親友の遺言

春風秋雄

親友の英治の最後の頼み

「なあ、智樹、頼むよ。正真正銘、これが俺の最後の頼みだ」

まだ34歳だというのに、病院のベッドの上で老人のように弱り切った友を見ると、涙が出てきそうだった。お迎えがそこまで近づいていることは素人の俺からみても明らかだった。

英治は末期のガンだ。余命3か月と言われてから、もうすぐ3か月になろうとしている。もういつお迎えがきてもおかしくない。そんな友の最後の頼みなので、俺で出来ることであれば、何でもやってあげたい。しかし、こればっかりは相手の気持ちもある。俺の一存で出来ることではない。英治の頼みとは、自分がいなくなった後は、俺に愛美さんと結婚してくれということだった。愛美さんは英治の奥さんだ。そして、俺の初恋の人でもある。

俺は曖昧に頷いて病室を出るしかなかった。


俺の名前は倉橋智樹。34歳の独身だ。病院のベッドで俺に頼みごとをしていたのは加藤英治。中学校時代からの親友だ。英治と俺は中学、高校と同じ学校へ通った。英治は大学へ進学したが、俺は高校を出てすぐに親父がやっていた洋食屋で働きだした。親父は大学へ行けと言ったが、俺は親父が作る料理が大好きだったので、早く親父と同じ料理が作れるようになりたくて店で働きたかった。お袋はせめて調理の専門学校へ行ったらどうかと言ってくれたが、専門学校で教わるより親父に教わりたかった。俺が働き出した頃は、店は繁盛していた。しかし、そのうちチェーン展開しているファミリーレストランがいくつか出来ると、次第に客足はそっちへ流れて行った。悔しかった。味は絶対に親父の料理の方が美味しいのに、お客は綺麗で気楽に入れるファミリーレストランを選んだ。店の経営はじり貧になって、親父はとうとう心労で倒れた。代わりに俺が厨房に立ったが、親父の味をまだ出せない俺の料理では、客は離れていく一方だった。大学を出て大手企業で働いている2つ年下の弟が「両親は俺が引き取るから、借金が膨らむ前に店を閉めよう」と提案してくれて、親父も弟の意見に従うことにした。住居兼店舗の土地と建物を売って、借金はすべて返済できた。今考えると、弟の判断は正しかったと思う。もう7年も前のことだ。

俺は一人、安いアパートを借りて、飲食店の面接を何件も受けたが、27歳という年齢で、調理師の学校を出ているわけでもなく、街の洋食店で働いていた程度の俺を雇ってくれる店はなかなかなかった。皿洗いなどのアルバイトも考えたが、生活のことを考えて派遣会社に登録して、現在は工場で働いている。


英治の奥さんの愛美さんは、高校時代の俺たちの同級生だ。きっかけは高校2年のときに、俺が店の手伝いをしているところに、愛美さんが家族でうちの洋食屋に食べにきてくれたことだった。それまで話したことはなかったが、俺が同級生だということに気づいて話しかけてくれた。その時に食べたハンバーグがとても気に入ったみたいで、それから月に2回ぐらいのペースで食べに来てくれた。家族でくることもあるが、一人で来ることも多かった。ハンバーグはうちの看板メニューだったので、俺は嬉しかった。手伝いをしていない日でも、お袋が「愛美さんが来たよ」と教えてくれたら、店に出るようにした。しだいに料理が出来るまでの間、愛美さんと色々話すようになった。愛美さんは、そのうち週に1回のペースで店にきてくれるようになり、ハンバーグ以外のメニューも食べてくれるようになった。親父は愛美さんが、お小遣いで食べられるよう、友達割引ということで代金は半額にしてくれた。その代わり友達に宣伝してねと笑顔で言っていた。親父も俺の友達が、しかも女の子が店に来てくれることが嬉しかったみたいだ。

ある日、英治が遊びに来ている時に、愛美さんが店に来てくれた。英治も愛美さんの顔は知っていたが、話したことはないと言うので、俺は愛美さんに英治を紹介した。英治は社交的な人間で、話も面白く、すぐに愛美さんと打ち解けた。それから俺たちは3人で遊ぶようになった。学校帰りに3人でハンバーガーショップに立ち寄り、2時間くらいおしゃべりしたり、休みの日は一緒に映画を観に行ったり、釣りに行ったりもした。あの頃は本当に楽しかった。

3年生になって、大学進学を目指す二人は受験勉強のため、塾通いを始めた。進学をしない俺は、学校から帰ると店の手伝いをするようになった。その頃から3人で遊ぶということはほとんどなくなった。たまに塾帰りに二人で店に寄ってくれることもあったが、俺は二人を見ていて俺とは別の世界を生きていく人に見えた。

そんな時、英治が久しぶりに俺の家に遊びに来て、俺に聞いた。

「智樹は、愛美さんのこと、どう思っているの?」

「どう思っているって?」

「俺は愛美さんが好きだ。でも、智樹も愛美さんのことが好きなら、先に愛美さんと知り合ったのは智樹だから、俺は諦める」

親友のその言葉に、俺も愛美さんが好きだとは言えなかった。

「俺は何とも思っていないから、英治が愛美さんのこと好きなら、俺に遠慮することはないよ」

俺はそう答えてしまった。

英治の方が俺よりカッコよく、話も面白いので、愛美さんは英治の方が好きだろうと俺は思っていた。3人でいるときも、愛美さんは英治の方を見ながらよく笑っていた。

数日後、英治が報告にきた。

「愛美さんに告白して、付き合ってほしいと言った」

「それで、返事はどうだった?」

「今は受験のことしか頭にないから、そういうことは考えられないという返事だった」

それを聞いて「残念だったな」と言いながら、ホッとしている自分がいた。


高校を卒業して、二人は東京の大学へ進学した。俺は本格的に店で働き始め、親父に料理の基本を一から叩き込まれていた。

夏休みになり、二人から帰省したと連絡があったが、俺は店の仕事が忙しく、遊びに行く余裕はなかった。そんなとき、愛美さんがランチタイムの終わり間際に店に来た。

「ごめん、ランチはあとBセットしかないけど、それでいい?」

「いいよ」

俺はBセットを用意して、愛美さんのテーブルへ運び、食べ終わって帰ったお客さんの席を片づけ始めた。愛美さんが食べ終わったのを確認して、表にクローズの札を出し、アイスコーヒーを2つ持って愛美さんの席へ行った。

「久しぶりだね。東京はどう?」

「慣れないことばかりだけど、何とかやっているよ」

「そうか。俺も少しずつ店に慣れてきた。料理はまだ作らせてもらえないけど、盛り付けはしているんだ」

「そうなんだ。頑張っているね」

何か、いつもの愛美さんに比べてノリが悪い。

「この前、英治君に付き合おうと言われた」

「そうなの?俺はもうとっくに付き合っているものだと思っていた」

「高校の時に一度告白されて、その時は受験勉強があるから考えられないと断ったんだけど、この前改めて言われたの。どう思う?」

「俺がどうのこうのと言う問題ではないだろ?英治はいいやつだし、俺は付き合ったら良いと思うよ。二人が付き合っても俺たち3人の友情が壊れるわけではないからね」

愛美さんは、じっと俺の目をみていたが、ふと視線を外し、残ったアイスコーヒーを飲み干して言った。

「わかった。変な相談してごめんね。じゃあ、仕事頑張ってね」

愛美さんはそう言って店を出て行った。


大学を卒業した二人が、地元に戻って働き始めた頃は、うちの店はファミレスにお客を取られて大変な時期だった。英治はうちの店を気遣ってか、会社の仲間を連れてよく食べに来てくれた。とても嬉しかったが、その程度で経営が好転するレベルではなかった。

愛美さんが英治からプロポーズされたと報告に来たのは、親父が心労で倒れる少し前だった。だから、親父が作ったハンバーグを愛美さんが食べたのは、それが最後だった。

「英治君にプロポーズされた」

俺は一瞬胸が苦しくなったが、すぐに笑顔で言った。

「おめでとう。結婚しても二人でうちに食べにきてね」

「私、英治君と結婚してもいいのかな」

「いいに決まっているじゃないか。幸せになってね」


それから何か月かして、結婚式の招待状が来たが、うちはそれどころではなかったので、英治に連絡して丁重に出席は辞退して、お祝いだけ送った。でもそれは言い訳だったのかもしれない。心の奥底には、二人の結婚式を見るのが辛いという気持ちがあった。

その後、英治とはたまに電話やメールでやり取りをしていたが、愛美さんとはあれ以来会っていなかった。

そんな愛美さんから何年振りかで連絡がきたのが昨日だ。英治が入院していて、俺に会いたがっているという。そういえばこの数か月、英治とは連絡をとっていなかった。何の病気だと聞くと、ガンでもう長くないという。俺は慌てて見舞いに行ったというのが経緯だ。


翌日、俺は英治の病室へ見舞いに行った。

「どうだ?考えてくれたか?」

「そもそも、どうして愛美さんと俺を結婚させたいんだ?」

「俺、愛美をすごく愛しているんだ」

「だろうね」

「そして、とても嫉妬深い」

「それで?」

「俺がいなくなった後、愛美が俺の知らない男と再婚して、そいつと寝床を共にするなんて俺は耐えられない。そんなことを考えたら俺はこの世に未練を残したまま成仏できそうにない」

「愛美さんが再婚するとは限らないだろ?」

「あいつは俺たちと同じ34歳だ。このまま未亡人を一生貫くなんて不幸だろ?」

「まあ、確かにそうだ。でも、それなら俺だって同じだろ?俺なら許せるのか?」

「智樹なら許せる。そもそも愛美と仲良くなったのは、智樹が先だ。俺は後からしゃしゃり出てきた男だ。だから、智樹なら。最初からそういう運命だったんだと許せる」

そういう英治の目には涙が滲んでいた。

俺は何とも返事が出来ず、病室を後にした。


病室から出ると、愛美さんが俺を待ち受けていた。7年ぶりに会う愛美さんは、変わらず綺麗だった。俺は心の奥底に蓋をしていた昔の思いがぶり返しそうで、ドキッとした。愛美さんは今も働いているので、昨日は会えなかったが、今日は休日なので仕事は休みだと言った。

「英治から話は聞いた?」

「ええ、でもいきなりそんなことを言われても、愛美さんの気持ちもあるし、俺はどうしていいのかわかりませんでした」

「私は英治の言う通りにすると言いました」

「そうなんですか?」

「英治の最後の願いだから。だから形式的な形だけでもいいので英治を安心させてあげたいと思っている」

そうか、愛美さんは英治に心残りがないように、嘘でも英治の提案を受け入れたように装うつもりなのだろう。

「わかりました。それなら俺も協力します」


翌日英治に引き受けると報告したら、

「そうか、引き受けてくれるか。これで俺は安心して旅立てる」

と、英治は本当にホッとしたように言った。

「何言っているんだよ。まだまだ先の話だよ」

「自分のことは自分が一番よくわかっているよ。もうそんなに長くないよ」

悲壮な英治の言葉に、俺は何も言えなかった。

「それで、智樹」

「なんだ?」

「さすがに今すぐ籍を入れるのは無理だとしても、今のアパートを引き払って、早速愛美と一緒に暮らしてくれないか。婚姻届けはしかるべき時に出せばいい」

「いやいや、さすがにそれは出来ないだろ」

「何故だ?お前は俺の前ではちゃんと結婚すると言いながら、本当は俺がいなくなったら俺との約束を反故にするつもりじゃないのか?」

やばい、見透かされている。

「そんなことはないよ」

「だったら、その証をみせてくれ。智樹と愛美が一緒に暮らすのを確認すれば俺は安心できる」

仕方ない。この場は素直に返事をして、後で引っ越したということにして安心させてやろうと考えた。

ところが、その翌日愛美さんから連絡があり、こちらの準備は出来たので、アパートを引き払って引っ越してきてくださいと連絡があった。

「本当に引っ越すのですか?」

「当然です。英治からいつ電話があるかわかりません。その時に智樹君がいなければ怪しまれます」

愛美さんに強く言われ、俺は仕方なく、アパートを引き払い、英治の家に引っ越すことにした。荷物なんてたいしてないので、引っ越しは簡単だった。

俺の荷物を部屋に運び込んだ写真を持って英治に会いに行ったら、涙ぐみながら喜んだ。

「智樹、ありがとう。そして、ごめんな」

最後の「ごめんな」はどういう意味だったのだろう。

英治はそれから1週間もしないうちに息を引き取った。


英治の家で愛美さんと暮らすようになったが、当然寝室は別だ。まるで居候をしているようだった。それでも英治が亡くなって、打ちひしがれている愛美さんを見ると、こんな俺でも傍にいてあげることで、少しでも愛美さんの慰めになればと思った。でも、いつまでもここにいるわけにはいかない。

英治の四十九日が終わり、愛美さんに聞いた。

「俺はいつまでここにいればいいのでしょうか?四十九日も終わったし、もうそろそろ出て行きましょうか?」

「ダメです。それでは英治が悲しみます。せめて三回忌まではいて下さい」

「三回忌までですか?」

「そうです。それと、私に対して敬語はやめてください。昔のように接してください。そうしないと私も自然に敬語になって、疲れます」

「そうか、なんか愛美さんと話すのは久しぶりだったので、ついつい敬語になってた。何とか昔のように話すようにするよ」

「ありがとう。それと、智樹君がきてからずっと、食事は外食か出来合いのものを買って食べてたけど、そろそろ自炊をしないと経済的に苦しくなるの。それで、私は料理が苦手なので、料理当番は智樹君にお願いできない?」

「いいよ。料理は得意だから、明日から俺が作るよ」

愛美さんは料理が苦手とは意外だったが、久しぶりに他人が食べる料理を作れると思うと嬉しかった。

独り暮らしの間は、コンビニ弁当か、近所のラーメン屋ですませていたので、料理自体が久しぶりだった。最初は無難に揚げ物にした。

下ごしらえはそれほど難しくないし、あとは油の温度と揚げる時間さえ間違えなければ、そうそう失敗することはない。その辺は親父から徹底的に仕込まれた。市販のパン粉を使ったので、自家製のパン粉を使っていた親父の店の味ほどではないにしても、そこそこ美味しいはずだ。愛美さんは「美味しい」と言って食べてくれた。それに気を良くした俺は、カレーライス、オムライス、ビーフシチューなど、お店で出していたメニューを次から次へと日替わりで作っていった。その都度愛美さんは「美味しい」とか、「もう少しこうした方が良い」とか色々言ってくれた。勢いに乗って、俺は愛美さんが好きだったハンバーグにチャレンジした。俺は愛美さんが喜んでくれると思った。ところが、一口食べた愛美さんは

「ごめん。これは美味しくない。食べられない」

と言って、箸を置いて自分でカップラーメンを作りだした。

俺はショックだった。自分で食べてみたが、親父の味とまではいかなくても、そこそこ美味しいと思う。

「どこが悪かった?肉質?」

「私は専門家ではないから、何が悪いのかはわからない。でも美味しくない」

そう言われて、俺は食べかけのハンバーグをゴミ箱に捨てた。その日は悔しくて、眠れなかった。


あの日は愛美さんの体調が悪かったのかもしれない。体調によって舌の感覚が変わることがある。俺は1週間くらい開けて、もう一度ハンバーグを作った。しかし、結果は同じだった。愛美さんは一口食べただけで、箸を置き、冷凍のスパゲティーをレンジでチンしていた。他の料理は食べてくれるのに、ハンバーグだけは食べてくれない。

俺は翌日仕事を休んで、食材を持って弟の家に行った。弟の留守中にいきなり俺が現れたので、親父はビックリしていた。

「父さん、ハンバーグの作り方を教えてくれ」

俺がそういうと、どうしたのだと聞くので、英治の遺言から今に至るまでの経緯を説明した。黙って聞いていた親父は、俺が話し終えると「わかった」と言って、台所に一緒に立ってくれた。その日は買っていった食材をすべて使い切っても満足なものは出来なかった。

そうそう仕事は休めないので、親父のところには週に1回のペースで通った。いくら作っても親父からOKは出ない。言われた通りの調味料を入れて、言われた通りに肉をこね、言われた通りに焼いているのに出来ない。俺にはセンスがないのだろうか。

その間にも愛美さんには様々なメニューで料理を作った。どのメニューも「美味しい」と言ってくれた。だから、余計に愛美さんが「美味しい」と言ってくれるハンバーグを作りたかった。

英治の三回忌までの、2年足らずの同居かもしれない。決して寝室を同じにすることのない偽装結婚かもしれない。それでも俺は愛美さんのことが好きだった。だから、あの頃と同じようにハンバーグを食べて「美味しい」と言って笑ってくれる愛美さんの顔が見たかった。


親父のところに通い始めて3か月近く経った頃、初めて親父が「うん、これなら店でも出せる」と言ってくれた。俺は嬉しかった。思わず涙が出てきた。

早速、その日の夜、ハンバーグを作って愛美さんに出した。

「久しぶりのハンバーグね。今度は美味しいの?」

「とりあえず食べてみてよ」

愛美さんが一口食べる。そして、また箸を置いて俺を見た。今回もダメだったのか?俺は自信があっただけにショックだった。しかし、俺を見る愛美さんの目から涙があふれてきた。

「美味しい。おじさんの店の味だ。智樹君、頑張ったね」

俺は嬉しくて、涙が出てきた。

「智樹君、今度の休み、私に付き合って」


休みの日に連れていかれたのは、家からそれほど遠くない、閑静な住宅街にある店舗だった。まだオープンしていなく、内装が出来たばっかりといった感じの新しい店だった。

「智樹君、これ英治からのプレゼント」

俺は何を言われているのかわからなかった。

「英治から生命保険がおりたら、そのお金で智樹君がやる店を作ってあげてくれと頼まれてたの」

俺は頭が付いていかず、茫然として何も考えられなかった。

「これ、英治からの手紙。読んで」

俺は渡された手紙を開いた。


『智樹、この手紙を読んでいると言うことは、ハンバーグが作れたということかな?愛美が「あのハンバーグさえ作れたら、お店は絶対成功する」というから、俺はそれに賭けることにしたよ。今、智樹の目の前にあるお店はお前の店だ。その店でしっかり働いて、愛美を幸せにしてやってくれ。

俺は智樹に謝らなければいけない。俺は高校時代に智樹が言った「愛美のことは何とも思っていない」という言葉を鵜呑みにしてしまった。なんてバカだったんだろう。智樹の気持ちに気づいたのは、智樹が結婚式には出席できないと言ってきた時だった。智樹の性格なら、家がどんなに大変な時でも、どんな事情があっても、俺の結婚式を欠席するわけない。それなのに欠席と言ってきたとき、初めて「そうだったのか」と気づいた。本当に俺は間抜けだよ。あの時、俺があんな聞き方をすれば、智樹はそう答えざるを得ないものな。本当に申し訳ないことをしたと思っている。そして、もっと間抜けなのは、愛美も智樹のことが好きだったということだ。それは結婚して、愛美と暮らすようになってから気づいた。俺は、すべては手遅れだと思って、愛美とは普通に過ごしてきた。相思相愛だった二人に割って入った俺だから、せめて愛美を幸せにしてあげようと頑張った。でも、天は俺に罰を与えた。もう長くないと思った時に、愛美に正直に話してほしいと言った。すると、愛美は「確かにあの頃は智樹君が好きだった。でも今は英治さんしかいない」と言ってくれた。嬉しかった。しかし、英治さんしかいないと言ってくれた俺はいなくなる。だから俺は愛美に聞いたよ。「俺がいなくなったら、智樹と一緒になる気はないか」って。愛美はそんな話はしないでと言ったが、俺がいなくなるのは現実的な話だと言って、愛美を問いただした。そしたら、愛美は何と言ったと思う?「智樹君は私のことは何とも思ってないから」だって。俺が付き合おうと言った時も、プロポーズした時も、愛美は智樹に相談しに行ったらしいじゃないか?愛美は智樹に止めて欲しかったけど、逆に俺との交際や結婚を勧められたので、智樹にはその気がないのだと思ったそうだ。智樹らしいなと思って、俺は涙が出たよ。

みんな俺のせいだ。俺が智樹の気持ちを封じ込めてしまったばかりに。本当に申し訳なかった。

だから、俺がいなくなったら、二人で幸せになってほしい。俺がいなくなっても、智樹の性格だと、もうこの世にいない俺に遠慮して愛美に告白することはないだろうと思って、最後におせっかいをさせてもらった。愛美には真意はすべて伝えてある。そして、愛美は智樹がもう一度料理人になってくれることを望んでいる。あの美味しいハンバーグを智樹に作って欲しいと願っている。だから、俺は愛美に最後の我儘を言った。俺の生命保険は愛美のものだから、愛美がどう使おうが自由だが、できたら、そのお金で智樹の店を作って、二人で幸せに暮らしてほしいと。愛美は泣きながら頷いてくれたよ。

智樹、今までありがとうな。お前は絶対に長生きしろよ。そして、幸せになってくれよな』


俺は涙で文字がかすんで、何度も何度も目を拭いながら手紙を読んだ。


その日の夜、俺が寝ている寝室に愛美が枕を持ってやってきた。

「愛美さん…」

「ねえ、あの手紙に書いてあったこと、本当?」

「本当だ」

「智樹君が私のことを好きだったってことも?」

「本当だよ。そして、今も好きだよ。愛美さんが美味しいって喜ぶ顔が見たくて、ハンバーグを一生懸命作ったんだ」

「うん、おじさんから、智樹は頑張っている。もう少しで出来そうだと聞いて、内装工事に入ったんだもの」

「親父と連絡とっていたのか?」

「おじさんには事情を話して、智樹君がハンバーグの作り方を教えてほしいと尋ねてきたら、私に連絡してくれることになっていたの」

みんな知っていたんだ。

「それより、私と結婚するということで本当にいいの?」

「愛美さんさえよければ、俺は結婚したい」

「じゃあ、その証を見せて」

俺はそう言われて、愛美の手を引き、ゆっくりとベッドに寝かせた。

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