第10話
──その日は、妙な日でした。
良くないこと・招かざる客というものは、時として群れを成す様に襲い掛かってくると言います。それらが起こる前は、必ず前兆があると聞いたこともありますが……
それに気が付けるほど、ヒトは敏感ではないのかもしれません。……いいえ、私が単に、鈍かったのだと思います。
「────あんた。人を不幸にしてきたね? 災いが降り注ぐよ!」
「…………はい?」
どんよりと曇り空が広がる、夕暮れ時。
お夕飯の材料を仕入れに、近所の露店を目指していた時のこと。
突然、フードを目深にかぶった女性に声を投げられて、私は思わず足を止めていました。
「ひぇっひぇっへ、もう遅い、もう遅いんじゃ! あんたがしてきたことはぜええんぶ空に貯金されておる! あんたに巻きかえってくるでのう!」
「…………!」
聞いて、私は息を呑みました。思い当たる節があるからです。
瞬間的に浮かんだのはルルさんです。
彼女の最後の表情は忘れることができません。悔しそうで腹立たしくて、それでいて侮蔑を孕んだお顔をされていました。
……彼女はあの後、どうしているのでしょう……
修道院にいらっしゃるのでしょうけれど、あの時ざわつき始めた周りの空気は、明らかに彼女に軽蔑を送っていました。あの空気の中で、彼女は生活していけるのでしょうか……
そんな思考が連れてたのは、《修道院を追われている彼女》。
脳内でめぐる悲惨な想像に、苦みが広がり行きます。
──……あの時、どうするのが最善だったのでしょう?
彼を信じたかったし、それは今でも変わりありません。私のことも飛んだ言いがかりでした。彼女の真意はわからないままですが、それでも──……
彼女にしてしまったことが、今後私たちの暮らしに災いとして降りかかるのなら、今からできることはないでしょうか?
焦りと不安と、守りたいという思いから。
私は占いの女性に、前のめりで問いかけてしまったのです。
「……え……、あの、ならどうすればいいですか……!?」
「ひゃっひゃっひゃ、んふ♡ ……んん゛!
この先にぃ、館があるの~! 占ってあげ、しんぜよう~!」
■■
「……落ちぶれたものですね。王家に仕えていた時の気概はどこに消えたんですか」
「誰のせいだと思ってンだ!! ……こちとらなぁ? アンタにはさんざんな目に遭わされてンだよ。こんな微々たる
「……まるでチンピラだ。見る影もない」
「あ、あー! 今のも痛ぇ! 言葉の暴力ううう。いてえなあ、おい! 心に傷、負っちまったよ、いてえよおおおお~~~」
「…………いくら言われても。規定の金額はお支払いしましたよね。これ以上は恐喝だ」
「──おおっと。い~のかい? そんなこと言って? こちとら、『弱み握ってんだ』ぜ? アンタらは俺の手のひらの上。ころころ、ころころ~。転がされて、永遠に金を作り続ける。そういう、《運命》。わーかったぁ?」
「────それは彼女のことを差しているのか。へイネス。落ちぶれたものだな」
「──は! おめーのせいだろうがよ! おめーがあの女
────会話が、受け入れられない。
聞こえてくる声も、言葉も遠く。
けれどはっきりと響き、氷を流し込む。
「さあさあ、
「…………笑い話ですね。まるで何も見えていない」
冷たい声。聞きたくない。
笑い捨てた
「そもそも僕たちは偽りの関係だ。彼女は僕の弱点になどなりえませんよ。好きにすればいい」
「ふ、ははははは! はははははは! おうい聞いたかステラ様! 《好きにすればいい》ってよぉ!!」
「───
「…………」
驚愕に染まった顔を向けられて、私は目を反らし、逃げようとしました。しかし、それは叶わなかった。
行く手を阻むようにしっかりと立つ
真っ黒な世界で、彼女の、とても楽しそうな声が響きました。
「だぁめ♡ はぁい、現実みようねー♡ スーラ♡」
「────おまえは……! ルル!」
■■
占い師の女性がルルさんだと解った時には、もう、遅かったのです。
ひとけの無い路地の奥。突然飛び込んできた会話に、私の足は、地面に張り付いたように動けなくなりました。
粗暴な口調の男は言います。「さもなくば金を出せ」
聞きなれた声の彼は答えました。「いい加減にしろ」
普段は穏やかであるはずの彼の声に、怒りと殺意を感じて、会話に動揺する私に──決定打は落ちてきたのです。
「へイネス。落ちぶれたものだな」
「カーティスさんよお、ほら、王女様やっちまうぜ?」
「──笑い話。何も見えていない。
★
────ふ、ふふふふ……! あはははははは!
「──は──、うっけるぅ♡ 聞いた? ね、スーラ、きいたぁ?」
享楽に染まった高笑いは、私の後ろから。狭く暗い路地の裏、声は不快に響き渡りました。
目が合った私と彼。カーティスさんの空気が動揺から殺気へと素早く切り替わり、鋭い眼光で睨むと、
「……ルル……! どうしてお前たちが……!」
「どうしてもこうしても」
「あん♡ 《運命》?」
笑いながら、躍るようにへイネスのもとへ歩み寄った彼女は、へイネスに絡みつき愉悦を滲ませ述べました。
「へイネスはねぇ? あんたたちを捕まえられなかった罪で、王国を追われちゃったのよ~可哀そ~」
「ルルたんもだろ? こいつらのせいで、修道院、いられなくなっちゃったんだよな?」
「そーなのぉ、ルルぅ、かわいそーでしょぉ?」
「おーヨチヨチ、俺の可愛いルルたん♡」
………………何を、見せられているのでしょうか。
「ヘイくんがぁ、スーラとアンタを知ってるの聞いて驚いたけどー♡ もっと驚いたのはスーラが王女だってことよ! しかも《追放された役立たず》ってとこぉ! きゃはははいい気味ー♡ 王様たちの気持ちもわっかる~! こぉんなドンくさい天然かまととぶりっ子女、見てるだけでイラつくもんねえ?」
────
「──っていうかアンタもさぁ? そんなど~んくさい女となーんで一緒にいるわけ? まさかそいつに惚れてるとかっ? あっは、うっける♡」
「貴様に関係ない!」
「──ひとつ、教えてください」
怒りに呑まれる寸前で、私は、ひとつ声を張り述べました。
浅い呼吸がバレぬように。奥底の怒りに食われぬよう、理性を保ちながら。
「修道院で、なぜあのような嘘を吐いたのですか? 私と彼に、なんの恨みがあるというのですか? あの時私は、貴女に不躾な行為は」
「────は? ふつーに気に食わなかっただけだけど?」
■■■ ────何を、言っているの?
「もとはと言えば『イケメン連れて旅してる、抜けた田舎娘』なんて気に要らないに決まってるじゃない。生意気でしょ? だから『男だけ誘惑して追い出してやろ~』と思ったわけ。そしたら
「だからルル、ムカついて『ルルを欲しがらない男なんて要らなーい』って、『罪かぶってもらおー! 万死に値するー! でも、謝ったら許してあげてもいいなあ』っておもってたのにぃ、全然あやまらねえしさあ! だから嫌いなんだよおめーみたいな朴念仁!!!」
「『むかつくー。むかつくから、罪、かぶってもらったー♡ ルルちゃん、可愛いから許されるのー♡』が、いつもだったんだよ!! いつもそうだったのに!!」
「あの時変だった! ルル、修道院追い出されちゃったのよぉ!? ありえなぁ~い! なにしたのよステラ! 絶対全部全部全部! あんたのせい!!」
「……んん、可哀そうにぃ、でも、それでおいらと会えただろぉ♡」
「ああん、へイネスってば♡ 触っちゃだめぇ♡」
腹立たしくて。言葉もないのは初めて。
「ヘイくんはぁ、ルルを見捨てたりしないよネ?」
「しないよぉ~、ルルたん♡」
人様を、醜いと思ったのも、これが初めて。
「きゃは♡ この人たちに一生集って、楽して暮らしていこーねー♡」
「んー♡ そうちよぉね、ルルたぁん♡」
「────ッ!」
「────下衆の告白、ご苦労様だった」
「きゃあんっ!」「ぐあ!」
「────!?」
瞬く間の出来事でした。
私が怒りに呑まれるより、一瞬早く。『動いた』と認識した次の瞬間には、ルルさんは足を払われ地に転がり、へイネスは顎を押さえ苦悶の表情を浮かべていました。
「──な、なにを……!?」
「……掌底で顎を突き上げただけですよ。脚に来ているでしょう。しばらくは立てない」
──掌底の一撃──
お兄さまに聞いたことがあります。手のひらの底・骨の一番固い部分に勢いを乗せて突き上げる・護身術のひとつだと。使い手の技量や入り方によっては、脳を揺らし・脚に来る。
言うことの利かぬ足に苛立ちを露わにするへイネスの横を過ぎ、カーティスさまはルルへと── 一歩。
鬼気迫る威圧を放ちながら、一歩。
「……ちょ、ちょっとまってよ! ルル女の子だよ!?」
「────だから?」
一歩。
「女相手に男が暴力奮うわけぇ!? それはどうなの!?」
「────それで?」
──── 一歩。
「ちょ、ちょっと待ってよぉんカーティスさま! わかった! ねえ、なんでもする! なんでもするから! だからお願いル、あああああああああああああああああ!」
ずっ、うん……っ!
耳をつんざくような悲鳴と、空気が厚く揺れたのと、ほぼ同時に。ルルとへイネスは地面に押し付けられ、苦悶の表情を浮かべていました。
何が起こっているの?
空気が揺れている? 密度が変わっている?
ただ、わかるのは『彼の怒りに呼応して、見えない何かが伸し掛かっている』ということだけ。
初めて見る『彼の力』に息を呑み、彼から預かっていた守り刀をぐっと掴む私の目の前で。もうひとつ混乱は、地を這う二人の口から飛び出しました。
「重い! 重いなにこれぇ!!? 次期王がこんなことして良いわけぇ!? 化け物! 悪魔!! あんたが消えればいいのよ!! 冥府の詐欺師!!」
「やめろふざけるな殺す気か!! グレン・スタイン!! 貴様ぁ!!」
────”グレン・スタイン”?
「おいステラ王女よく聞けぇ! お前が縋った男はな、
────ず。ずんっ。
空気が震え、密度が増していく。
ミシミシめりめりと音がする。
人が、モノが、圧迫されていくさまが──
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!
────いけないっ!
腹から捻じり出てしまったような叫びに突き動かされ、私は慌てて彼の手を押さえ、
「……命だけは!」
「…………ステラ…………さん」
切に放った言葉に、飛び込んできたのは痛烈を宿した白銀の瞳。
星が瞬く新月の夜。
静寂が落ちる路地裏で、私は──彼に、
「……《グレン・スタイン》……どういう、こと、ですか……?」
禁断の箱。
知ってはいけない秘密。
迫る暗澹たる闇の存在を、私はまだ──知らなかった。
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