第38話 お引っ越ししよう
「優奈! 僕らは、君を止める!」
「痛くっても、恨むんじゃないわよ!」
彩子は弓矢を三本同時に番えて放った。光の尾を引いて真っ直ぐ突き進む矢は、優奈の乗る魔鯨の鼻先に突き刺さる。
「「うおおおおおお!!」」
そこへ助走をつけたバルバロと、海から飛んだ湊、二人の同時の一撃。
彩子の弓矢と寸分違わぬ場所を捉え、魔鯨がびくんと一瞬震えたように見えた。が。
「効かないけど。全っ然効かないけど。勝てっこ無いのに、どうして攻撃するの?」
優奈はいくつもの海流の槍を集約し、巨大な一つの槍を作り出した。
片腕を振るってその槍を操り、ドリルのように回転させながら湊達の直上へ振り下ろす。
彩子が矢を放つが、その物量と螺旋の回転に飲み込まれる。
「あれはまずいわ、クロウラー! 脳筋ゴリラのバルバロと一緒に何とかして!」
「悪いがもう打ち止めだ。両腕がガラクタでな」
「チッ、一人でやるしかねえか」
剛力をぶつけて槍を凌ごうとする彩子達だったが――。
湊が一人、海から飛び出した。
「湊っ!?」
「うおおおおっ!!」
湊は咆哮を上げながら、巨大な槍へとダイブした。それは言葉通り、槍の形を成す海流の中へ、どぷんと割って入ったのだ。
両腕のガントレット、その背鰭のようなブレードで、ドリルのような海流を内部から錐揉み状に切り裂いて――ついには、その巨大な槍は弾けて霧散した。
「す、すごいわ……」
「オルカも“解放”だったな。しかもシャチの魂だ。海の王者は、誰より自由に海を泳ぐ」
「水属性最強ってことか。カカッ、やるな」
湊は、甲板へと降り立つ。
目線は真っ直ぐ、優奈を見据える。
「優奈、もうやめよう」
「湊。海、好きでしょ? 私と一緒にいれば、この世界は傲慢な人間達じゃなくて、海が支配できるんだよ?」
湊を説得するように、優奈はゆっくりと、穏やかに語りかける。
「湊もシャチなら分かるよね? 人間を、地球を、リセット、しよう?」
「……優奈の言うことは、正直少し分かる」
それは嘘では無い。いつからか、海に心を奪われた湊の本音だった。
しかし。湊は黒と白の、シャチの色をしたオッドアイに光を灯し答える。
「でも僕は、人が死ぬのは嫌だ。それに、サイコ先輩はずっと前から、一人でそれを食い止めようとしてる。だから、僕も一緒に頑張るんだ」
「……その目、覚まさせてあげる」
魔鯨の攻撃を察知した湊は船首から大きく弧を描いて跳躍し、海へと潜った。
魔鯨も一度海から高く飛び上がると、大きな水飛沫を上げて、湊を追って海中へ。
湊を飲み込もうと襲いかかる魔鯨、それを躱し、口から伸びた牙で魔鯨に噛み付く湊。
東京湾の海中で、シャチと鯨が生存競争をしているかのようだった。
やがて湊は海面から大きく跳躍すると、魔鯨も湊を追って海面から飛び出した。
湊は信じていた。自分達の強さは、決して個々の強さだけでは無い。
――人間の強さを、海賊達の連携を、紅い瞳に見せつける。
「バルバロ、お願い!」
「悪いな、優奈」
湊が跳んだ先で入れ替わるように、レインボーブリッジの上から船長服をなびかせて、バルバロが流星のように落ちて行く。
そして大きなカトラスを、魔鯨に乗る優奈に打ち込んだ。
優奈は華奢に見える両手でバリアのような障壁を顕現させ、簡単にその斬撃を防いだが、膂力と重さに弾き飛ばされて、魔鯨の頭から離れた。
「だから効かないって……」
そのまま優奈は現代の
優奈の落下で空いた穴の上には、スカーレット――もとい夕霧彩子が、弓を構えて立っている。
――彩子は怒っていた。
既に三度、優奈も含むこの世界の友人達と辛い別れをさせられた。
だがなんという事だろうその元凶は、まさに大切に思ってきた同じ部活の後輩であり、友人でもある、優奈自身だったのだから。
「このっ……バカッッッ!!」
怒りと悲しみを矢に込めて、彩子は目にも留まらぬ速度で弓を連射する。
優奈の服と床を縫い付けるように、いくつもの矢が突き立った。
「動きを封じたくらいで勝てると思わないでよ、夕霧先輩」
優奈が不敵に笑った直後、三本の大きな水柱が船の周りに現れた。その水柱は猛る竜巻の如くうねりながら天へ伸び――三匹の巨大な海竜へと変貌した。
彩子は絶句した。高層ビルに至る大きさの、あまりに巨大な海竜。それが三匹だ。
床に縫い付けられた優奈の瞳が、紅い光を増す。
「――喰らって、ヒュドラ」
その声を合図に、三匹の海竜がそれぞれ湊達を襲う。彩子は光の矢を、バルバロは斬撃を飛ばして抗うが、その攻撃は海竜に飲み込まれた。
成すすべを無くした二人の傍ら、湊は自分へ向かってくる海竜へ、その身体ごと突っ込んだ。
「うおおおおおおおおお!」
湊はガントレットのブレードで切り裂くように、海竜の内部を泳ぐ。目にも留まらぬスピードで、海竜を木っ端微塵に海の雫へと変えた。
そして、戦場は硬直する。
彩子とバルバロの喉元には、海竜の牙が。彩子の矢で動きを封じられたままの優奈の首筋には、湊のガントレットのブレードが、あてがわれている。
――誰も微動だには出来ない。
湊が砕いた海竜の雫が、雨のように降り注ぐ。
時間の止まった戦場で、湊は優奈に問いかける。
「優奈。今まで通り、暮らそうよ」
「無理。私、魔鯨だもん。もう人間じゃ無いんだ」
「大丈夫だよ。違ったって、いいよ」
「じゃあ、世界を沈めるよ? 私、魔鯨なんだから」
「ダメだ。でも、優奈がいないと、僕は嫌なんだ」
「なにそれ、自分勝手」
「知らないだろうけど、僕が時空を超える前の日に、二人で映画を見たんだよ」
「……知らない」
「楽しかったし、優奈の瞳が、綺麗だった。あの瞳は魔鯨じゃなくて、優奈だった」
「…………」
「優奈の瞳を、綺麗だって思ってた」
優奈は思わず涙を溜めた。
瞳からうっすら紅い光が失せて、徐々に元の黒い瞳に近づいて行く。
「僕らは、魔鯨だろうと何だろうと、優奈と一緒にいたいよ」
優奈の両目から大粒の涙が溢れた。瞳の血の色を洗い流すように。
――刹那。魔鯨が船の壁を突き破り、優奈を咥えて海に引きずりこんだ。
「優奈!」
優奈は魔鯨の口の中に閉じこもったまま、叫ぶ。
「やっぱり無理! 憎いの。すっごい嫌いなの、人間。海に沈んで食べられて消えてしまえって思ってる。勝手に海の形は変えるわ、くっさいもの流して汚すわ、当然だよね。それが海に生きるみんなの総意。わたしはその代弁者なの。だからもう、無理。死んで」
――勢いで全てを捨ててしまえば楽になれる。
優奈はそんな暴走じみた衝動に身を任せて、もう一体の海竜を作り出した。
先ほどの倍以上、もはやスカイツリーに並ぶくらいの大きさで、一撃でこの船を粉砕し、湊以外を海の藻屑へと変えてしまうだろう。
「優奈、もうやめよう!」
湊の叫びに答えず、海竜は口を開けて今にも襲いかかる――。
「「――お引っ越ししよう!!」」
その場も誰もが、一瞬固まった。
叫んだのは、白鯨に乗るベリー、そして百年後の魔鯨である、和服の少女だった。
「良かったらさ、わたし達の、百年後の世界に来て見なよ! あなたが変えた海の世界。全部沈んじゃった後の世界。正直言うとね、好きだよわたし」
ベリーはいつも通りの口調で、ジェスチャーを交えながら優奈にそう語りかける。
「……白鯨が、なに甘いこと言ってるの。魔鯨が、私が滅ぼした後の世界でしょ」
「白鯨は、みんなのお母さんだからね。甘いの」
ニカッと笑って話すベリー。
そんなベリーの背中から、百年後の魔鯨の少女が、ひょこっと顔を出した。
「この世界は……オルカ達がいるから、大丈夫。きっと……少しずつ、良くなってく。……あなたは、あなたが、魔鯨が怒る必要の無くなった、わたし達の世界で暮らせば良い」
優奈は何も答えない。動きもしない。
和服の少女は、一際穏やかな声で続ける。
「きっと、楽しい」
――長い沈黙。
それでもベリーと和服の少女は、じっと返事を待つ。
やがて魔鯨の口が開いて、優奈が姿を見せた。
「湊達を、殺さなくて済むんだね」
顔を手で覆って、それでも隠しきれずに指の隙間から零れ落ちる涙。
それは魔鯨ではなく、今まで湊達と日々を過ごした優奈の、心の雫だった。
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