第2話 薩摩狂句の歴史
新刊で入手可能な薩摩狂句の本が極めて少ない(ないかも)という中で、なぜか実家にあった『さつま狂句 テレビ版』(南日本放送)という本を紐解くと、明治期に地元紙の記者3人が、東京の川柳や隣県である熊本の肥後狂句(!)に対抗し、平民文学として鹿児島の方言を用いた川柳を募ったというのがはじまりのようです。
この地元紙の記者3人というのが、いずれも県外出身の方々だったのが興味深いですね。それほど鹿児島弁が強烈だったのでしょうかね。
個人的には、日本の端っこで「平民文学」という新しい動きを生み出そうというエネルギーに、明治という時代を感じます。
創始以来100年を超える歴史を持つ薩摩狂句ですが、最初は標準語と鹿児島弁が混ざったような句が中心だったようです。
その後、一部から鹿児島弁のみで詠まなければ、土地の風土や人情の機微などを詠み込めないという議論が沸き起こり、現在のような鹿児島弁のみで句を詠む形態となりました。
創始から時間が経過すると、ラディカルな動きが出てくるのは文化芸術活動全般で見られるのねと面白く感じました。
次回は薩摩狂句の基本的な形式について、ご紹介したいと思います<(_ _)>
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