第39話 またね
「もしもし、ママ?」
彩子がスマホをスピーカーに設定して、この時代の白鯨である母親と電話を繋いだ。
電話の向こう側に、サバサバとした口調の母と言うには若い印象の女性の声が、湊達にも聞こえた。
「彩子か。電話してるってことは、片付いたのかな」
「え、片付いたって……」
「魔鯨だよ魔鯨」
「ちょ、ママ目醒めてたの!?」
彩子がスピーカーホンだと言うのに思わず、受話器に直接叫ぶ。
驚きは、湊達も同様だった。
「つい、さっきな。色々記憶が流れ込んで来たよ。私はアメリカにいるから何も出来ないし、もー頑張ってもらうしかないかなって。泳いで行くのも遠いし」
「ええ……、なんか怒りたい気分だけど、うーんまあ、仕方無いのかしら……」
「大変な思いをさせたし、色々失敗もしただろう、まあそれが若者ってもんだ。だからリトライできるように、眷属渡してあっただろ。最初に未来に飛ばした時に」
「
「役に立ったようだね。ともかく、魔鯨の怒気は薄れてる。多分これが正解だ。自信を持て」
彩子の母親はわりかしドライなのか、話が終わるとすぐに電話を切った。
彩子は複雑な顔をしているが、しかし、東京を救えたと言うことは確かだ。
その証に、荒れ狂っていた東京湾は元の穏やかな姿へと戻っている。
とは言え陸地は突然の高潮に大混乱で、遠くでサイレンの音やヘリの飛行音が鳴り止まない。
混乱の喧騒から隠れるように、真っ暗な海上でひっそりと、ベリーは白鯨で船を押してお台場の岸壁に近づけて、湊達は船を降りた。
この現代の
所有者には申し訳ないが、ベリー達と一緒にこれから未来へ飛び、百年後で海に沈んだ紅妖の二代目となる予定だ。
「じゃあ、オルカ、バルバロ、スカーレット。せっかくまた会えたけど、わたし達は行くね」
白鯨に乗ったベリーが、別れを惜しむように言った。
その脇で黙りこくってうつむく優奈を、魔鯨の海賊として思うところがあるのか、クロウラーが少し憐れむような表情で見つめていた。
「なあベリー。そんな簡単に行ったり来たり出来んのか?」
バルバロがベリーに問いかける。いつも通りに思える口調には、やはり少し、寂しさが滲んでいた。
「結構力使うから、簡単では無いかなー。でも、バルバロとオルカがそのネックレスしててくれたら、いざという時はすぐ見つけられるよ! 仲間の証」
にひひ、とベリーは首元のネックレスをつまみあげて、白い歯を見せて笑った。湊とバルバロも同じく、胸に光る仲間の証を掲げて笑った。
「オルカ……。また、会えたのに、お別れ。……悲しい」
百年後の魔鯨、和服の少女が湊を見つめて呟いた。
この少女がいなければクロウラーは魔鯨の海賊としての力を発揮できず、大きな戦力を欠いていたはずだ。
もしそうだったら、湊達は無事ではいられなかっただろう。
「ベリーと一緒に助けに来てくれて、ありがとうね。名前、まだ聞いてなかった」
「き、キャロット……。覚えててくれると、嬉しい」
「うん、忘れるわけないよ。キャロット」
湊が微笑みかけると、和服の少女は何かに撃たれたようにくらりと倒れ込んだ。
だがなんだか嬉しそうで、特に具体が悪いと言ったわけでは無さそうに見えた。
「優奈、あの海の世界は僕も大好きだから、きっと気にいると思う。みんなと、仲良くね」
「湊……」
本当は、離れたくない。その本音は決して言えなかった。……叶わないのだから。
せめて目と目を合わせて、湊の顔を瞳に焼き付けることが、精一杯だった。
「優奈」
彩子が優奈の名前を呼ぶと、優奈は少しピクッと身体を強張らせる。
「あんた、元気でやるのよ」
「……先輩に言われなくても」
ふいっと優奈は背を向ける。彩子は少し口元を緩めて、小さな優しいため息をついた。
「それじゃ、優奈ちゃん連れて行くよ。みんな、またね!」
――これでこの世界は、海に沈むことは無くなった。
湊達の知らない、十一月二十九日より先の未来へ、進むことができる。
だけど、優奈が。
この先優奈はこの世界ではなく、百年後の未来で暮らすことになる。それを思うと、心の奥底では手放しで喜ぶことは出来なかった。
これは、欲しい未来と言うには足りない。
欲しい未来に、妥協なんて出来やしない。
そんな海賊達の人生の航海は、まだまだ終わっていないのだ。
湊達の胸中には、未だ海賊旗が高くに掲げられている。
ベリーと和服の少女は、湊達へと手を振った。
優奈は泣いているのか、背中を向けて小さく震えていた。
白鯨から蒼い光が滲み出て、ベリー達を包む――。
瞬間。
クロウラーが突然白鯨から飛び降りて、湊達のいる岸壁へと着地した。
「「「えっ」」」
何のつもりか、誰も全く分からない。全員が意表を突かれて声をあげた。
「ちょちょちょクロウラー! 早く戻ってよ!」
「断る」
「はー!?」
「この世界が見たい」
ベリーへ向かって腕を組み、仁王立ちで告げるクロウラー。
「ベリー、仕方ない……クロクロは結構……好き勝手なところ……ある」
「えーーーーなんでずるい!! もう止めらんないよー! もーー!」
和服の少女の小さな鈴の音のような声と、ベリーの叫び声の残響を残して、蒼い光が瞬いた。
やがて光が失せるとそこには白鯨も紅妖も無くなっていて、ベリー達は、元いた未来へと旅立った。
「えっと、あんた、何してんの」
彩子が渋い顔をして問いかけると、対照的に満面の笑みでクロウラーは言った。
「なあなあ! あの聳え立つ紫の光はなんだ? もしかしてあれ、うちの城の百年前の姿じゃあ無いか!?」
夜空に輝くスカイツリーを指差して、クロウラーははしゃぎ出す。湊達はどうしたら良いのか分からずに、その場でしばらく固まった。
そこでバルバロが一つ、別の重大な事実に気付いた。
「なあ、思ったんだけどよ、俺らとんでもねえ忘れ物してねえか?」
「何よ忘れ物って……え、あ、あぁぁぁぁっ!!」
「しまった……僕も完全に……忘れてた……」
そう、もう一人。もう一人仲間がいたはずだった。
「「「――真司も未来に送っちゃったァァァァァ!」」」
「なんだ? お前達の意図では無かったのか? ずっと紅妖の船室に隠れていたぞ」
「ちげえよ! あいつは別に百年後に行く必要もねえ!」
「どどどどどうしようサイコ先輩」
「うーん、うーん、まあ……優奈もいるし」
彩子はこほん、と咳払いを一つ。
「元気で、やっていけるといいわね……」
湊達は夜空を見上げた。輝く星座が、親指を立てて笑う真司の姿に見えた。
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