純けつ

@akuzume

純けつ

先日は誕生日を迎えて、35歳となった。依然童貞である。


この歳になるともはや童貞が恥でも誇りもない、特定の人間を愛しないから特定の人間からも愛されない、当然のことだ。私はそれである程度満足している。もちろん私は人間としてプライドがあるのでもし私を侮辱する目的で童貞だと呼ばわりした奴をフィットボクシングで鍛えあげた神拳で粉砕するつもりでいるが、幸いなことにそんなこと今まで一度もなかった。皆いい人ばかりだ。


どうでもいい自分語りをここまでにして、より現実的な話をしよう。童貞だろうがなかろうが、人を助ける精神はなくてはならないと私は思う。そして見ず知らずの人のために己の身を捧げることは無上の美徳とされている。昔の人はそれを実現するために茨の冠を被り十字架を背負い丘を登ったり、菩提樹の下で飲食を断ち7日7晩にかけて瞑想したりしたが、技術の進歩のおかげで我々はそこまで苦行しなくても己を捧げられるようになった。血液センターか献血バス行くだけでいい。ようは献血だ。


誕生日は私にとって献血解禁日でもある。我が国では成年男性が年間の献血量は1500ccまでと定められており、抜けた血液の容量がそれに達すると次の誕生日までに献血できなくなるシステムだ。私は今年の3月に早々献血量が天井に達した。それから6ヶ月を経て、私の体内に溜めていた滾る熱血は早く見ず知らずの誰かを助けたいと轟き叫んでいる。


私は昼休みの合間に血液センターに足を運んだ。ナンバー札を取り、タブレットで個人情報を記入し、トンネルタイプの血圧計に手を突っ込んだ。最高血圧は129、最低血圧は87だった。最近は飲酒量が増えてるのでも少し高くなると予想したが、正常値以内に収まっていてホッとした。運動を怠らなくてよかった。


情報記入と血圧測定の次に面談がある。看護士に呼ばれて、狭い面談室に入る。


「それで面談を始めます。お名前を教えてください」

「アクズメさんです」

「血液型は?」

「Oです」

「誕生日は?」

「9月4日です」

「つい先日ですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「朝ごはんは昼ごはんはちゃんと食べましたか?」

「はい」

「昨晩は何時に就寝して、今朝は何時に起床しましたか?」

「23時30分ぐらいに寝て、7時に起きました」

「現在は体調が良好ですか?」

「良好です」

「最近はお薬を飲んでいましたか?」

「ないです」

「8時間以内に飲酒しましたか?」

「持病の欄に喘息が入ってますけど、今はまた症状が出たりしますか?」

「いいえ、もう20年以上発症してないです」

「素晴らしい。ではこれからいくつデリケートな質問をしますが、血液の安全性と被輸血者の健康が関わる重要事項のため予めご了承ください」

「はい」

「あなたは一年内に同性の相手と性行為しましたか?」

「いいえ」

「一年内に性行為の相手が二人以上いますか?」

「いいえ」

「一年内にあらゆる形式の風俗店を利用したことがありますか?」

「いいえ」


以上の質問はすべて情報記入の際にすべてNOと答えていたが、ここでもう一度問われる。万が一汚染された血液が輸血に使われたら大事なので向こうも入念に越したことはないでしょう。ここは辛抱強く、誠実に答えていこう。そして自分が童貞であることは明かさなくてもいい。昔は思考が未熟で「童貞ですので全部ないです」と言ってしまい気まずい空気が面談室の中に流れた。私の忘れたい記憶TOP5になっている。


「薬物やアルコールの依存はありますか?」

「いいえ」

「タトゥーを入れたことありますか?」

「いいえ」

「医者から献血しないようにと伝えらえたことがありますか?」

「ありません」

「自分自身が何らかの病気が罹っていると疑ったりしていますか?」

「いいえ」

「素晴らしい。それとAIDSなどの疾患を隠して献血を利用して場合は5年以上12年以下の懲役が科されます。問題がなければこちらのタブレットにサインしてください」

「はい」

「はい、面談はこれにて終了です。次は血液検査させていただきますね。右手を貸してください」


看護士は消毒液をつけた綿棒を私の右手の薬指を擦った。次はロケットタイプの色鉛筆と似たプラスチックのブロックを取り出し、捻ると、中に収納されている短い針が露わになった。


「ちょっと痛いですよー」


針がチクっと指の皮膚を破り、小さい傷口を開けた。看護師は指を圧迫し、傷口から出た血液をスポイトで吸引し、機器に入れた。


「ワオ、赤血球の数が大変素晴らしいですね」


赤血球の数で褒められて、少々誇らしい気分になった。飲食と運動に気を遣った甲斐があった。


「それでは今日は何ccにしますか?」

「500でお願いします」

「はい500ね。どちらの手にします?」

「右、いややっぱ左手でお願いします」

「オッケー」


看護師は私の左の手首に「500cc献血」と書かれた紙バンドを付けた。


「今日のプレゼントに靴下がありますけどいかがですか?」


わが国では献血を促進するために、血液センターは献血者にプレゼントを用意することが多い。血液センターのマークがついた靴下は定番の一つ(ちなみに今まで貰った献血プレゼントのなかで一番高級なのはパッケージにジェイミー・オリバーの写真が入ったハンドブレンダー)。今まで何足も貰ってきた。血液センターの靴下は底が厚く耐久性がいいので結構気に入っている。しかし今回の靴下はアンクルソックスタイプなので貰わないことにした。なぜか最近はアンクルソックスが子供っぽくてダサいと思うようになった。


「今回は靴下がいらないです」

「そう。ではポイントに変換しますね。500ccなので2ポイントです」


プレゼント要らなかった場合、献血量に応じてポイントが貰える。と言っても一回の献血は最大500ccまでなので2ポイントしか入らない。ポイントを貯めるとより高級な景品と交換できるが、どうがんばっても年間6ポイントしか溜められないので長い道のりになる。


「あとは外で看護士の指示に従って着席してください。あっ、そのまえにもう一度水分を補充してくださいね」

「はい、わかりました」


ウォーターサーバーから温水を一杯いただいた。これで準備は整った。私は献血エリアへ向かい、看護士の指示で表面に亀裂が生じた合成皮革の献血ソファーに背中を預けた。


「はい、アクズメさんですねー、お誕生日は?」

「9月4日です」

「おっ、つい先日じゃん。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「血液型はなんですか?」

「Oです」

「はい問題なさそうねー。始めてもいいですか?」

「よろしくお願いします」


看護士は熟練した手さばきで私の上腕をチューブで縛り、薬液をつけた綿棒で肘窩を一分間ほど擦り続けた。そこまでやるか?と思ったことあるけど、そういう標準作業手順だそうだ。


「じゃ針を挿しますよ。左手はリラックスして、息を吸って」

「はい」


肘窩に太めの針が当てて、私は視線を逸らして天井を見つめた。私は熟練の献血者だが、やはり自分の体内に太いのが入ってくるところはどこか恐ろしくて見るに堪えないのだ。


肘窩に痛みが走り、異物感を覚えた。また視線を戻さない。看護士が処置し終わるまでは。


「はいよく出来ました。具合が悪くなったら言ってね」


左手を見ると、針と皮膚の接触部がガーゼによって完璧に守られていた。この薄い布一枚だけで自分のなかに金属の針が入っている不安が薄れ、たいぶ落ち着ける。不思議だ。


「良心カードを受け取ってください。一週間経ってから捨ててくださいね」

「あ、はい」


良心カードとは、献血の直後に風邪の症状が起きたり、病気に罹患しているにもかかわらず献血したりして自分が血液が輸血に適切ではないと良心の呵責に苛まれる場合、すぐ血液センターに連絡を取れるシステムだ。一応標準作業手順に入っている。私はそれをカードを胸ポケットに入れた。


あとは拳を握ったり放ったりして、血液パックに500ccの血が充填されるまで待つだけ。私の命が私から離れ、別のところで別の命を繋ぐ。想像するだけで胸に充実感が湧いてくる。吸血鬼のアニメや漫画では処女の血液は上質にされがちだが、私の純潔童貞血液はそれに劣らないと自負がある。なぜなら赤血球濃度が高いからだ、医療従事者のお墨付きで。


(おわり)


※第一回きつね童貞文学大賞参加作品です

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