第19話 海賊達の力

 朝陽が海面を薄紫色に染める。

 バルバロの駆るBLUE BULLと、ティラノの作業船。その二隻に挟まれた大きな紅妖ホンヤオが潮風を­浴びながら、東京タワー跡へ舵を切る。


「湊あんた、いつの間に操船スキルまで身につけたのよ」


 バルバロの舵に合わせて器用に帆を操る湊に、彩子が紅妖の甲板から声をかける。


「バルバロとベリーに教わったんだ。なかなか上手いと思うよ、僕」


 湊は気持ち良さそうに、風を身体で感じながら帆を孕ませる。


 BLUE BULLは紅妖やティラノの作業船と違って帆は広い可動域を持ち、船体は細長いシャープな形をしている。その為効率良く風を推進力に変える事が出来、普通に走れば他の二隻の数倍速く海を征く。

 だがペースを合わせる為に、バルバロと湊が息を合わせて速度を調整しているところだ。


「そんな近代的なヨット、バルバロとベリーもよく動かし方分かったわよね」

「ふふーんだ! 紅妖なんか、ぶっちぎれるからね!」


 ベリーはなぜか彩子に常に対抗意識を燃やしている。


「あーら、湊と仲の良いあたしにヤキモチかしら?」

「ちっ、違うもん! ちょっとオルカ、代わって!」


 ベリーは湊から帆を操作するウインチをぶんどると、速度を落としていたバルバロの意図とは逆に、容赦なく効率的に風を受けて宣言通り彩子をぶっちぎった。


「おいこらベリー。競争じゃねえぞ」

「いいの! スカーレットには負けないもん」


 しばらくそんな感じで平和に航海をしていた。

 道中の半分程に差し掛かったところで、バルバロが水平線近くの異変に気づいた。


「なんだ、あの水しぶき」


 湊が目を凝らすと、確かにいくつもの飛沫が見える。


「何かしら」


 彩子がそう呟きながら双眼鏡を手にした。


「――魔鱶ね。なんであんなに沢山。あの数は流石に危険かも」


 数えきれない魔鱶の群れが、猛烈な勢いで三隻の船へ向かって来る。


「あんた達! その小さな船じゃあ魔鱶の群れが飛びついてくるかも知れない。船はロープで牽引するから、紅妖に乗り移って」


 大型船の紅妖の高さまでは、流石に海から飛び込める生物などいない。

 昨晩湊はそれをやってのけたのだが、それは例外として。


 指示を出す彩子に、バルバロはすぐに応えた。しかしティラノは一切の緊張感も無く彩子に問いかける。


「おいおい、ただの魔鱶だろ? 何をそんなに……」


 そんなティラノを置いてけぼりにして、バルバロは彩子の手下から投げられたロープを受け取り、手早くBLUE BULLを紅妖の船尾に繋いだ。


「…………」


 なんだか疎外感を感じたティラノは、素直に自分の作業船もロープで繋いで、投げ渡された縄はしごで手下と共に紅妖へ上がった。


「じゃ、とりあえずあたしが数を減らすわ。食料にもなるし」


 彩子は船首に立ち弓を構えると、一気に三本の矢を指の隙間に挟んで放つ。

 すぐさま同じようにまた三本の矢を番えて、次から次へと弾く。


 大量の矢がまるで豪雨のように、魔鱶の群れへとどんぴしゃりで降り注いだ。


「あの弓矢の雨! サイコ先輩一人でやってたの!?」


 昨日の紅妖からの過激なご挨拶。湊はそれを、何人もの乗組員が同時に矢を放ったものだと思っていた。


「ふふ、湊。覚えておきなさい。あたしは人呼んで……んー、千発必中のスカーレット。弓の名手よ」

「そんな二つ名聞いた事ねえぞスカーレット」

「っさいわね」


 ノリノリの気分を害された彩子はバルバロをキッ、と睨みつける。


「さ、後は頼むわよ、あんた達」


 彩子と入れ替わるように、雷神が船首に立つ。


「お任せください。襲われない我々からすれば、ただの作業に過ぎません」


 雷神の頼もしい発言の直後――何かがぶつかったかのような音と共に、突然船が揺れた。

 右舷、左舷と交互に大きく船体が傾く。


「ちょ、何、この揺れ!」


 彩子が叫ぶと同時に、船べりから深緑色の節足がぬっと現れ、甲板に爪を突き立てた。


「ベリー、紅妖の船室に入ってろ」

「う、うん!」


 バルバロはベリーを避難させ、船上の海賊達は全員戦闘態勢を取る。

 深緑色の節足は身体を持ち上げて、その姿を現した。


「何よ、こいつ……見た事ない」


 魔鱶の身体と同じ深緑色に覆われた甲殻。大の大人一人がすっぽり収まる位大きな胴体と、肥大した左腕のハサミ。長い脚を含めると、ゆうに五メートルを越えるであろう巨大な蟹だ。

 飛び出した目がぎょろぎょろと動き、バルバロの方向でビタッと止まった。


「魔蟹、ってとこか。ちとゴロが悪いなあ!?」


 魔蟹の凶悪なハサミが風を切って振り下ろされる。バルバロは真っ向からぶつかり合うように、鋭い軌道でオールを打ち込む。

 ばきん、とハサミの甲殻が粉々に砕けた。


「かってえ!」


 相手のハサミを砕いたものの、バルバロはジーンと痺れた両腕をブラブラと振る。


「だったら俺の得物だろう! この錨で、比較的柔らかそうなそのどてっ腹に風穴を空けてやんよ! 喰らいやがれ!」


 ティラノが丁寧な解説と共に鎖に繋がれた錨を一閃、片側のハサミを失った魔蟹の胴体ど真ん中へ放った。

 めりっ、という音と共に錨は腹部を貫き、魔蟹は白目を剥いて倒れた。


「はっはー! 見たかバルバロ!」

「けっ、るせえ」


 その安堵も束の間。先ほどの揺れがいくつも重なり、四体の魔蟹が船上へ。


「はっ? まだいたの?」


 魔蟹は呆気に取られるティラノを無視して、今度は彩子が獲物と見なされた。


「スカーレット船長!」


 雷神が即座に棍を構えるが当然それを待つことも無く、魔蟹のハサミが彩子を両断しに襲いかかる――が、そのハサミは突如現れた巨大な肉塊に阻まれて、びたっと静止した。


「「先代!」」


 紅妖の手下達が声を上げる。彩子への親心からこっそり紅妖に乗り込んでいた先代船長クリムゾンが、屈強な両腕を広げて、魔蟹のハサミが閉じるのを阻止した。


「むううん!」


 両手にぐっ、と力を込めると、ぶくっと全身の筋肉が膨らみ、指が甲殻を貫通して、巨大なハサミを破砕した。


「おじーちゃん、ありがと!」

「なあに、お安い御用じゃ」

「やべえじじいだよ、ったく」


 バルバロの憎まれ口の直後、その魔蟹の腹に湊のガントレットがヒビを入れた。


「くそっ、一撃じゃだめか!」


 助走を付けた渾身の一撃。それを蟹の身体で比較的柔らかいはずの腹部に打っても、小さなヒビが一つだけ。

 ならば。


「おあああああっ!」


 湊は次から次へと乱打を繰り出す。魔蟹は砕けたハサミを乱暴に振り乱し湊へ向けて叩きつけるが、それを躱しながらただ一点のヒビに集中して、打つ、打つ、打つ。


 亀裂の入る音が徐々に大きくなり、トドメと言わんばかりの振りかぶった右で、とうとう魔蟹の腹部を砕いた。


「おしっ!」


 ぐっ、と握り拳を作る湊。


「ほう。もしや」

「ええそうよ、おじーちゃん。この子が、オルカ」

「え、あ、初めまして。どうも……」


 うって変わって借りてきた猫のように挨拶をする湊。

 人見知りは変わっていないな、と彩子はクスッと笑った。


「甲羅が固かろうと魔鱶と同じだ、襲われない者は全員前に出ろ! これ以上スカーレット船長に汚いハサミを向けさせるな!」


 雷神の声に呼応して、紅妖の海賊達と、ティラノとその手下達が野太い声を上げながら魔蟹に向かって駆け出した。


 ティラノと雷神が一体ずつ魔蟹の甲殻を貫き仕留めて、残りの一体へ海賊達が全員で襲いかかる。

 魔蟹は群がる人間達をまるで無視して、今度は後方へ下がった湊へ向け猛進する。

 しかし先ほどの湊のように、海賊達は各々、頭、ハサミ、脚に一点に攻撃を集中させて、ついに節足を折られた魔蟹は地に伏せた。そこへ。


「やあああっ!」


 ベリーが魔蟹の脳天に入った一つのヒビへ、魔鱶の骨で作ったナイフを逆手で突き立てた。魔蟹はびくんと電撃の走ったような反応を見せて、そのまま動かなくなった。


「おいベリー、危ねえだろ! お前は戦わなくていいんだよ!」

「何さバルバロ! 女だからとか子供だからとか、そういうのよくないと思うよっ!」


 ベリーはバルバロにそう叫び返すと、スカーレットへ視線を移して、ふふん、と不敵な表情を見せた。彩子は思わず手で腹を抑えて笑う。


「あははっ、やるじゃないベリー! さ、これで船の上は片付いたわね。あんた達、ありがとう!」


 うおおー、と船上に雄叫びが上がる。

 紅妖へ辿り着いた魔鱶の群れは、やはり流石に大きな船体の甲板までの跳躍は出来ずに、流木を削った長い銛を持った彩子の手下達に次々と貫かれて今夜の食材となった。


「魔鱶に加えて、魔蟹と来たもんだ。何が起こるかわからねえ。紅妖でこのまま進むぞ」

 バルバロの言葉に彩子が頷いて、船はそのまま真っ直ぐに東京タワー跡へと進んだ。

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