第24話 時海月

 クロウラーを吹き飛ばし戦闘不能とした今、残るは和服の少女と魔鯨だけだった。

 だが湊と彩子が海面から顔を出した時には、大量に湧いていた魔鱶も魔蟹も含めて一切がその姿を消していて、主人を失った屋形船がぷかりとその場に浮いていた。


 クロウラーの後を追って行ったと見た彩子が「足の速いBLUE BULLで追いかけよう」と提案したが、ベリー曰く魔鯨の遊泳速度に追いつけるのは、海の魂を解放した湊くらいのものらしい。単独先行するには危険だし、リスクを冒してまで今すぐに追いかけるに値する理由も無い。


 つまり、戦いはこれで終わりだ。

 しかし勝利したと胸を張って言うには、代償が余りにも大きかった。

 二つに割れた紅妖ホンヤオは切り裂かれた断面から勢いよく浸水し、そのまま徐々に沈んで、完全に海の中に消えてしまった。


 雷神、クリムゾン含む紅妖の海賊達は間一髪で海へと飛び込み、ベリーと白鯨が助け出してなんとか全員無事だった。

 魔鯨の力を得たクロウラーは、この海で最も強靭な海賊船と言える紅妖を一撃で両断して見せた。それほどの力を持った敵を相手に、死者が出なかったのは幸いと言えた。



「ねえオルカ達。元の時代に戻って」

「え?」



 湊達がひとまずBLUE BULLの甲板に集ったところで、余りにもさらっとベリーが言った。

 その言葉の意味に追いつけず、湊と彩子はただただベリーを見つめる。


「オルカ達は、過去から来たよね。オルカ達の時代の白鯨が、私に託したんだと思う」

「んー、とりあえずちょっと先に色々聞きたいわね。まず、ベリー。あんたいきなり瞳も蒼くなっちゃってどうしたの。そんで、白鯨と魔鯨とやらを説明して」


 彩子はこの突拍子も無い話を理解しようと、一つずつ疑問を紐解きにかかる。

 ベリーは、たどたどしくもなんとか伝わるように、言葉を選びながら説明を始めた。


「あのね、海の母性と海の怒りなの。それが白鯨と魔鯨。百年ごとに目醒めて、地球のこれからの指針を決めるの。魔鯨は海の怒りで、怒っちゃうと天変地異を引き起こして生態系をリセットさせる。白鯨は海から生まれた自分の子供を守るように、それを喰い止めるの」

「ほーん、まじかすげえな」

「あんた、絶対分かってないわよね」


 無駄に飲み込みの早いバルバロを、彩子はジトっと睨む。


「私、この時代の白鯨だったみたい。夢から醒めたみたいに、記憶がぶあーって頭に流れ込んで来た」


 説明するのにやたら擬音が多く、そこはいつも通りのベリーだと面々は安心して、続きを聞く。


「オルカ達のいた世界は、百年前の、海に沈む前の東京だよね。でも、魔鯨に呑まれてこの海の世界になった」

「……東京が海に沈んだのは、僕らの時代の魔鯨の仕業だったんだね」


 ベリーの言う事は辻褄が合っている。湊は抱いた疑問を口にした。


「なんで、白鯨は僕らをここに?」

「んとね、白鯨も魔鯨も、“共鳴”や“解放”の適応者を仲間にして戦うの。目醒める前から無意識のうちに魂が引き合って、群れを作る。そっちの白鯨は何でかまだ戦えなくって、適応者の湊達が死なないように未来に逃がしたんだよ。いずれ過去に戻って魔鯨と止めてくれると信じて、賭けたんだよ」


 余りにもスケールの大きな話に湊の思考はぐるぐる回る。

 百年前の東京で、魔鯨が人類を滅ぼそうと天変地異を引き起こした。白鯨は自分たちを未来へ送って逃れさせ、再び魔鯨を倒す為に戻ってくる事を信じている。そう言う話だ。


 それはつまり――自分達は百年前の元いた東京へ戻れるのかと湊が聞こうとした所で、彩子が言った。


「時間を行き来できるのは、白鯨の力だったのね」

「うん。白鯨とその眷属は、海の魂を探してより沢山の仲間を作るために、時空を飛び越える力を持ってる。ちなみに魔鯨の眷属は魔鱶と魔蟹。時空の矛盾を嗅ぎ分けて襲うんだ。こわいよねー!」


 わけも分からず気付けばこの世界にいて、今も突拍子の無い話にあまりついて行けていない湊だったが、それでも分かった重要なことは一つ。

 自分達が元の世界へ戻って魔鯨を止めれば、東京は海に沈まない、という事だ。


「さ、オルカ達は元々百年前の人間。だから自分達の時代を救うの! この時代は、わたし達に任せて。私の前の時代の白鯨の願いを叶えてあげて!」


 湊と彩子は、覚悟を決めた。

 とても急だが、旅立つ時だ。

 彩子は、夕陽に染まるクリムゾンの顔を見つめる。


「おじーちゃん、ごめん、紅妖」

「なあに謝ることはない。船長はお前じゃスカーレット。あの姿は、間違いなく一団を率いる海賊の姿じゃったよ。ゆえに死人も出なんだ。儂の目に狂いは無かった」


 彩子はさよならの言葉の代わりに、クリムゾンときつく抱き締めあった。


「雷神も。紅妖のみんなを、よろしくね」

「はっ! 命に換えても!」

「BLUE BULLは好きに使っていいから」

「おいこら俺の船だ」


 お別れを済ませた彩子は、湊の元へ。


「それじゃ、戻るわよ。湊」

「うん。行こう。サイコ先輩」


 この百年後の海に沈んだ東京は――楽しかった。

 バルバロとベリーに拾われて、BLUE BULLで航海をして、ティラノと戦い、スカーレットもとい彩子とこの海で再会した。

 海に生かされて、海と生命を共にする。そんな海賊達と過ごした日々は何にも代えがたい、宝石のように輝いた時間だった。


「みんな、元気で」


 思わず涙が溢れてきたと思ったら、バルバロが拳を突き出したから、湊も拳をコツンと合わせた。

 大きな掌で湊の頭をくしゃくしゃにして、ティラノが笑った。

 ベリーは白鯨から飛び降りて、湊とバルバロに抱き着いて「三人一緒にいたかったけど〜」と、声を上げて泣いた。


 クロウラーは強敵だが、この海には何よりも、誰よりも強い海賊達がいる。きっと大丈夫だ。

 湊は百年後の海賊達へ向かって、涙を堪えて強く頷く。

 言葉はいらなかった。

 バルバロ達も、それに応えて頷いた。


「グスッ、さあ、眷属はスカーレットに懐いてるみたいだから、頼んだよ、スカーレット!」


 湊と彩子はBLUE BULLの船首に立った。

 彩子が目を閉じて深呼吸をひとつすると、先ほどまで晴れていた霧が、再び辺りを包んだ。


「お願い、時海月トキクラゲ」 


 BLUE BULLの下にぼんやり大きな球体の影が現れて、海中から金色の触手が何本も伸びてきた。

 ふいに湊の手の平に指が絡む。隣で彩子が微笑んで、湊はぎゅっ、とその手を握り返した。


 触手に包まれて、海の中へと連れられる。

 間際に見たのは、いくつもの絡みつく触手が自分と彩子を包み、光を放つ瞬間。


 湊はまるで電源が落とされたかのように、無になった。

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