第28話 あいつ、怪しいわ。
もしも優奈が白鯨だとして、どうやって目醒めさせるかを話し合っていたらもうとっくに昼を回っていた。
話し合った結果、出た案としては、
一、優奈を海に沈めてみる(危なくなったら鯨を出すかもしれない)
二、優奈の前に瀕死の魚を置いてみる(海の母性なら助けずにはいられない?)
三、優奈の前で鯨をやたら褒め称えてみる(照れたら白鯨!)
と言ったような、時間を費やした割にはふざけているとしか思えない案。ちなみに全て、彩子の案だ。
「や、やめようサイコ先輩。特に一は」
「そっかなー。まあでも三なんかは手軽でいい気がしない?」
「まあ、鯨をやたら褒め称えるのは個人の自由だけど……」
その後もこれだと言う案は浮かばなかった。
だが一つ。息抜きと合わせて、海に触れたら目醒めるきっかけになるかもしれないと言う期待も込め、この夏休みの間に優奈と真司を誘って船にでも乗ろうか、と言う結論に至った。
二人はひとまず長居した喫茶店を出た。
「ねえ湊、まだ時間ある?」
「うん。大丈夫だけど」
「ちょっと下見に行ってみない? マリーナ」
「行く」
湊は二つ返事で了承した。いきなりマリーナへ行って船に乗れる訳でもないが、フットワークの軽い彩子と、ボートやヨットが並んでいるなら是非見たいと言う海バカの湊は、スマホで最寄りのマリーナの場所を調べて歩き出した。
しかしその道中、マリーナの最寄駅へ向かう地下鉄の入口を、彩子は華麗にスルーした。
「あれ、サイコ先輩。地下鉄に乗るんじゃないの?」
「いいのよ、駅から離れてるみたいだし。一回あたしの家に行くわよ」
「?」
湊に浮かぶ疑問符に彩子はにやっといたずらに笑って、いつものモノレールの駅へと向かった。
「さ、上がって」
オートロックの備わった綺麗なマンション。エレベーターで七階へ上がって、最奥の角部屋、七〇六号室。そこの扉を開けて、彩子は湊を招き入れた。
ばくん、と湊の心臓が跳ねる。女の子の部屋になど入ったことは無く、それが一つ上の美人な先輩の部屋だと考えると、否応無しに緊張する。
「お、おお邪魔します」
カチコチとぎこちない動きで玄関を跨ぐと、彩子は扉を閉めて、後ろ手で鍵を閉めた。
「湊。二人っきりよ」
「ブッ」
吹き出した湊を見て、彩子はケラケラと笑う。
「あっはっはっは。仕返しよ」
「……なんて人だ」
彩子はすたすたと歩き、リビングのソファに湊を座らせて、ちょっと待っててと言って自室らしき部屋へと入って言った。
湊は部屋の中に満ちる彩子の良い匂いをさりげなく肺に取り込みながら、リビングを見渡す。
簡素ながらに統一感のある木目の家具で揃えられ、掃除も綺麗にされている。
テレビボードの脇に写真立てがあって、今のようなギャルっぽさは無い清廉な彩子が、見慣れた自分達の高校の制服を来て、両親らしき二人と一緒に写っていた。
どうやら彩子は三人家族のようだが、この部屋のソファも、テーブルも、なんだか三人家族には少し小さく思えた。
「一人暮らしなのかな」
湊がそう呟いた時に、リビングのドアが開いた。
「お待たせ」
彩子は先ほどの肩を出したブラウスでは無く、タイトなTシャツ姿だった。
その手には、ヘルメットを二つ抱えている。
「サイコ先輩、バイクで行くってこと?」
「ええそうよ。ひらひらした服だと乗りにくいから。バイク乗るなんて意外でしょー? ギャップ戦略よ」
ドヤりと笑う彩子。たしかに意外だったが、そう言えばこの人はアウトドア派だったな、と思うとどこか納得した。
しかし湊は、何かと破天荒なところのある彩子だから、念の為に聞いておかねばならないと一つ尋ねた。
「ちなみに免許は」
「あるに決まってんでしょうが」
杞憂に終わってホッとした湊だった。
▼
マンションの駐車場で、ライトブルーのレトロな外装のバイクに跨った彩子は、エンジンをかけると湊に後ろに乗るよう促した。
「ちゃんと掴まっててね」
そう言って湊の手を自分のウエストに導く。
「ブッ」
思わずまた吹き出した湊。彩子のくびれは柔らかくて、だけどもしなやかな筋肉を纏っていて、細くて。手のひらに全ての神経と意識を集中させた。
「ちょっ、変なこと考えんな! 今そう言うんじゃ無いから! 事故るから!」
少し怒ったように彩子はクラッチを離しながらアクセルを捻る。バイクの鼓動が速く大きくなり、車道に出ると気持ちよく加速した。
初めてバイクに乗った湊は少し怖かったが、風を切って疾走する気持ち良さがはるかにそれを上回った。
なんだか、BLUE BULLで順風満帆で走る時と似ていた。
信号待ちで停車したタイミングで、湊は彩子に話しかける。
「サイコ先輩、あっちの世界ではバイクに乗れなくて残念だった?」
「そうね、走るの気持ちいいし、割と好きだから、すっごい残念だった」
「あのさ、魔鯨を倒したら、船舶免許取ってBLUE BULLみたいなヨットに乗せてあげるよ。同じくらい気持ちいいから」
「本当に? 約束よ!」
BLUE BULLを見るたびに実は乗ってみたいと思っていた彩子は、ヘルメットの中で瞳を煌めかせた。信号が青に変わると、彩子は軽快にアクセルを回した。
湾岸線を走り、少し空がオレンジ色に染まりかけて来たところで、目的地のマリーナへ到着した。
ガラガラのだだっ広い駐車場にバイクを止めて、広い公園を散策するように二人でマリーナ内を歩く。港内は枝のように海面に伸びた桟橋に沿って、何隻ものヨットやボートが係留されていた。
丁度クルージングを終えて帰って来たのだろうか、帆を畳んだヨットがエンジンの力でゆっくりと進んでいる。
その風景を見て、彩子が言った。
「なるほど。もし船が必要になったら、夜忍び込んでロープ外しちゃえば普通に奪えるわね。エンジンかかんなくても、湊は帆走できるわけだし」
「えっ、まさかその下見で来たの!?」
「――欲しいものは、手に入れる」
「いや……船奪うって確かに海賊っぽいけど」
海に面したベンチに座って、目を光らせる彩子の黒い算段を聞いて若干引く湊。
「そう言えばヨットの帆走って難しいらしいじゃない。あんた達良く出来るわ」
「バルバロが船に積んであった本で学んだんだって。ベリーもバルバロに教わったって」
「…………」
急に彩子が沈黙した。どうしたのかと顔を覗き込むと、何かを考えている様子だった。
「サイコ先輩?」
「バルバロ、あいつ怪しいわ」
彩子が唐突に発した言葉。何がどう怪しいのか湊には全く分からなかったが、彩子は考えが整ったのか、話し始めた。
「あの世界では、百年前、つまり今の知識はとても貴重なの。あんた、謎の遺跡で発掘した昔の道具とか、誰の助言も無しで使いこなせる?」
「物によっては、難しいかな」
「そう。しかもその例えとは逆に、百年後と比べてこの時代の物は全てがびっくりするくらい発達していて、知識無しでは扱えないものも多い。人口なんて激減もいいとこだから、生き残ってる技術者なんていたら超超超レアキャラSSRよ」
「じゃあバルバロは、ヨットの帆走の本を運良く手に入れてラッキーだったんだね」
「そう、そこ」
彩子は湊の目を見て言った。
「本が読めるってとこ」
「?」
「あの世界は、獲って食べて寝ることが第一。今あるもの、テレビもスマホもゲームもパソコンも無いし、本だって船に積んでたり、運良く海に沈まなかったものしか無い」
それはそうだ、と湊は頷いて続きを聞く。
「つまりね、生きて行くのに本を読む、文字を読む必要性が無くなってるの。あの世界では文字を教育する必要が無くなって、百年の間にその文明は淘汰された。精々分かっても、その“線の集まり”は文字と言うものなのか、ただの模様なのかって位よ。きっと百年後に本が読めるほど文字を知っていたのは、あんたとあたしと、バルバロくらいね」
「それは、どういう」
一瞬の間を置いて、彩子は言った。
「――あいつも、この時代の人間かもしれない」
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