第26話 新しい海賊旗

「サイコ先輩、これからどこ行くの?」

「まあまあ、着いてらっしゃいな」


 二人はモノレールに揺られて目的地へ向かう。湊は道中、あの百年後の世界は現実で間違い無いのか問いかけたが、「二人きりになってからね、二人きり」と無駄に色っぽい口調でおあずけにされた。


 モノレールを降りて改札から少し歩くと、海に面した所に小さな駅のような白い建物が見えた。

 しかしその建物に線路は敷かれていない。電車では無く、船のターミナルだからだ。


 ターミナルを抜けた向こう側には、船が離着岸する桟橋が伸びているのが見える。交通船や東京湾をクルージングするレストラン船がここから出港していて、都内の観光スポットとしては中々の人気がある。


 平日ということもあり、今は閑散としているターミナル内。彩子が券売機でチケットを買うと、丁度船が着いたようで、係員が湊達を含むまばらな乗客達を桟橋へと促した。

 ターミナルから出ると、そこには。


「この船……!」


 大きな真っ赤な御座船。

 それは見まごうことなき、あの紅妖ホンヤオそのものだった。


 違う所を挙げるなら、湊の知っている紅妖よりも船体の紅色に艶があり、帆は風を受けないような網目の飾り物で、船尾からはエンジン音と共に、海中のプロペラが巻き起こす波が立っている。そして乗り込むのは屈強な海賊達ではなく、カップルや子供連れ、カメラを携えたお一人様。


「サイコ先輩、これ、紅妖?」

「びっくりしたでしょ? 本物よ、同じ船。言ってみれば、百年前の紅妖ね」


 少し切なげな微笑みを浮かべて、彩子は紅妖を見上げた。

 係員に促されて、二人は舷門タラップを渡る。船室キャビンへの入り口に当たり前のようについている自動ドアが、湊にとっては違和感でしかなくって、なんだかおかしかった。


 内部は百年後より何倍も綺麗だが、それでも造りは全く同じだった。

 彩子が場を取り仕切って、野次を飛ばすバルバロをステージから引きずり降ろして、雷神と決闘をしたあの宴の残像が、湊の目には確かに見えた。


 現代の紅妖は東京湾を周遊するクルーズ船で、和服を来たスタッフにのれんで区切られた半個室に案内された。

 湊と彩子はそれぞれアイスコーヒーとミルクティーを注文した。やがてスタッフが飲み物を持って来て、席から下がると同時に、湊が彩子の目を見て言った。


「サイコ先輩、やっと二人きりだよ」

「ブッ」


 彩子はミルクティーを吹き出した。そそくさと口元をナプキンで拭い、湊を軽く睨む。


「色っぽく言うな」

「いやそんなつもりは」


 湊としては、早速百年後の未来の話をしたかっただけで他意は無い。しかし何だか急に気まずくなり、二人してズズー、と飲み物を啜った。


 船のエンジン音が一際大きくなり、現代の紅妖は出港した。

 窓の外から見えるのは、晴海埠頭やお台場の街並み、レインボーブリッジ。夕焼け空に映えるそれらの建造物は当然ではあるがしっかり地面に根ざしていて、視界の向こうに水平線はなく、岸壁のクレーンや遠くのビルが壁のようにそびえ立っている。


 湊はその光景が懐かしく、綺麗で、同時にどこか少し寂しく思った。 


「全然違うわよね。百年後の景色とは」


 彩子も同じ心境だったようで、まさに今湊が思った通りの事を口にした。夕陽を反射するとび色の瞳を窓の外に向けたまま、彩子は言葉を繋ぐ。


「ここには大地がある。街がある。学校があって、家があって、人がいて文明があって……だけど、あいつらはいない」


 湊の脳裏に、バルバロとベリー、ティラノの顔が浮かんだ。


「おじーちゃん、いたでしょ? 先代の」

「うん。あの、すごくマッチョな」

「最初にあっちに飛ばされた時ね。だだっ広い海にポツンと建ってる東京タワーで、一人で途方に暮れてたの。訳も分からないし、誰もいないし、心細かった。そこに紅妖が通りかかってね、おじーちゃんが助けてくれたの。行く宛てが無いなら、この船に乗れって」


 彩子は、百年後の東京タワー跡に放り出されてからの経緯を話した。

 拾われた彩子は、紅妖の海賊達に励まされて徐々に元気を取り戻した。仲間達と寝食を共にし、漂流船から見つけた本で得た知識や今の時代の経験を元に、様々な面で貢献した結果、クリムゾンから次期船長に任命されたのだった。


「それでね、ある日、流れ着いた物資でも探そうと東京タワー跡に向かったの。久しぶりに東京タワー見て、何となく今の時代に戻りたいなって思ったら、段々と霧が深くなって来て。視界が悪くて鉄骨に船がぶつかって、その揺れであたしは海に落ちた」


 湊は、黙って続きを聞く。


「気が付いたらこの時代に戻ってた。色々信じられなかったけど、夢だと思う事にしてそのまま普通に暮らしたわ。だけどあの日……十一月二十九日よ、覚えておいて。その日にまた、海に飲み込まれた」

「サイコ先輩。さっき“最初にあっちに飛ばされた時”って言ったけどもしかして」


 湊が咄嗟に挟んだ質問に、彩子はすっと息を吸って、答えた。


「――ええ。こっちに戻ったのは、今回で三度目」


 湊の表情が強張る。彩子はもう既に三度も、この時間を繰り返していた。


「不思議な事にね、あっちで暮らした時間は戻らないのよ。また百年後に行くと、大体数十分くらいかな? それくらいの時間が進んでる。繰り返せるのは、こっちだけ」


 湊はしばし沈黙した。話の内容を嚥下するのに少し時間を費やした。

 そして、やがて迎える事になるあの出来事のことを聞いた。


「また、起きるんだね。海面上昇」

「間違い無いわ。今まで通りに行けば、十一月二十九日にね。そして、それは魔鯨の仕業だって事が今回初めて分かった」


 まだ何も終わっていない。始まってすらいないのかもしれない。この時代に戻って、あれは夢で全てが元通りだと安堵していた湊は、認識を一から改めた。


「……海面上昇と魔鯨について、どこか警察とか、いや、政府とか、研究者とかになるのかな。その筋の大人に伝えようよ」


 彩子は物憂げな目で手元のミルクティーをステアした。カラン、と氷の音が鳴る。


「今までも試したわ。だけど、ただの美人な女子高生がいきなりそんな事を口にしたって、こじらせた思春期の妄言か、頭のおかしい奴扱いよ。魔鯨まげいだなんだって言ったらなおさらね。無理も無いけど」


 美人というのはその通りだが今はスルーして、それもそうかと湊は納得した。実際目の当たりにした自分だって、彩子に再会するまであれは夢だと思っていたのだから。


「でもね、できることはある。まずは手に届く場所から。明日、荒波部を立ち上げるわ」


 百年後の世界では、部活で聞いた彩子の言葉が何度も役に立った。部を立ち上げたその目的が何なのか、湊はうっすらと感じ取っていた。


「ねえサイコ先輩。あの部活」

「ええ。優奈と真司と、まあ最初はあんたもだったけど、東京が海に沈んで、文明も秩序も無くした世界で生きる事になるのに放ってはおけなかったから。東京が沈むって言っても誰にも信じて貰えないから、生きるヒントだけ伝えて来た」


 ミルクティーを一口飲んで、彩子は続ける。


「で、今回はさらにもう一手、進めるわよ」

「もう一手?」

「ベリーが言ってたでしょ。白鯨は無意識に、あの共鳴だか解放とやらの適応者と行動を共にしてるって。で、あんたとあたしは適応者。だとすれば、優奈か真司のどちらかが白鯨の可能性が高い。あたしはそう踏んでるわ」


 湊は頷く。白鯨を探し出して共にこの時代の魔鯨を倒し、海面上昇を喰い止める。

 それこそが、自分達の為すべきこと。


「絶対に、欲しいものを、欲しい未来を手に入れる。あたし達は、海賊なんだから」


 彩子の差し出した手に、湊は自分の手を重ねる。

 彩子は手のひらを返して、湊の手を握り返す。


 それは無言の誓い。

 今二人は、心に同じ海賊旗を掲げた。

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