第27話 夏休みの始まり

 クルージングが終わり、夜になった。

 ビルの明かりや街灯、車道を流れ行く車のライトに照らされて、百年後の夜とはまるで異なる明るい帰り道を二人は歩く。


「サイコ先輩。タイムスリップする方法って、何だったの?」

「あれはね、時海月トキクラゲの力」

「時海月。確かにあの時言ってたよね」

「まあ、あたしが勝手にそう呼んでるだけなんだけどね。時間を進めたり、巻き戻したりするクラゲ」


 湊は思い出す。海に落ちた時、触手のような何かに絡みつかれる感触。


「毎回ね、強く願うと霧が深く立ち込めて、時海月が来てくれるのよ」 

「サイコ先輩の意図を汲んで出現してるんだね。懐いてるってベリーが言ってたし」

「そうだとしたら、ちょっと可愛いかもね。もしかしたら最初に東京が沈む時、この時代の白鯨があたしにくれたのかしら。時海月」


 あながち冗談でもなさそうに、彩子は夜空を見上げてそう言った。

 しばらく歩いてモノレールの改札に到着し、ここからは湊と彩子は別々だ。


「家のベッドで寝るのも久しぶりでしょ。帰ったらきっと爆睡ね」

「確かに。あと風呂も。サイコ先輩、あっちで風呂ってどうしてたの?」

「そんなものある訳ないでしょ。乙女に向かって何聞くのよ」


 湊は彩子の軽いローキックを喰らった。


「じゃ、気をつけて帰るのよ。また明日ね」

「うん。サイコ先輩も」


 二人は手を振って別々のホームへ上がり、久々の家路を辿った。

 モノレールの中でスマホを開いた湊は、なんとなく海面上昇や地盤沈下など、思い当たるワードで検索をかけてみる。するとアメリカで、海面上昇により沈没する可能性があると言われる灯台の情報を見つけた。


 土台は完全に沈んでいて、錆びた鉄骨だけを海から出したその灯台は、大きさこそ全く異なるがあの東京タワー跡にそっくりだった。


 そのサイトの中に「海の怒り」という言葉があった。

 海の逆鱗に触れて沈められた、などと漠然としたものを結論にしてしまうは思考停止に他ならないし、海の何を知ってそんな事を主張しているのだ、という半ば呆れた感情を抱く。


 しかし湊は、現代の海洋汚染などのことを考えると「怒る奴もいるよな」と、心のどこかで理解を示した。

 無意識ではあったが、その時の湊の思考は人間側でなく海の生物側の視点であり、ふと弄ばれる子亀を助けた、あの妖艶なクロウラーの顔が浮かんだ。

 



 翌日。校舎からグラウンドへ向かうまでの間にある、二階建ての部室棟。湊はそこの二階の最奥の部屋に、優奈と真司を連れてきた。


「ようこそ、人生の荒波を越えて行く部。略して荒波部へ!」


 彩子が両手を広げて、新入部員を歓迎した。


「!? 湊お前、夕霧先輩と知り合いどころか結構仲良しなんか!?」

「真司うるさい。夕霧先輩、荒波部? って、何する部なんですか?」


 二人は湊から「部活やるよ」と軽い誘いを受けて、帰宅部だし別にいいかと付いて来て見たら、なんだかよく分からない名称の部活に入れられそうになったので困惑した。


 彩子は得意げな顔で腕を組み、荒波部とは何かを二人に説明する。


「いいこと? この平和に思える日本だって、いつ何が起きて、どんな困難が押し寄せてくるか分からない。そんな人生の荒波を越えて行く力を、仲間を、見つけるの。それがこの部の活動目的よ。まあざっくり言えば、仲良くしましょうねって言う部活よ」

「え、それ、部活なんですか?」


 優奈の疑問は真っ当かもしれないが、湊は今では彩子の言葉の真意が分かる。

 百年後では、決して一人では生きていけなかった。海は人との繋がりが無くて楽そう、などと考えていたのは全くの間違いで、自分だけでは食料も手に入らないし、海を渡ることもできなかった。

 きっとこの時代に取り残された優奈と真司も、同じ状況だったはず。


 それがこの部の裏の趣旨。だが今回は、部を結成した真の意味は異なる。

 優奈か真司、二人のどちらかが白鯨の可能性があるため、出来る限り行動を共にし、目醒めた時には共に魔鯨を倒しに行くのだ。


「こらこら湊。顔、怖いわよ」


 彩子はそう言うと、優奈と真司を簡素な長テーブルに並べた椅子に座らせた。


「まずは自己紹介ね。あたしは夕霧彩子。あんた達の一つ上、二年生よ。よろしくね」


 そう言えばこんな感じで自己紹介から始まったな、と湊は懐かしい気持ちになる。


「えっと、黒峰優奈です。湊とは、幼馴染でクラスメイトで幼馴染で昔からずっと仲良しの幼馴染であり、とても大切な幼馴染です」

「清瀬真司ですっ! よろしくおねがいしゃァァす!」


 彩子は優奈のジェラシーの棘には一切気付かず、無駄にテンションの高い真司をくすっと笑ってから、もう一度、よろしく、と言った。


 こうして今回も荒波部は結成された。


 フランクな彩子の人となりのおかげで二人もすぐに馴染み、前回と同じく毎日放課後は部室で雑談をしたり、帰り道に買い食いをしたり、彩子の海釣りに皆で付き合ったりして日々を過ごした。


 失ったはずの、懐かしい日常が嬉しかった。

 白鯨を見つけて共に魔鯨を倒せば、この当たり前の幸せを、当たり前のままにできる。

 より一層、湊の心に火が灯った。欲しい未来を奪い取る、海賊の魂の火が。



 ▼



 一学期が終わり、夏休みがやってきた。

 

 初日の朝早々、「作戦会議するわよ!」と彩子から招集を受けた湊は家を出た。まだ午前九時を少し回ったくらいなのに、真夏の日差しがジリジリと降り注ぐ。


 モノレールに乗り待ち合わせの駅に着くと、私服の彩子が待っていた。

 肩を出した黒いブラウスに、細身の七部丈のパンツ。いつものゆるくカールした栗毛色の髪を後ろに束ねている。改めて見ると、誰が見ても美人だと口を揃える位の容姿だ。


「あ、来た来た。いやー、今日も暑いわね」

「…………」

「? 何よ湊、押し黙っちゃって」


 そう言って彩子はぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、ペットボトルの水を口に含む。


「いや、綺麗だなと思って」

「ブッ」


 この間の紅妖でのクルージングの時のように、彩子は水を吹き出した。


「あんた最近あたしの事からかってる?」

「いやそんなつもりは」


 百年後の東京と比べて海賊同士の戦いも無いし、インフラも整っていて平和な世界だから、こういう軽口を叩く余裕も出てくるのかな、と彩子はジト目で考える。

 それはともかく猛烈に暑いので、彩子は「飲みなよ」と飲みかけのペットボトルを差し出して、湊もそれを一口飲んでから、二人は喫茶店へと入った。


 今回も湊と彩子はアイスコーヒーとミルクティーをそれぞれ注文し、並んで二階の窓側の席に座った。


「さ、何をどうしたもんかしら。優奈か真司、はたまた大穴で身近な別の誰かが白鯨なのか。それっぽい感じ、あった?」

「それっぽい感じって……白鯨っぽい感じ?」

「そうそう」

「うーん、そんなのないよ」


 湊は優奈と真司の他、自分の家族や知り合い、担任教師なども含めて、誰かにどこか怪しい点がなかったか思い返してみるが、全く思い当たる節は無かった。

 それでも二人は、今出来る限りの推測を組み立ててみる。


「そう言えばベリーが、この時代の白鯨はまだ戦えなかったんじゃ、みたいな事言ってたから、目醒めるまでは普通に暮らしてるのかもしれない」

「そっか……そうねー。隠れるどころか、自覚も無いんじゃ探しようが無いわね。十一月二十九日まで待つしか無いのかも」

「あ」


 不意に湊が間の抜けた声を発した。


「なに、どしたの」

「いや……やっぱり、優奈かもしれない。白鯨」

「聞かせて?」


 それは、あの言い伝えだ。

 この時代の映画館で優奈が、そして百年後の秋葉原跡でベリーが口にした、『人は死ぬと海に帰る』と言う全く同じ内容の、言い伝え。


「ふーん……。海に帰る、ねえ」


 彩子は話を聞いた途端、宝石のような派手な装飾のついたスマホをいじくり出した。


「んー特にあたしも聞いた事ないし、今ググってもそう言った類の言い伝えは出てこない。ポピュラーなものではないのに、時代を越えた二人が同じ言い伝えを知っていた。となると、怪しいわね。グッジョブよ、湊!」


 彩子は湊の頬をつん、とつつくと、湊は照れたようにそっぽを向いた。

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