第40話 戦いの後

 家路に着こうとした湊達だったが、この時代の魔鯨である優奈との戦いによって、海水が陸地へ流れ込み、東京の街は大混乱だった。


 周辺の交通網は一時的にほぼ壊滅状態。モノレールは動いていないし、大通りでタクシーを捕まえようとしてみるも、帰宅難民者が溢れかえっていたために空車表示は一切見当たらない。

 残るは自分の足しか無いが、あの激しい戦いの後に、一時間以上かけて徒歩で帰る気にはなれなかった。

 途方に暮れていた時、彩子がスマホでお台場のシティホテルが営業していることを知り、一向はそこに泊まる事にした。


 空きはやたら広い最上階のスイートルームのみ。最初は綺麗な部屋に浮かれていたバルバロだったが、少し休んで冷静になって、全て自分が立て替えた現実が重くのしかかり、段々と顔色が悪くなった。


「仕方ないじゃない。支払い能力あんのはあんたしかいないんだし? まあ、お礼は言っとくわ」


 本革の真っ白なソファに腰掛けたバスローブ姿の彩子が、濡れた髪を拭きながら言った。


「くそぅ……ただでさえ少ない俺の貯金が……」


 バルバロは青い顔で、視線は宙を仰ぐ。しかし湊が「バイトしてちゃんと返すよ」と言うと、「いやいらねえ。男に二言はねえ!」と、葛藤しながらも深い懐を見せつけた。

 

「ところでサイコ先輩。クロウラー、随分風呂長いけど大丈夫かな?」

「んもう」


 彩子は、大理石の敷き詰められた豪華なバスルームへぱたぱたと歩いて行った。


「あんたいつまで入ってんの。ふやけるわよ」

「いやー……温かい湯に浸かるのが、こんなに気持ちがいいなんてなぁ……あっちの世界でも、火を起こせばできるだろうか……」


 そんな会話が聞こえてきて、湊とバルバロの頭にクロウラーの入浴姿が浮かぶ。バルバロが覗きに行こうと無言で合図し、決意の眼差しで頷く湊。

 しかし行動に移す瞬間に彩子が戻って来たので、即座に断念した。


「ふはは! このベッドは、素晴らしいな! ふっかふかでシーツもさらっさらだ! なんて気持ちがいいんだ! 私の世界のベッドとは大違いだ! ふはははは!」


 風呂から上がったクロウラーはベッドの上でゴロゴロと転がったり、バフンバフンと飛び跳ねたり、やんちゃなお子様のようにはしゃいでいる。

 その激しい動きでバスローブから美脚や胸元が覗くたびに、湊とバルバロは澄ました顔で脳裏にそれを焼き付けた。


「一人だけ超元気ね……ああ憎たらしい。つうかあんた、なんでさっきまでとそんな雰囲気違うのよ。キャラ崩壊よキャラ崩壊」

「ん? ああ、一時的とは言え今は敵同士じゃ無いだろう。大人はTPOを考えてオンとオフのメリハリをつけるのだ。ま、小娘には分からんだろうがな」

「な、なんなの……丸の内のOLなのかしら……」


「おや。なあなあオルカ。そこの黒くて四角い板はなんだ?」

「ああ、これはテレビって言うんだよ。ほら」


 湊がリモコンで画面をつけると、ニュース速報が流れた。


『突如東京港の海面が上昇し、中央区、港区、品川区、江東区、大田区の一部に浸水被害が出ています。レインボーブリッジ付近で巨大な鯨を見たとの目撃情報もあり――』


 全員気まずくなって即座にチャンネルを切り替えて、東京の地方局で放映している深夜アニメを映した。

 ファンタジー世界へ転生した主人公がなぜか最強の力を持っていて、魔王を倒す物語だ。

 クロウラーは食い入るようにその画面を見つめる。


「意味がわからん……絵が、動いて、喋っているのか……」


 途端に大人しくなり、無言でテレビに釘付けになった。


「小さな子供かっ」


 彩子が突っ込むが、もはや耳に届いていない。

 アニメが終わったところでバルバロが立ち上がり、財布をポケットに入れて言った。


「あーもーヤケだ。一仕事終えたんだし、ちっと酒買ってくらあ」

「お、この世界の買い物には興味がある。私も付き合おう。今日は飲むぞ!」


 どうやらクロウラーは酒好きらしい。早く飲みたい、と顔に出ている。


「コンビニ行くから付いて来な。宴だ宴」

「こんびにとは何か、話はそこからだバルバロ!」


 バルバロはクロウラーを引き連れて部屋を出て行った。


「ふう、嵐が去ったわ」

「ねえ、サイコ先輩。クロウラーって、どう言う海賊なの?」


 この隙に湊は、謎が多いまま行動を共にしているクロウラーのことを聞いた。


「あいつはスカイツリー跡を根城にしてる海賊でね、そこはなんて言うか、規律の厳しい国って感じ。その反動なのかしら、ろくに話した事は無かったから、あんなはっちゃけた奴だったなんてびっくりよ」

「僕も意外だった……めっちゃ元気だよね」


「そう言えば、昔ベリーはスカイツリー跡に住んでて、窮屈で逃げ出して来たって聞いたことがあるわ。まあ確かにベリーの性には合わないでしょうね」


 それを聞いた湊の頭の中で、一つの線が繋がった。

 逃げ出したベリーをバルバロが拾って、二人はあの東雲跡のアジトで暮らし始めた。

 秋葉原跡で、バルバロがクロウラーへ火花を散らしていたのは、家出した仲間を匿っての行動だろう。


 やがてバルバロとクロウラーがコンビニの袋を両手にぶら下げて戻って来た。自分達の酒やつまみの他、湊と彩子の為にも飲み物やアイスを買って来てくれた。

 全員に飲み物が行き渡った後、彩子は自分の役割である仕切りを披露すべく、こほん、と咳払いを一つ。


「んじゃ、あんた達。堅苦しい話は抜きよ。この時代を救えたってことで!」



「「「乾杯!」」」



「っかーーーー! 冷たくて苦くてたまらん!!」


 クロウラーは腰に手を当てて仰け反りながら、冷えたビールを身体に流し込む。


「百年後じゃあビールなんてあっても冷やせねえし、この世界でしか飲めないぜ」

「ビールと言うのか。ああ、たまらん!!」


 つまみを口にしながら、四人だけの宴は進む。

 会話の内容は他愛の無い話などでは無くって、湊はまだまだ知りたいことが山ほどあった。


「ねえ、クロウラー。百年後の世界でさ、なんでキャロットと一緒に僕を捕まえようとしてたの?」

「そう言えば、ちゃんと答えなかったわねあんた。なんでなのよ」


 ぐびぐびとビールを呷って缶を空っぽにしたクロウラーが、腕で口を拭いながら答える。


「ああ、うちの魔鯨曰く、超イケメンでガチタイプなんだそうだ。オルカが」


「「「は?」」」


 予想外のチープな理由に、湊達は絶句した。


「いやいや……ちょっと待って。あんた優奈に言ってたじゃない。恋とか愛とかじゃなくて、戦う為だって」

「んーまあそれも事実だ。だが、魔鯨の力は海の怒り。百年後の世界では、魔鯨が怒る理由は無い。だから別に魔鯨として戦う理由は無いんだ。それでお前達が消えた後、オルカの話でうちの魔鯨とベリーが意気投合して、友達になった」


「じゃあなんであの時東京タワーで攻撃して来たのよ! 他にもやりようあったでしょうに!」

「オルカをくれ、と言っても絶対素直に差し出さんだろう。海賊らしく奪おうとしたまでだ」

「お、おいオルカ、離れろ」


 バルバロは何かを察知して、湊を促しその場から離れようとした。


「あんた……そんな理由で、うちの紅妖ホンヤオを……」

「そんな理由とはなんだ! 恋! 素晴らしいじゃ無いか! ラヴ!」

「うるっさーーーーい! ぶっ殺す! クソババア!」

「ききききキサマァァァァァ!!」


 彩子がクロウラーへ枕をぶん投げたのを皮切りに、美女二人のキャットファイトが始まった。

 互いのバスローブを引っ張りあって取っ組み合う姿は、男二人にとってはご褒美以外の何物でもない。

 だがそれでも、この激しい戦いの巻き添えは御免だった。


「そもそもあんた百年後の人間なんだから、あたし百個上よ! 大先輩よ敬え!」

「だったらお前の方がババアでは無いか!」

「なーーーにーーー!? もう決めた殺す!」


 湊とバルバロはそっと飲み物とつまみを持って部屋を出て、夜中まで中に戻れなかった。



 ――こうして、運命の一日は終わった。

 この世界に、魔鯨はもういない。向こう百年の間は、東京が海に沈むなどと言うことは無いだろう。

 きっと未来は分岐して、湊達の知る百年後の海の世界は、別軸の世界になったのだ。

 

 この、魔鯨の怒りから救われた世界が百年後にどうなって行くのか、それは決して湊達の個々の力で舵を切れるものでは無い。

 それに湊達自身も、世界を導くと言うような高尚な志を持つなど、柄では無いのだ。


 ただひたすら、あくまで自分達の欲しい未来を、この先も追い求める――。

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