第23話 海魂解放

 湊を飲み込んだ白鯨は、蒼い瞳から光を撒き散らし、空へ向かって咆哮を上げた。

 突き抜けるように高く綺麗で、神々しく、恐ろしい声。

 畏怖という言葉を、そのまま顕現させたような声。


 海面が大きくざわめき、白鯨を中心に飛沫が巻き上がる。

 咆哮を終えた白鯨の頭頂部の孔から、海水を吐き出すように蒼い光の柱が放たれて、曇天を貫いた。


海魂“共鳴”アペラシオンではなく、海魂“解放”リベラシオンだと……?」


 クロウラーでさえも、目を開けていられないほどの眩い蒼の光。

 やがて光の柱は消え、白鯨は静かにその大きな口を開けた。そこには――。


 生まれついての瞳と同じく、左右で黒と白に別れた髪。

 両腕のガントレットの甲には、シャチの背びれのような三角形のブレード。

 しなやかな筋肉を纏う上半身を晒し、少し長く伸びた牙が口元から覗く。

 蒼い光で姿形を変えた、周防湊が立っていた。


「やったー大成功! さっすがオルカ!」


 能天気にはしゃぐベリーとは対照的に、クロウラーの額から一筋の汗が流れた。


「やはり、自前で持っていたかオルカ。海の魂を」

「海の、魂……?」


 湊は自分の手のひらを見つめて、ぎゅっと握る。

 なんだか力に満ち満ちていて、水平線の果てまでもが自分の庭に感じるような、大きな開放感がある。

 だが自分の身に何が起こったのかは一切分からない。

 疑問符を投げかけるように、ベリーへ視線を向けた。 


「オルカも知ってたよね。人は海に帰って、また人に生まれ変わって、それを繰り返すの。オルカは、シャチなんだよ!」


 ニコニコしながらそう説明するベリー。だが生憎、全く意味が分からない。

 今この場で理解するのは諦めたが、明確なことが一つだけ。


 ――この力なら、クロウラーと戦える。


 湊は海へと飛び込む。そして、人間の領域を遥かに超えた速度で潜って見えなくなった。

 その泳ぎはまさに人外。魔鱶より速いどころの話ではなかった。


「よりによって海の王者の、シャチの魂とはな。魔鯨と白鯨で奪い合う最強のカードの一つだぞ……惚れた男に袖にされた気分だ」


 クロウラーは悔しさか、苛立ちか、それとも未だ余裕の表れか、どれとも取れるため息をついた。

 片手で雷神を持ち上げたまま、湊の攻撃に備えてもう片方の手で戦斧を構える。


 刹那、クロウラーは気付いた。

 既に湊は海から跳ね上がり、頭上に滞空していることを。


「上っ!?」

「うおおおお!」


 新たに備わったガントレットのブレードで、雷神を掴んでいるクロウラーの右腕を狙う。

 クロウラーは、雷神を盾にすることも戦斧で迎え撃つことも間に合わないと瞬時に判断した。

 咄嗟に雷神から手を放して腕を引き、湊の攻撃を避ける。

 宙に浮いた雷神を、湊は華麗に奪い去って彩子の隣へと飛び退いた。


「雷神、大丈夫?」

「ああ、すまない、手を煩わせた」


 瞬時に、残像を残すほどの動きでクロウラーは湊への反撃に転ずる。

 ――が。

 

「あたしもいること、忘れてない?」

「――ッ!?」


 彩子は三本の矢を番えて放った。そのどれもが光を纏い、閃光のようにクロウラーへ飛んで行く。

 クロウラーはかろうじて、巨大な戦斧に身体を隠す。

 二本は防いだ。だが残る一本は、スリットから伸びる美しい脚を貫いた。

 その衝撃に、クロウラーは思わず片膝をつく。


「あっらー!? 膝でも痛いのかしらー!? もう若くないんだから、無理しちゃダメじゃなーい??」


 彩子は女王のように高笑いしながら、もうどちらが悪役か分からなくなるようなレベルで、容赦無くクロウラーを煽った。

 紅妖を傷つけられ、湊を狙われ、雷神を人質に取られたのだ。怒る理由は十分過ぎた。


「ぐ……っ、小娘が! 殺す殺すころすコロス!! 百回殺す!!」

「ちょ、サイコ先輩それくらいで……」


 クロウラーの顔面の血管が今にも破裂しそうだったので、湊が彩子を宥めた。

 しばしの硬直。戦況は優勢だ。

 二対一で、相手は足を負傷。クロウラーがこの盤面をひっくり返すことは、難しいだろう。


「さ、どうしましょうか。紅妖ホンヤオをこんなにしてくれた落とし前をつけないとね」

「ふん、もう勝った気でいるのか……油断するな!」


 クロウラーは胸元から何かを取り出し、紅妖の甲板へと叩きつける。破裂音と共に、周囲に爆煙が舞った。


「煙幕って、何よあいつ忍者か何か!?」


 視界はゼロ。しかし人智を超えた力を手にした湊と彩子にとっては、それは容易く打開できる小細工でしかなかった。

 湊と彩子は高くへ跳躍した。煙幕の煙を突き抜けて、空へ。

 少し前まであれほど立ち込めていた霧は晴れていて、傾きかけた太陽が、水平線に沈むところだった。


 同じように甲板から飛び、滞空しているクロウラーが黄昏を背にして、戦斧を振りかぶっている。

 ぎちりと唸る細腕の筋肉で、今まさに斬撃を振るうところだった。


「サイコ先輩! 僕が受け止めるから、全力で!」

「ええ、湊! 頼んだわよ!」


 彩子は大弓を引き絞る。指から血が滲み、両腕が震えるほどに力を込めて。


「喰らいなさい! クロウラー!」

「馬鹿め! 狙いはこっちだ!」


 戦斧の斬撃と、大弓の一閃が同時に放たれた。

 クロウラーへ一直線に向かってゆく弓矢とは裏腹に、斬撃は――。

 

 大きな爆発音と、木と鉄の砕ける音。


「……嘘」


 湊と彩子の足元に浮かぶ紅妖が、縦に両断されて海に飲み込まれていく。

 空中の二人には、意表を突いて紅妖へ放たれた斬撃を防ぎに行く術は無かった。


 船上からは次々と、紅妖の海賊達が海へと飛び降りて行く。それは、船の死を意味していた。

 

「ハアァァァァァッ!」


 クロウラーの雄叫びが響く。防御を捨て、紅妖を両断する捨て身の斬撃を放った後の大きな隙を貫くように、彩子が全力で引き絞った光の矢。

 必ず当たる。急所を貫く。――はずだった。


 クロウラーは素手で矢を掴んだ。

 片手では足りず、戦斧を捨てて両手で、左胸の心臓手前に迫った光の矢を押し戻しにかかる。が。

 

「なんて威力だっ……!」


 光の矢の威力に抗いきれず、クロウラーは矢を掴んだまま、真っ直ぐ遠くへ吹き飛んでゆく。

 手を離せば、その瞬間に心臓を貫かれる。このまま威力がいずれ殺されるまで、飛ばされて耐えるしか無かった。


「貴様ら! 必ずオルカをいただくぞ! これで終わりだと思うな!」

「こっちの台詞よ! 紅妖の恨み、必ず晴らすわ! 覚えてろクソババア!」


 直後、一際大きく、大気を揺さぶるほどの涙交じりの絶叫が響き渡る。


「ババアってゆうなぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」


 

 彩子の大弓の一撃は、文字通り水平線までクロウラーを吹き飛ばした。

 もう湊達からは見えなくなり、もし海に逃れたとしても、決してすぐには戻れない。


 跳躍して空中にいた湊と彩子は、黄昏の中を落ちて行く。

 湊は着水の衝撃から彩子を守るように頭を抱き締めて、二人は海に落ちた。

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