倒されて喜ぶ趣味は生憎持ち合わせていない。言葉の矛先がもう少しずれていたら勢い余って自殺するところだった。

 真意を知った俺はほっと胸をなでおろ・・・・せなかった。

 彼女が俺の手のひらに向けて思いっきりボールペンを突き刺してきたからだ。幸いなのか計算済みなのか、ペン先は指と指の間に突き刺さったものの、展開の脈絡がなさすぎて反応が追い付かない。

 彼女はずい、と顔を寄せて言う。


「それはそうとさっきの事ですけど。次ああいう客の対応が少しでも遅れたら、『見せしめ』じゃ済みませんよ。本当に眼球潰すしボールペン突き立てますから、そのつもりで」


「は、はい・・・・」


「敬語は止めてください」


 ボールペンが再び突き立てられる。

 あんまりだ。

 彼女は戦闘民族か何かか?それとも最近の女の子はみんなこうなのか?どちらにせよ悪い冗談である。あるいは悪夢かもしれない。

 しかしオーケー分かった。ここまで極端な状況下に置かれれば肝も座ってくるというもの。ここはあえてフレンドリーに接してみようじゃないか。コミュニケーション難度おそらく最大の彼女を攻略できれば、ほかの人間と良好な関係を築くことなどはるかに容易なことだという証明にもなる。


「わ、悪い悪い。それよりいつもスマホで何見てるんだ?」


「気になるんですか?」


「え、ああまあ。今時の高校生が何に興味があるのか研究してるんだ。うん。実は俺は研究者なんだよ。決して無職で家賃滞納して仕送りも止まってる君が思ってるようなどうしようもない男じゃないんだ。分かったね?」


「なるほど分かりました。肝に銘じておきます」


「助かる―で、一体何を見てるんだ?」


「教えません」


「な」


 なぜだ?完璧な運びだったはずだ。小粋なジョークを挟みつつリラックスして会話できたはずだ。一体何がまずかったというんだ?

「教えるわけないじゃないですか。あなたみたいな得体の知れない人に―ニートで家賃滞納してて実家からの仕送りも止まってるろくでなしなんかに」


「・・・・・・・・・・・・それもそうだな」


「え」


 最初から高望みだったんだ。無謀な挑戦だったんだ。俺が女子高生と親密に話すなんて無理な話だったんだ。現役学生の時でさえできなかったのに。彼女の言い分はもっともだ。いきなり人のプライベートな情報を聞き出すなんて歩常識にもほどがある。人としての品位を疑われるような行為だ。彼女は多分シフトを変更するだろう。学生がこんな深夜にバイトするなんて、それだけでなにか事情があることは察せる。もしかするとひどく困窮していて、兄弟たちの面倒を一人で見ていたりするのかもしれない。そんな懸命に日々を生きる少女の道を阻んでしまうなんて、最低だ。いや、それ以下の屑だ。いや、それよりもっとひどい―


「あの」


「・・・・すまない。俺は最低な人間だ。いくらでも罵ってくれて構わない」


「え、と。スマホの」


「無理してくれなくていいんだ。もう。俺が悪かった。いきなりプライベートなこと聞いたりして」


「は、はあ」


「こんなことはこれ切りにするから、できればこれからもよろしく頼む。極力君に、迷惑はかけないから」


 廻里津が何か言おうと口を開く―ちょうどそこで来客を知らせる電子音が鳴った。

 俺はいらっしゃいませと声をかけ、彼女は持ち場に戻っていく。

 最後の見た彼女の表情は、なぜかとても悲しそうだった。俺に対する哀れみだろうか。・・・・それはさすがに卑屈すぎるか。

 レジを打つ彼女の腕は、ほっそりとして儚げな印象を受ける。

これからどう関わっていけばいいものか。どうすれば友好な関係を築けるのだろうか。

足りない空白を埋めるように、俺はそんなことを考えていた。


同窓会まであと三週間。

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僕論 明け方 @203kouchi

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