第12話 もう、いいです





 ──体の芯から冷えていくのを感じました。

 『人柱として育てられた』と述べる彼に、言葉など出なかった。



 どんな思いで育ってきたのですか。

 どんな気持ちでここまで生きてこられたのですか。

 聞くに聞けません。ただただ胸が締め付けられて、彼の背負ってきたものを想像するだけで息ぐるしさを感じる私の前で──彼は、続けてくれました。





「……僕は騙されてきた。『正当なる王位継承者こそ、冥府の戸の守りびとであり、名誉なことだ』と。『スタインの血と守り刀をもって、厄災を沈めよ』と。それが『世界の理だ』と教え込まれた。しかし、僕以外の兄弟は……違った」


「『たった一人犠牲にすれば、国の安寧は守られる』『人柱になるのは屑の証』『あなたたちの勝利は約束されている』『人柱ではないものこそ、未来を担う王である』。……僕以外の兄弟は全く反対のことを教え込まれていた。洗脳されていたんだ」

「……そんな……」



「僕は、自分が名誉で誉れ高き存在だと信じて疑わなかった。この命は国のため・世界のために奉仕するものだと思い込んでいた。しかしそれが嘘だと知ったのは────兄上の祝賀の席でした」


「僕は常々、兄上が『兄上であるにも関わらず、王位に就けないこと』を疑問に感じてはいました。そして、見下してもいた。優秀ではない彼が不適合であり、僕が選ばれたのだと思い込んでいた。

 そんな心持の自分と、事実を知る兄上……、ふとしたきっかけで口論になって、……それで」


「生意気な僕に、兄上は真実をいた。ありとあらゆる書物を投げつけ、嗤いながら教えてくださった。『これが事実だ。お前なんか死ななきゃ意味がない』『その命で我々に尽くせ』」

「…………ひどい……!」



「──僕は最初、彼の言っている意味が分からなかった。けれど、集められた親戚の視線は、何よりも正直でした。鼻で笑うもの・憐憫の眼差しをくれるもの──

 『王家のために尽くすのになぜ? どうしてこんな目で見られなきゃならないんだ!』『冗談だろ!』と叫びましたが、……結果は…………『すべてが敵』でした。僕は端から、礎のひとつでしかなかった」



「──それから、本を読み漁りました。人柱おうむけの物と王族むけの物は、本当に別物で。……向き合っているうちに、『信じられない』で埋め尽くされていた頭は徐々に冷静さを取り戻して、途端……怖くなったんだ。生きていたいと思うようになった。『あいつらのために命を捧げるなんて、冗談じゃない』と思った」


「──その後のことは……あまりよく覚えていなくて……気が付いたら、返り血を浴びて平原に居ました。黒剣と短剣だけをもって、……城で、何が……起こったのか、……自分が、何をしたのか、恐ろしく……なって……」


「振り返ることもできずに逃げました。怖くてたまらなかった。神も女神もないと思った。僕は、自分が恐ろしかった。…………『スタイン家の半壊』という噂を聞いたのは、随分後のことです」


「……ステラ、僕は……僕は、怖かった。自分の命惜しさに逃げ出したんだ。人柱として産まれ出たのに、それに逆らってしまった。小さな命が犠牲になり、民が苦しむことをわかっていながら、差し出すことができなかった。自分が情けない、けれど、どうしても生きていたかった。死にたく、なかったんです」

「………………はい」



「世界のどこかに何か方法があるはずだと探し回った。たびたび開かれる扉にも、世廻りにも、耳を塞いで目を閉じて、逃げ回ってしまった」


「……『運命は、どこかで変えられる』『負けてたまるか』と信じてきたけれど……僕はっ……!」


「──────もう、いいです」



 無意識に手が伸びて。

 私は彼を抱きしめていました。

 見て居られなかった。震える声も、彼の顔も、自分を切りつけている彼も、もう、全て。

 


「…………もう、いいんです」



 一人で背負っていたなんて。

 苦しかったでしょう、つらかったでしょう。


 言葉にできない思いの代わりに、腕に力を込めました。

 胸の中、彼の震えが少しずつ大きくなって────その振動に、私も静かに瞼を閉じました。


 溢れた雫が一つ、頬を流れていきました。

 



 

 ──────


 

 

 誰かを支えたいという気持ちは、時として抑えられないものです。


 ずっとずっとそばに居たい。

 この人の力になりたい。

 支えたい。

 そんな想いが、大切な人の一助になった時。人はしんから喜びを感じるのだと知りました。



 ──私たちを包んでいた漆黒の闇も、いつしか柔らかく感じられるようになった時。


 ……ふう……と、ひとつ響いたのは、彼の安堵の音。

 ゆっくりと顔を上げ、距離を取る彼は──ほろりと柔らかな瞳で、私を見つめほほ笑むと、



「……不思議ですね。こうしてくれているだけで、心が休まっていく……安心するというか、ほっとします」


「──ふふ、『鍾乳石は癒しの石』そう教えてくれたのは、あなたですのに」

「……そうでしたね、……ああ、間違いない……安らぎの石だ。僕のも、こうであれば良かったのに──」

「……あ……」


 

 柔らかな声と共に手が伸びて。

 彼の右手が包んだのは、私の頬でした。

 大きな手。優しい瞳。殿方に……見つめられるのは初めてで、とくんとくんと鼓動おとがする。


 広がる淡く甘い麻痺。

 ──ああ、これにみな、抗えないのですね……


 

「……そんな顔をして。……可愛い人だな」

 ──とくん。 


「……──僕が男だと、忘れていませんか?」

 とくん。とくん。



 ──わかっています。わかっていたから、離れたくなかったの。

 


 息もできない酩酊感に身を委ねて、私は唇の幸せを待ち──

 ────ぞ・わ・り。

『────!?』


 突如駆け抜けた恐怖と悪寒。幸せから一転・弾かれたように顔を上げた先、飛び込んできたのは、漆黒の壁。先ほどまで大人しかった川の水がずるりずるりとせり上がり、私たちを飲み込もうとしているように見えました。



「……なに、これ……」

「────引き寄せだ……!」



 ────引き寄せ?

 漆黒を睨み据え、庇うように立つ彼は、じりじりと私ごと退ける様に距離を取りながら言うのです。 



「──知っていますか、この世で最も死者に近い石はなんなのか」

 聞こえ始めた、怨嗟の音。



「『ドリス・スタイン』は何という石に浸食され、石化したのか」

 ずるり、ずるりと這い出す様に伸びる細い手が空を切る。



「────御影石。通称『墓の蓋』。我らスタインが宿す、冥府の蓋だ」



 固い口調で彼は鈍い漆黒の短剣を引き抜くと、私に微笑みました。



「……ステラ、貴女の鍾乳石 ちから が安らぎを与えるように。僕の力は死者を呼び寄せてしまう」



 ────いや、嫌……! 聞きたくない。



「…………やはり、運命からは逃げられませんでした」

「……待って」

「──これ以上、スタインの血が減る前に。正当な王位継承者ひとばしらが呪いを食い止めなければならない」



 先ほどまでの平和な川のほとりは一変、まるで地獄の入口のようで。今まさに暗黒へと身を投じようとしている彼に、言葉が──渦を巻く。


 ──待って、待ってください。

 『そんなことを言わないでください』『行かないで』『お願い』と、伝えたいのに、彼の諦めを孕んだ強い瞳に潰されていく。



「……ステラ、貴女に会えて良かった」

 漆黒の手が彼を掴む。今生の別れだと勘が云う。



「…………命を捧げる価値がある人がいるとわかっただけでも、運命に勝ったと、そう言い切れる」

 ──覚悟を決めた彼に、私は、



「────なら。私を使ってください」



 咄嗟に告げていた。

 わたしは、あなたの力になる。

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