第10話 マッスルペイン
BLUE BULLの操船で酷使した湊の筋肉は悲鳴というか絶叫を上げ、次の日は満足に動けなかった。
急いで何かをしなければならない訳でも無いので、船は出さずにアジトのすぐ側で魚を獲る事になった。
「バルバロ、魚を獲るって、どうやって?」
「おう、着いてきな」
バルバロは湊を促して一階下のフロアへ降り、BLUE BULLを留めてある外壁の剥がれた部屋に来た。
その部屋も湊達のアジトと同じくメゾネットになっていて、現在地はその二階部分に当たる。目の前には、下の階へ向かう螺旋階段が海に沈んでいる。
「オルカ、お前泳げるか?」
「え、うん。筋肉痛だから、ゆっくりでよければ」
「おし。じゃあ、こっちだ」
そう言ってバルバロは、螺旋階段に沿って潜って行った。湊も軋む筋肉に鞭を打って後に続く。
完全に水没している廊下に出ると、海藻やイソギンチャクが床、壁、天井に息づいていて、色とりどりの魚達が群れをなして泳いでいる。ここがダイビングスポットであれば間違いなく名所になっていそうなものだが、湊は筋肉の絶叫のせいでその景色に感動する余裕はほぼ無く、必死にバルバロを追った。
バルバロは廊下の突き当たりの開け放たれている扉をくぐった。やはりその部屋もメゾネットになっていて、室内の二階へ続く螺旋階段を上がったところで、ようやく海から顔を出せた。
「プハッ!」
たどり着いた湊を、バルバロが引き上げる。
「なかなか息が続くじゃねえか、オルカ」
もし息が続かなかったらどうするつもりだったんだろう、と訝しげな表情の湊。そんな湊に構わずバルバロは口笛を吹きながら一室の扉を開けた。
その部屋の中を見て、湊は目を輝かせた。
いくつもの道具が所狭しと並んでいた。それらは全て、湊の生きた百年前の遺産。
釣り竿やスキューバタンクにシュノーケル。中身の入った沢山の酒ビンに、弦は張られていないがアコースティックギターも。それに沢山の本。
どれもこれもかなりの年期を感じさせるが、まだまだ物としての生命を終えてはいないと言うように、どこか輝いて見えた。
「これ、どうしたの?」
「流れてきたり、漂流してる船から拾ってきたんだ。ガラクタもあるけど、面白えだろ」
湊は道具を見て回る。本棚には操船や釣り、ダイビングなどの本が並べられていた。彩子が「無人島に行くなら本を持って行く」と言っていた事を思い出して、また少し、切ない気持ちが湧いた。
バルバロは、釣竿の脇に立てかけられた金属製の銛を二本手に取った。ステンレス製だろうか、百年と言う長い歳月を経てなお錆びきってはおらず、鈍い光沢を放っている。
「こいつで俺とベリーで魚獲るからよ。楽しみにしとけ」
バルバロは楽しそうに、ニカッと笑う。
「このスキューバタンクで潜るの?」
「いんや、そいつはただの飾りで使えねえ。タンクに空気をぶち込む手段は流石に無くってな。素潜りでやるから、そこのシュノーケル二つ持ってきてくれ」
言われて湊が手にしたシュノーケルも、他の道具同様にかなり古い。ストラップのゴムは朽ちてちぎれてしまったのだろうか、細く剥いだ木の皮を結んで代用している。
そうして二人はまた水没したマンション内を泳ぎ、自分達のアジトへ戻った。
バルバロとベリーは、どっちが多く獲れるか競争をしようと言って意気揚々と海へと潜り、やがて両手いっぱいの魚を持って戻って来た。筋肉痛で銛を扱えず留守番をしていた湊は、せめて何かしなければ、と腕に鞭を打って率先して魚を捌きまくり、焚き火の周りにくべた。
「せっかく筋肉痛なんだからタンパク質取らねえとな。付くもんも付かないぜ」
バルバロはそう言って、焼けた魚を五本、湊に渡す。
「あ、ありがとう」
流石に多いと思いながらも、その魚達を湊は平らげた。身体が欲しているのだろうか、こんなに食欲が湧いて来るのは初めてだ。
「身体が資本だからねー。遠慮せずいっぱい食べて、大きくなるのよ」
ニコニコと笑いながら、サラリと黒髪を揺らして顔を傾け、まるで子供に語りかけるかのように話すベリー。ニヤッと笑う大きな瞳が少し憎たらしくて、湊はデコピンをした。
「あいたーっ、先輩に向かって何すんのよこのー! デュクシ! デュクシ!」
「いてっ、いててっ、やめてよベリー。降参だよ」
その光景を穏やかな顔で見つめるバルバロ。手にはさっき倉庫から一緒に持って来ていた、皮袋で包まれたラム酒。昼間っから酒を飲むのか、と湊は思ったが、青空の下、彫りの深い顔で酒瓶を傾けるその仕草が実に格好良く見えた。
「バルバロ、それ、海賊っぽい」
「未成年はだめだぞー」
目を輝かせる湊を軽くあしらって、バルバロは一人で海賊の酒を嗜む。
「こんな世界で法律も何もあったものじゃ無いのに」
湊が不満をぼやいてみせたら、法律どうこうじゃなく舌の問題だと言って、意外にも一口飲ませてくれた。
さぞ美味いんだろうなと期待してちょびっと口に含んだ湊は、直後にブーっと吐き出した。口から鼻へカッと揮発して抜けてゆくアルコールに、苦味と言うかなんと言うか、とても高校生の湊の舌で味わえるものではなかった。
「カカッ、パンペロ・アニバサリオの味が分かんねえとはなー」
「不味いよ、これ。もうダメになってるんじゃ」
「ダメじゃねえ。ところでよ、二人とも。オルカの筋肉痛が治まってきたら、少し遠くまで船走らすぞ」
「「やった!」」
魚を頬張るベリーと湊が同時に声を上げた。
「バルバロ、行き先は?」
「秋葉原跡だ。楽しみにしてな」
湊もよく知っている地名。もちろん名前に「跡」がついた。
聞くと秋葉原跡は、漂流物や沈んでいた物資などが取引されていて、屋台が所狭しと並ぶ商店街のような場所らしい。
「これからオルカも他の海賊達と戦り合う事もあるだろうし、武器の一つくらい持ってた方がいいからな。そいつを探しに行く。自分に合うもん見つけろよ」
「ねえねえ、わたしの武器は?」
「お前はいいんだよ。危ねえから女子供が戦うんじゃねえ。スカーレットじゃあるまいし」
「スカーレット?」
初めて聞く名前だ。どこの誰だと湊の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「新宿跡の生意気な女海賊だよ。オルカが武器をものにしたら、挨拶がわりにちょっかい出しに行くか」
ちょっかいを出せる位の仲であれば、まあ危険は無いのかな、と湊は思った。
そうして湊が回復するまでの二、三日は、獲って、食べて、腹一杯で満天の星空を眺めて眠る、と言う何ともワイルドな日々を過ごし、湊はもうすっかりこの海の一員になっていた。
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