第9話 かりそめのひと時







「な、こ、え……? この金貨 こ れ は、どこから……? えっ?」

「売りました!」


「……なにを?」

「私の持ち物です! それで、お金を作りました!」


「…………はいっ?」



 ファルダの街を目前に迎えた、とある小さな宿街での話です。行商の方に交渉してお金を作った私の報告を受け、カーティスさまは白銀の瞳を丸め、間の抜けた声をあげました。

 

 ふふふ、驚かれたでしょう? 私はこの前までの『ステラ・カルサイト』ではないのです。一人の大人として、立派に自立した人間なのです。

 

 大きな木の下、短剣の鞘の手入れをする彼に、私は自信に満ちた顔でほほ笑むと、



「これまで私は、カーティスさまに甘えっぱなしでした。暮らすことや食べることにもお金が必要だということにすら気づかず、反省してもしきれません。

 ……ということで、お金になりそうなものはすべて売り払ってまいりました!」


「────すっ、すべて!?」

「ええ、すべてです!」



 もちろんです、だって生活していかなければいけませんもの!



「王家の証のブローチも指輪も、もう持っていても仕方ありません。そのうち落として無くしてしまうなら、古物商に買い取っていただいた方がお互い幸せというものです! ほらカーティス様、ご覧になってください!」



 言いながら取り出すのはお揃いのフードです。ふふふ、行商の方に聞いて、一番質が良く、また馴染むものを選んでいただきました。王族の私から見ても仕立てのいいものです!



「フードも衣装も、街に馴染みそうなものを選んで参りましたっ! 初めてのお買い物にドキドキしましたが、これで一人前の大人です……! ファルダの街も怖くありませんね! うん……? カーティス様……? なぜ頭を抱えてよろめいていらっしゃるの?」


「…………『自活もままならない姫君に、全財産を金に換えましたと笑顔で報告されて』…………頭が痛いです」



 …………あら。えーと……

 予想外の反応に、私は少々困惑してしまいました。

 けれど、こういう時は勢いが大切だと、ルルさんもおっしゃっておりました。


 見習えない部分が大方ではありましたが、そういう『勢い』は『私にないモノ』。ここは、少し真似をさせていただきましょう。



「暮らしていくのには、先立つものが必要ですっ」

「……それはそうですけど、貴方バカなんですか……!?」

「……」



 瞬間、止まる時。驚く私。『思わず出てしまった”バカ”』に気づいたカーティスさまの表情が、目くるめく変化を遂げて気まずい色に染まるころ。私の頬は──緩んでおりました。



「……っと、すみません、失礼しました」

「──いえ、ふふ、そんな一面もあるのですね?」


「怒った方がいいですよ。怒るべきです」

「王族は、あまり怒らぬよう訓練されております」

「……時と場合によると思いますけど」



 笑いをかみ殺す私、呆れを含んだ溜息をこぼす彼。

 ……ふふ、このやり取りも何度目でしょう……!

 私は、彼の『呆れ』の中に、責任と許容が混じっているのに気づいておりました。



 甘えているのです。わたしは。

 けれど、そんなやり取りをできる相手は今までおらず、私は彼に、今まで以上の信頼を寄せておりました。



「……ステラ様、少し変わりましたね」

「────ええ。前の自分には別れを告げました。強くなると決めたのです」

「……”強く”ですか……」



 にっこりとほほ笑む私の前で、彼は悩まし気に眉を寄せ息を吐きました。



 ──あの、カーティスさま? 貴方は気が付いているでしょうか?


 『強さの裏には、不安がある』こと。それを払いのけるために、笑い穏やかに勤めていること。『ファルダの街』で待ち構えている別れが、私にとって、とても──受け入れたくない現実であること。


 気づいていて、優しくそっけなくするのなら──貴方は、優しく残酷な人。

「…………」


 落ちゆく心をひとつ、息でつなぎ留めて、私の指は縋るように鍾乳石やどりいしのペンダントを握っていました。

 ……不安な時、いつもこのに縋ってしまうけれど……このは、いつも私に安らぎを与えてくれる。


 ……守り石というだけあります……落ち着きます……



「……けれど、この金は……ううん……」



 心を静める私の隣から、彼の悩ましげな声が響いて、私は我に返り顔を上げました。


 

 ──そうですよ、ステラ。自分で用意したのですから、私も考えないと。彼に任せていてはだめです。お金のことを、お金のことを…………あら? けれど、これだけあればしばらく生活には困らないと思うのですが……? 彼は、いったい何を悩んで────


 そう首を傾げた時。彼はおもむろに金貨袋を持ち上げると、こう述べたのです。



「…………ステラさま。なら、一緒に暮らしましょうか」

「はい! …………って、えっ!?」

「──一緒に暮らそうって言ったんですよ、不都合がありますか?」




 ──それは、私にとって、願ってもいない提案でした。




 ★




 カーティスさま曰く。

 

 『金貨を持ち歩くのは労力も危険も伴います』

 『ならば、少しの間、かりそめの夫婦として居を構え、貴方の自活力を育てましょう』

 『心配しないでください、何もしません』



 『────その方が、僕も都合がいいです』

 『しばらくは夫婦として、よろしくお願いします』

 


 ────こうして、私たちは偽りの夫婦として、ファルダの街で生活することになりました。こんなに幸せなことがあっていいのでしょうか……





 ★




 ファルダの街に潜んで、少しばかり季節が進みました。

 

 物騒な噂も飛び交う街での生活ですが、家の中は穏やかでした。

 お掃除にお洗濯。ご近所付き合いも慣れてきました。

 まったく経験のなかったお料理も、少しはできるようになりました。


 少しばかり作れるようになってくると、未熟な自分があらわになります。

 はじめは黒焦げの物体を食べさせていたと思うと、もう、どうしようもない自責の念に駆られるのですが……彼は『まあ、あれはあれで』『あれがあるから今、美味しく感じますよ』と褒めてくださるのです。頭が上がりません。


 

 穏やかに流れゆく生活の中で、彼は時折、信頼と心配をまぶしたようなお顔をされます。そのたびに『外には気を付けてくださいね』と声をかけてくれるのです。

 それだけではありません。ずっと腰に下げていた短剣を『脅し程度にはなるでしょう』と預けてくれました。


 彼の預けてくれた短剣は、それはもう見事な漆黒で──

 その艶めきと鏡のような刀身に、私は目を奪われて仕方ありませんでしたが、彼は決して、その刀身を見ようとしませんでした。



 私たちの呼び方も変わりました。

 お互いに様付けでしたが、夫婦らしく『さん』と呼び合うようになりました。一時的な偽夫婦……、夫婦ごっこですが、それでも私は嬉しかった。


 


 カーティスさんは、その日限りの仕事を請け負いお金を稼いできてくれます。私が作ったお金がありますから、当面の生活は困らないというのに、とても精励恪勤せいれんかっきんなお方です。


 そんな彼に触発されて、私も、調子のよさそうな石を見つけて拾っては、気持ちを込めて艶めかせ、それを売ってみてはいるのですが……どうにも売れないまま。確かに、『ただの拾ってきた石が艶を得ただけ』で、誰が買うのかと聞かれたら何も言えないのですけれど。



「……綺麗だと思うのですが、売れません……」

「──”安らぎの石”とでも謡ってみたらどうですか? まあ、石に金を出すほど、まわりの暮らしは豊かではありませんけどね」



 食卓の上、ころりと転がる石にため息を吐く私の後ろから、彼の声。「もう、それはそうですけど」を胸の内に、私は上半身を起こして口を開きます。



「わたしも、頑張っているのですっ」

「頑張りは認めていますよ、ただ、怪しいと言っています」



 ……うっ……『怪しい』…………

 はっきりとした物言いに少々気落ちする私の前で、彼はなだらかに述べるのです。



「僕は、貴女がセント・ジュエルの王族で、石の力があると知っているから理屈はわかりますが、他の人間から見たら怪しい石売りの女でしょう?」

「…………」

「……あ、いえ、言い過ぎましたね、その……悪気があったわけじゃないんです。僕は正直、その……貴女には、外に出て貰いたくないんですよ」



 声に言葉に混じる『複雑』。

 それを感じ取って、私は肩を落とし言葉を挟みます。



「……私が、王女だからですね……、追手も来ると思いますし……」

「まあ、それもありますけど。…………噂がな…………」

「噂?」


 ……うわさ……?

 なんでしょう? 私の変な噂でも流れているのでしょうか?

 思い当たる節がない私は、彼を見つめて────一拍。


「──〰〰……!」


 ……あら……? そっぽを、向かれてしまいました……

 …………うん……? なんでしょう……?

 なんとなくよそよそしいような、ぎこちないような……?



 見たことのない彼の様子に疑問を抱き、私がまじまじと彼を見つめるその先で。かれは、難しそうな顔で「──こほん」と咳ばらいをひとつ。二度三度、喉を鳴らしながらおっしゃるのです。



「…………とにかく、です。昼間・一人の時間は特に。外には出ないでくださいね? お願いします」

「…………? なにか、恥ずかしいことでもありましたか……?」

「────そのかお……、ああ、不安だ……誰も訪ねてくるなよ……」

「わたし、詐欺にはかかりません!」

「そういう問題じゃありません」

「?」


 取り付く島もない口調ではっきりと。述べる彼に、私は眉根を寄せて首を捻りました。

 

 最近のカーティスさんは、たまにわかりません。怒りながら喜んでいるというか、変な動きをすることがあります。それが不思議でなりませんが、訪ねても教えてはくれません。



 ……なんでしょう……? どうされたの……?

 

 彼の、支度の様子を、じ──っと見つめて────



「────あまり見ないでください、手元が狂いそうになります」

「…………はい」



 ……もう、意地悪な方。

 そんなに冷たい言い方をしなくてもよいではありませんか。

 少々気分が落ちてしまいそうです。


 けれど、そんな寂しさの片隅で、私の冷静な部分は、彼の言葉を繰り返すのです。『噂が』……と。


 

 …………噂、うわさ……ですか……

 なにか人さらいが来るとか、化生の世廻りが来るとか、そのような噂でしょうか? わたしの耳にも少々の話題は入ってくるのですが、彼が懸念を抱くような噂は特に────



「────あ、そういえば、カーティスさん!」


 思い当って”ひとつ”。私は手を合わせて彼に述べました。


「小耳に挟んだのですが、最近、グレン・スタインという危ない男性の目撃情報をきかれます! 気を付けてくださいね、あのスタイン家の人かもしれません!」

「……………………………………………………はい」


「それと、あと……、あ。『このあたりに最近越してきた、とても可愛らしい女性』の話を聞いたことがありますか? なんでも、『怪しいモノを売っているけど、話しかけてみたい』と評判らしいのですが…………ご存じありませんか?」

「────…………出ないでください。以上です」



 ぴしゃん。

 けんもほろろに言い切って。彼は家を出てしまいました。

 しんと静まり返った部屋の中、私は閉じた扉に目を向けて──



 ────もう、教えてくださってもいいのに……!

「カーティスさんのばかっ」



 この時、可愛げもなく頬を膨らませていた私は、まだ幸せでした。

 彼の、密談を、聞いてしまうまで。




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