第6話 礎の少女はご存じですか?





「────…………」



 『礎の少女』を読み終えて、私は言いようのない感情に包まれていました。


 『村を助けるために森の奥深くへ入り込んだ少女は、おばけの気持ちを汲み、交流を重ねていく』……そんな物語に私は『彼らはお友達になり、悪さはしないという約束をして、仲良く暮らすもの』だと思い込みながら読んでいたのですが……



「…………これは……どう受け止めたら良いのでしょう……?」



 手元の表紙に問いかけてましたが、当然本は沈黙のまま。表紙を透かして、今読んだ内容が頭の中に蘇ります。



「……”少女は自らの命を犠牲にして、おばけを封じ込めた……”そんな少女に村の人々は大喜び”。つまり────……尊いひとつの命が、村を救ったという英雄譚……なのですね……」

 


 ……『悲しくも美しい結末』でした……。素直に喜べません。娘を失った村長さんは石化した娘に何を思ったのでしょう? 記述はありません。……ううん、なんといえば良いのか……


 何とも形容しがたい物語に零れ落ちた息を追いかけて、私の視線は地を求め────



「……少女は、最後……そのつもり・・・・・だったので」

「────ステラ様? 独り言ですか?」

「ひゃああああああああああああんむ!」

「……しっ! 書庫ではお静かに」

「……! ……!?」



 心臓が飛び出るかと思いました……!


 突然声をかけられた上、口まで塞がれて。マガロ修道院の書庫の中、私はひとり狼狽えていました。驚きのあまり体を強張らせる私の後ろで、彼の小さな「……なにもしませんよ、落ち着いてください」が響き──……そ、それがさらに心臓に悪いのですけれど……!


 そんな私を気にもせず、彼は訝し気に首をかしげておっしゃるのです。


「なんですか? 幽霊でも見るような顔をして。化生けしょうものに遭遇でもしたら、気絶しそうですね。……奇絶、しないでくださいね?」



 目を丸める私に数歩、距離をとって。

 武骨な顔でおっしゃるカーティスさまは、『いつもの彼』でした。

 

 見慣れた顔。見たかった顔。会いたかった顔。

 湧き出るささやかな幸福感に、想いを紡ぎます。



「カーティスさま……、なんだか、とても久しぶりに感じます……お会いできて嬉しいです……」



 口に出した途端。

 こそばゆさに包まれた幸福が深みを増して、頬がほぐれていくのを感じました。

 たった一晩なのに、長い間離れていたような……やっと会えたような……

 

 彼の声に、お顔に、雰囲気に、ほっと気持ちが和らぐ現象ことが、欲ではなく、名のついた感情だと気づく前に。


 彼はため息交じりに肩をすくめおっしゃるのです。



昨日・・でしょう。丸一日経ってないのに、貴女という人は……」

「ふふふ、呆れられてしまいました。……けれど、気持ちは本当ですよ?」



 告げると彼は、逃げるように目を反らして棚から一冊引き抜くと、ぱらぱらと本をめくっては戻していきます。何かを紛らわすような動きに、私はもうひとつ問いかけました。



「カーティスさま、別棟の生活はどうですか?」

「退屈でやることがありません。今も、新しい本を調達しに来たんです」

「そうですか」

「ステラ様こそ、どうですか? ご学友はできましたか?」


「…………ええと…………」



 ──華やかな色から、一転。聞かれ、私は気まずさのあまり目を反らし言葉を濁しました。

 

 言えません。『城にこもり20年、友人らしい友人などおりませんでしたし、同室のルルさまにはすっかり苦手意識が付いてしまいました』『一緒に行きたいです』とは、口が裂けても言えません。



 私の希望は、あくまで希望です。彼は『私が生きていけるように』動いてくださっているのです。完全に巻き込んでいるのに、『出たい』なんて……でも……!


 『カーティスさまに合わせる顔がない』という気まずさと、唇の裏まで出かかっている『行きたい』を迷わせる私に。カーティスさまの声は、空気を切り替えるように響きました。



「──それにしても、その本。随分夢中になっていたんですね。少し前に通りかかったんですが、声をかけられませんでしたよ」

「ええと、……ええ。童話のようなものですけれど、シンプルで、読みふけってしまいました」



 私を庇ってくださったのか、それとも気まずかったのか。

 それはわかりませんが、彼が振ってくれた話題は、場の空気を換えてくれました。


 気にかけてくれた嬉しさと、湧き出る気恥ずかしさに。ぐっと本を握る私に、彼は顔を向けると、



「なんという本ですか?」

「『礎の少女』です。ご存じですか?」

「──────」


 

 ────瞬間。妙に、自分の声がその場に響いた気がしました。


 まるで時を止めたかのようにぴたりと動かぬカーティスさまに、私がかすかな疑問を抱いたとき。彼は素早く顔を反らすと、静かに首を振るのです。



「────知りませんね。聞いたこともない」

「そうですか……ええと、あるところでおばけが暴れて困っていたのですが、それを村の娘がなんとかしようと森の中へ」

「すみません、興味がないんです。童話・・でしょう?」



 …………あっ…………

 

 放たれた強めの語気。

 ……私、間違えてしまった・・・・・・・・・

 

 がらりと変わった全てが物語っています。『聞きたくない』と。

 ……欲を出すべきではありませんでした。少しでも話題が欲しくて出した言葉たちが、喉の奥で後悔に変わり、私の体を冷やしていきます。


 ──────どう、しよう……!?


 血の気が引き、黙る私に、ひとつ。

 ……ふぅ……

 静かな静かな息遣いが降り注ぎ、次に聞こえてきたのは、彼の落ち着き払った声でした。



「……それより、こちらはどうですか?」

「『エルヴィスの災難』……ですか?」



 言いながら本を差し出されて。

 私は咄嗟に口を開いていました。

 礎の少女の件は気になりますが、今はそこから逃げたかった。それ以上踏み込むことはできませんでした。


 彼は続けます。

 

「ええ。『盟主エルヴィスの奮闘記』です。とても面白いですよ。『若くして盟主の立場になった孤高の男の話』です。日々貴族社会で戦い続けて居た彼は、ある日、とある女性に出会うんですが……そこから彼の人生に色が射していくんです」


 手元で、紙がぱらぱらと音を立てます。

 文字を追いかけ変わりゆく声色が──とても柔らかで。


 私は、言葉を失っていました。

 ────楽しそう。

 本を見ながら語る彼のお顔は、とても柔らかく、わずかに笑っているようにさえ見えました。


 楽しいモノ・好きなものを前に、純粋に語る子どものように。ゆったりと流れ込んでくる『楽しい』に、こちらも心が華やいでいくのを感じました。



「最初の陰鬱とした雰囲気が、徐々に様変わりしていくさまが描かれていて、恋を知らない男の戸惑う様子や、彼女との信頼関係が──………って、ステラ様? どうされました?」

「……いえ、ふふ、ふふふ……!」



 どんどん饒舌になっていくカーティスさまに耐え切れず、肩を揺らして笑う私に、彼は不思議そうに問いかけますが、私は揺れる肩を止められませんでした。


 どうしましょう、頬が緩んで仕方ありません。

 ……『可愛い』、可愛いのです。


 ────そうです。もともと彼は、『表情が素直な方』『お顔に気持ちが出てしまう方』。好きなものを前にすると、こうも……可愛らしくなってしまうなんて……っ!



「……あの……なんですか?」



 しかし彼は不可解と言わんばかり。あら、気づいていらっしゃらないのでしょうか。不可思議なお顔をされる彼に、私はコンコンと咳をこぼして言いました。



「……いえ、あまりにも楽しそうにお話されるので、つい……。カーティスさまのそんな顔、初めて見ました……!」

「──『そんな顔』……、えっ」


「──僕。笑ってました……!?」

「ええ。私にはそう見えました」



 緩む表情に力を入れながらも、ひとつ頷く私の前で、カーティスさまのお顔が驚愕に染まり────次の瞬間、彼は腕で顔を隠す様に覆うと、眉をひそめて──


 …………まあ……! お顔が、真っ赤……!



「……う、その……、すみません。だらしないところを見せてしまいました。忘れてください」

「どうしてですか?」

「……笑うの、得意じゃないんです。だから、忘れてください」



 言いながら、恥ずかしそうに肘で顔を隠す彼。


 ああ、どうしましょう……、『忘れてください』に応えられそうもありません。

 

 『可愛い』、『可愛い』です。まるで少年のように顔を赤らめ隠す彼。

 『殿方に失礼です』と頭ではわかっているのですが、私の中の『可愛らしい』という気持ちは、静まる様子がありませんでした。



「……ステラさん。はしたないですよ」

「ふふ、ふふふふふ……!」



 窘められても、こればかりは無理でした。

 恥ずかしそうする彼の前、私は『楽しい』で満ち溢れて仕方ありませんでした。




 こんなに心が満たされ華やぐのに。

 あと数日で、貴方はここを去っていく。

 

 それまで、少しでも幸福を溜めるように。

 私は、彼の話を夢中で聞いておりました。







 ──その次の日の話です。

 マガロ修道院に、女性の悲鳴が響き渡ったのは。

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