第37話 真司は真司

 取り乱す優奈を守る騎士のように、真司が甲板へと飛び降りて湊達と対峙する。

 入れ替わるように優奈は魔鯨の頭に飛び乗って、あの指揮者の動きで一際大きい海面上昇を引き起こした。

 生物のように大きくうねる海面に、激しく船が上下する。


「あなた……あなた、嫌いっ!」


 直後、四本の海流が海から柱のようにせり出した。渦巻く水の槍へと姿を変えて、クロウラーを襲う。


「小娘とはいえ、魔鯨は魔鯨か」 


 クロウラーは戦斧を振り回し、海流を薙ぎ払う。

 しかし戦斧を振るった後の隙へ、真司が追撃の鎖を放った。


「――ッ!」


 紙一重で身体を捻って躱したはずだった。しかし鎖は鎌首をもたげた蛇のようにその動きに追従し、クロウラーの細い腰部に巻き付いた。

 そして、胴体を両断するほどの力で締め上げる。


「ぐ、ぐぅあああっ!」


 みしみしと骨の軋む音がして、クロウラーの口の端から赤い血が溢れた。


「危ない! 助けに行かないと!」

「おっけーオルカ! まずは〜、スカーレット! んでバルバロもやってみよう!」

「えっ?」


『――海魂“共鳴”アペラシオン!』


 白鯨が彩子とバルバロを飲み込んで、辺りを包む眩い蒼の光。


 そして――クロウラーを締め上げる鎖を砕く、一筋の閃光。

 二つの骸骨が向き合って、ハートを象るシンボルの三角帽。真紅のスカーフと船長服を身に纏い、白鯨の海賊へと姿を変えた彩子の、大弓から放たれた弓矢だ。


「これで借りは返したわ。ありがとう、クロウラー!」


 彩子が礼を言うや否や、クロウラーは顔面にぴきぴきと血管を浮かび上がらせて言い返した。


「気安く話しかけるなスカーレット。私は根に持っているんだからな。……少し自分が若いからって」

「えっ、何の事よ」


 彩子がまるで覚えがなさそうに、頭に大きなクエスチョンマークを浮かべる。

 そこへすかさず、優奈の海流の槍が再び襲いかかる。


 一閃。

 彩子とクロウラーの眼前で、巨大な海流の槍は水飛沫と化して降り注いでいた。

 そこには大振りのカトラスを肩に担いだ、もう一人の海賊の姿。


 赤茶色のうねった髪を後ろで結び、素肌の上に漆黒の船長服。

 海賊らしい三角帽に身を包んだ、バルバロだ。


「うわーバルバロ、どこからどう見ても海賊だ! かっこいいよ! 特に素肌に船長服!」

「カカッ、あんま褒めるなオルカ。おいベリー! いきなり過ぎだびっくりすんだろ!」

「いやーさすがバルバロ。船長たるもの、共鳴くらいできないとねー!」


 ガミガミと怒るバルバロを意に介さず、ベリーは腕を組んでうんうんと頷いている。

 そんないつものやりとりが懐かしくて、湊は戦いの最中だと言うのに少し、頬が緩んだ。


「なんでよ、邪魔しないでよ白鯨! あなたの時代じゃないんだから!」

「知らないよ! だってオルカ達は仲間だもん! 黙ってらんないよ!」


 優奈は犬歯を剥いて叫ぶ。ベリーも負けじと言い返す。

 再び優奈は、いくつもの海流の槍を顕現させた。同時に真司の無数の鎖も、標的を追尾する弾丸のように海賊達を狙う。

 どちらかに一度当たれば、致命傷では済まないだろう。


「嫌い嫌い嫌い嫌い! そこの黒い女も、白鯨も、夕霧先輩もバル男さんも嫌い! 私の湊なんだから!!」


 彩子は素早い動きで海流の槍を躱しながら、光の矢を射って粉砕する。

 バルバロは大きなカトラスを渾身の力で振るって、その衝撃で間合いの中の攻撃全てを吹き飛ばす。

 二人の迎撃により一瞬生まれた凪。

 その隙にクロウラーは、細腕にみしりと筋肉を凝縮し、優奈へ向けて斬撃を放った。


 しかし斬撃は、優奈の華奢な腕の一振りであさっての方向へと弾かれた。

 そしてまた、海流の槍と無数の鎖の嵐が吹き荒れる。

 

「ちっ、片腕でいなされるのは初めての経験だ。それにあの追尾してくる鎖、特殊すぎるな。身体能力の強化と言う類では無い……“共鳴”でなく“解放”か」

「ちょ、クロウラー! 考えてないで手伝ってよ!」


 こちらの攻撃は通じず、防戦一方。この膠着を打開するには――。


『どんどんいくよー! 海魂“解放”リベラシオン!』


 ベリーの明朗な声が響く。放たれた蒼い光の中、湊はシャチの魂を解放した。

 黒と白の髪を靡かせて荒れ狂う海に飛び込むや否や、魚雷のように海面から飛び出す。


「真司ッ!」

「湊!?」


 湊は真司へ向かって、鋭い背鰭のようなブレードが生えたガントレットを振りかぶる。

 真司は伸ばしていた無数の鎖を引き戻し、自分の周りに幾重にも重ねた鎖の球体を作る。


 ――大きな衝突音。


 湊の拳は鎖の球体を突き破るが、それは真司の眼前で止まった。

 矛と盾のように互角。しかし、鎖の攻撃は止めた。


「オルカ、下がれ!」


 頭上からクロウラーの声。

 高く跳躍し、両手で戦斧を振りかざし――雷の如く、真司へと振り下ろした。


 捨て身の渾身の一撃だったのか、クロウラーの筋肉を引き絞った細腕の所々から、血が吹き出した。

 だがその甲斐もあり、鎖の球体は綺麗に二つに両断された。中にいた真司も――と、彩子も優奈もバルバロも、一瞬言葉を失った。


 しかし間一髪、湊が真司を突き飛ばし、死神のようなクロウラーの斬撃から逃れていた。


「湊っ、なんで助けた! ……ぐっ、なんだよ今の斬撃。かすっただけで、痛えっ」

「……助けるなんて、当たり前だよ。ねえクロウラー、真司は僕の友達なんだ」

「わかったよ。殺すなと言うのだろう」


 クロウラーはその言葉とは裏腹に、仰向けに寝転がる真司の首に、ぎらりと光る戦斧の刃を当てがった。


「妙な真似をしなければ、な。さあ、“解放”の力を解け」

「くそっ、俺は優奈の、魔鯨の願いを……おぉ?」


 突然、真司が目を丸くしてクロウラーをまじまじと見る。


「近くで見ると……美人で長身……生足……年上のお姉さん……」

「なんだ貴様。じろじろ見ていると八つ裂きにするぞ。さっさと力を解け」


 真司の身体から赤い光が霧散して、人間の姿へ戻った。


「はぁーーー!? 真司、裏切るの!? ふざけないでよ!!」

「だ、だってよ! この人めっちゃつえーし! さっきの攻撃で正直もう動けねえし!」


 彩子、バルバロと交戦中の優奈が、海流の槍を操りながらも素っ頓狂な声をあげて真司を詰める。

 真司は冷や汗を垂らしながら言い訳をするが、その視線はチラチラとクロウラーに注がれていて、もう何もかもいつも通りの真司だった。


「オルカ、こいつは私が見ている。あいつらがそろそろ限界だ」

「ちょっとー! 早くー! 持たないってば!」


 彩子とバルバロは優奈の海流の槍をひたすらに迎撃しまくっているが、このままだとジリ貧だ。


「わっ、二人とも! 今行くよ!」

「気をつけろ。魔鯨は海の怒りが強いほどに力を増す。あの魔鯨は相当強い。うちのとは比べ物にならないぞ」

「うん、忠告ありがとう」


 湊は、この目の前の魔鯨の海賊、クロウラーに思う所があった。

 秋葉原跡で子亀を助けた時の言葉が、その光景が、脳裏に焼き付いている。


『――喰うだけなら良い。だが、弄ぶな』


 人間の手の上で物のように扱われる子亀を見て、クロウラーはそう言った。当時敵対する立場ではあったが、湊の胸にもすっと落ちる、同じ波長を感じる海への愛の言葉だった。


「クロウラー。君とはいつか、ゆっくり話がしたい」

「えっ、ど、どどどう言うつもりだ!! ダメだうちの魔鯨がお前を気に入ってっ、いや、でも……いやダメだ!」


 突如、頬を赤らめてそわそわとし出すクロウラー。まるで乙女のような表情をしていたが、湊はそれに一切気づくことなく、船首へ向かった。


「めっちゃ美人なのに、男に免疫無い美脚のお姉さんとか最高じゃね……つか湊はいつからあんなプレイボーイに」

「ん? 何だ貴様、うるさいな。力を解いたのなら船室にでも隠れていろ」

「はい喜んで!」


 真司はクロウラーの言いつけ通り、ダメージを負って限界近い体に鞭を打ち、船室へ這って向かって閉じこもった。

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