第31話 馬場さん

 風呂を上がった彩子は眉をひそめて、腕と脚を組んでソファに座っている。

 その足元では、乙女の入浴に乱入してしまった湊が正座をして、びしっと背筋を正す。


「ご、ごめんなさい」

「うっさい変態」

「…………」

「…………」

「あの、すごい、綺麗でした」

「いらん! 敬語やめろ!」


 本気で怒っている訳ではないのでこの形式張った謝罪の時間はすぐに終わり、彩子も件の画像を目にした。


「湊、本当にお手柄よ! このいけ好かない顔面は、どこからどう見てもバルバロじゃない!」

「調べたらバルバロは俳優の卵みたいで、所属してる劇団も高円寺の方にあるって分かった。後はどうとでもなるよ!」


 湊と彩子は達成感で瞳を煌めかせながら、「やったー!」と歓喜の声を上げてお互いを抱き締めた。


「こうしちゃいられないわ! 祝杯よ! コンビニ行くわよ! 小腹も減ったし!」

「はい! スカーレット船長!」


 二人は遊びに行く小学生のように小走りで玄関へ向かい、夜の街へと繰り出した。

 湿り気を帯びた温い風が身体をすり抜けて行く。この夏の夜の空気も、排気ガスや街路樹の都会の匂いを除けば、百年後とよく似ていた。


「しっかしあいつが俳優ねえ……つか、グラブラのボーカルの弟だなんてびっくりよ。サインもらいましょ」

「うん。そうしよう。絶対もらおう。会ったりできちゃったりしたらどうしよう」


 そんな話をしながら少し歩いてコンビニに到着し、ピンポーン、と入店を知らせる音と共に、二人は自動ドアをくぐった。


「あ、先輩。洗顔フォームも買いたい」

「いいわよ」


 彩子がこれ? とメンズ向けの洗顔フォームを手に取って、湊の持つカゴに放り込む。


「なんかコンビニって、入るとどこか落ち着くわよね」

「あ、分かる。初めて入るコンビニでも、同じだよね、なぜか」

「でも繁華街のすっごい狭いコンビニは例外」

「それも分かる」


 他に祝杯のジュースやお菓子などもカゴに入れてレジへ持って行くと、赤茶色のうねった髪を後ろに結んだ彫りの深い顔立ちの店員が、客である湊達を一切視界にも入れず、さもだるそうに無言でバーコードを読み取る。


「きっと安心させる店構えも、コンビニの戦略なのよ。心理的にほっとするような照明とか、棚の配置とか、してるのよ」

「入りたくなるための心理作戦だね。さすが全国チェーン」

「あ、エディで」


 彩子は財布から取り出したカードを端末に読み込ませて、レシートを受け取る。


「ありゃりゃしたー」


 全く感情の篭っていない店員の声を背に、レジを去る。

 店を一歩出て自動ドアが閉まった所で、湊と彩子は無言で立ち止まった。

 しばしの無言。

 そして二人同時にくるっと踵を返して再び店内へ。


「「――バルバロ!?」」


 だるそうな態度の店員はその呼び名に反応し、少しの硬直の後、途端にそっぽを向いた。


「ひ、人違いだ」

「いーやバルバロでしょう! あんた今反応したし!」

「シラナイ、ソンナヒト」

「なんでカタコトなのよ!」


 詰め寄る彩子と決して目を合わせずに、冷や汗混じりに否定する姿が、自分はバルバロですと言っているようなものだった。


「バルバロ、良かった。こっちでも、会えて」


 湊は今にも涙しそうな表情で、バルバロを見つめる。


「……オルカ」

「やっぱりバルバロなんだね」


 すん、と表情を戻した湊。バルバロは観念した様子で一つため息をつくとバックヤードへ下がり、コンビニの制服では無くTシャツ姿で戻ってきた。


「休憩もらったからよ。外で話そう」


 バルバロとの再会は思いがけず手間が省けた。

 コンビニ裏の公園のベンチに座って夜空を仰ぎ見るバルバロ。

 ひとまず現状について、一通り彩子から説明をした。


「夢にしてはリアル過ぎたしおかしいって思ったけどよ、やっぱ現実か……。ベリーあいつ大丈夫かな」

「っていうか、あんたなんで最初しらばっくれたのよ」

「だってよ、百年後に海賊の船長やってた俺が、この時代では俳優目指しながらコンビニのバイトって、なんか、あれじゃねえか」

「今時誰も気にしないよバルバロ。夢に真っ直ぐでかっこいいと思うよ」

「オルカお前……さすがは俺の弟分だな!」


 わしゃわしゃと湊の頭を撫でるバルバロ。やはり再会は嬉しかったようで、屈託の無い笑顔を湊に向ける。


「で、あんたどうやって戻ってきたわけ?」

「東京タワー跡で、お前なんかクラゲみたいの出したろ。お前ら二人だけ戻るもんだと思ってたら、なんか俺の方にも触手が伸びて来て、んで、気づいたらこの時代にいた」

「ふうん。じゃ、やっぱあたし達と同じタイミングか。あんたは今回初めてこの時代に戻ってきたのよね」

「ああ、初めてだ。ちなみに、実はお前らが俺と同じでこの時代から来たんじゃねえかってのは勘付いてたけどな。オルカは新品のTシャツ着てたし、スカーレットとも知り合いだしよ」

「え、言ってよバルバロ!」

「言ったところで懐かしくなって帰りたいって落ち込むだけかと思ってよ。まあ、行き来できるって知ってりゃ別だったけど」


 あえて口にしなかったのは、バルバロなりの優しさだった。

 バルバロは、手のひらに拳を軽く打ち付けて言った。


「で、白鯨を探して魔鯨をぶっ叩くんだろ? 何か目星はついてんのか?」

「僕とサイコ先輩と同じ部活の女の子が、ベリーも言ってた海にまつわる言い伝えを知ってるんだ。その子が、一番可能性が高いと思う」

「流石だな。あ、休憩終わっちまう。悪いけど生活かかってんだ。連絡先教えるからよ、また今度な」

「うん、頑張ってね、バイト」


 このまま一緒に帰って早速今後の作戦を練りたいところだが、湊達と違ってバルバロは大人だ。百年後と違って、生きるためにはお金を稼がなければならない。

 連絡先を交換し、じゃあな、とバイトに戻ったバルバロを二人は見送った。


「ねえ湊。レジにいた時のあいつの名札、見た?」

「あ、見てない。苗字なんだったの?」

「馬場、だってさ。バルバロって名前、そこから来てんのかしら」


 くくっ、と彩子が悪そうな顔で笑って、湊も釣られて笑った。

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