第9話 BLUE BULL

「いい? オルカ。海賊になって船に乗るならロープの扱いは必須。まずはもやい結びを覚えるの。他にも色々結び方はあるけど、もやいが出来れば大抵何とかなる。見てて」


 朝の日差しが眩しいバルコニー。海賊の一員になった湊は昨晩火を囲んだ流木に座って、ベリーと二人ロープを手にして結び方の講義を受けている。

 ベリーはロープに小さな輪っかを作り、そこに器用にロープの先端を通したり何なりして、あっと言う間に大きな輪っかを作った。例えるならカウボーイが振り回していそうな、ああいう輪っかだ。


「他にも色々結び方はあるんだけど、まずはこれを覚えておけば、船を停めたり何かを船で引っ張ったり、大体の事が出来るんだよ」


 楽しそうに解説するベリー。湊は見よう見まねでやってみるものの、上手くいかない。


「ベリー、もう一回お願い」

「分かる、分かるよ。結び方って、頭で考えれば考えるほどに出来なくなるよねー」


 しばらく奮闘し、段々と出来るようになってきたかなと言う所で、下の階からバルバロの声がした。


「おーいお前ら! 物資探しに行くぞー」

「はーい! ほら、オルカ。行こ!」


 ベリーは嬉しそうにぴょん、と流木から跳ねて立ち上がり、湊の手を引いてバルバロの元へ向かった。

 

「いいか? オルカ。このあたりは大体いつも南風が吹いてる。風に対して帆の角度とか張り具合を調整するんだ」 


 ゆったりと波に揺れる甲板の上で、バルバロは舵を大きく回し船の向きを変えた。


「今、船首を真北に向けた。ほら、追い風だ」

「あ、ほんとだ」


 舵輪の所に備え付けられているコンパスを覗く。丸い水晶のような小洒落た指針は、北を指している。


「そこにロープ巻いてあるウインチあるだろ? 風を上手く受けられるように、ぐるぐる回して帆を調整して、この船を進めてくれ」

「これ、ですか?」


 湊はウインチから伸びるハンドルに手をかけて、回す。


「そうそう、そんな感じだ」


 漆黒の帆がゆっくりと向きを変えて、風を捕まえた。船は加速して、波しぶきを上げながら走る。


「速い! こんなに速く走るんだ」


 自然の力を借りて大海原を征く船。それは何度もスマホの動画で見た憧れそのものだった。自分は今、海賊として航海をしているのだと思うと、湊は何とも言えない高揚感を感じた。


 元気出てきたみてえだな、と小さな声でバルバロは呟くと、今度は大きく声を張り上げた。


「いいか! 俺が舵を切ったら、船が上手く進むようにお前が帆を調整するんだ! しばらく練習するぞ。まずはあの左手に見える入道雲!」


 バルバロがゆったりと入道雲に向けて取舵を切る。湊は、この風向きで進むには、と考えて、うまく風を捕まえられるよう帆を動かす。


「いいぞー! その調子だ!」


 体を動かしていると心のモヤモヤに囚われずに済むと言うのもあるが、湊はこの時、夢中だった。

 風も波しぶきも太陽も船の揺れも全てが気持ちいい。バルバロの舵取りに合わせて、何度も何度も帆を張った。


 ――しばらくして。


「ぜえっ、ぜえっ」

「ちょっとバルバロー。オルカの細腕じゃ限界だって。わたし代わるね」 

「おっと、無理させすぎたか。ちょっと休んでろ」


 夢中で帆を操作していた湊に、肉体が付いて来なかった。両腕が悲鳴をあげている。

 物資の探索は中止して今日は戻る事になり、バルバロはアジトに向けて舵を切った。

 船を着けて、そのまま船室キャビンでソファに座って休む。湊は棒のようになった両腕をだらりと下げて、フーッ、と大きく息を吐いた。


「お疲れさんだったな、オルカ。中々筋がいいぜ。まずは身体鍛えねえとな」

「もう、腕が動かない……」

「でもでもバルバロ! オルカはどの風向きでも、ちょっとコツを掴んだらすぐにちゃんと進んだよ!」


 湊をフォローするように、ベリーが両手を上下にぶんぶんと振りながら声をあげる。


「おいおい、誰も責めちゃいねえよ。オルカ、楽しいだろ。これからの上達が楽しみだ」


 バルバロは湊の頭をわしゃわしゃと撫でた。必要とされている安心感。湊は酷使した自分の両腕を見て、少しだけ口元を緩めた。


 陽も暮れて、湊達は部屋へ戻って夕飯を食べる事にした。

 物資や獲物は何も手に入れていないので、今夜は缶詰だ。念願叶っての缶詰ディナーに、ベリーはるんるんと飛び跳ねるようなステップでテーブルにセッティングをした。


「じゃんっ!」


 両手を広げて準備完了を告げるベリー。そこには倉庫のドラム缶からコップに汲んできた水と、焼き鳥や鯖の水煮、コンビーフの缶詰。それに三人分の木を削ったフォークが並ぶ。どの缶詰も鈍色に輝いて、百年と言う大きな時間の経過を感じさせた。


「ねえバルバロ。百年前の缶詰なんて、食べられるの?」

「穴が空いてたら腐ってっけど、そうで無いなら全然いけるぜ。変な匂いがしなけりゃ安心していい」

「いっただきまー」

「あっ」


 湊の何かを思い出したような声に、ベリーとバルバロは動きを止めた。


「ちょっとオルカー。止めないでよ。いただきますを、止めないでよ」


 無駄に滑舌良く、ジトっとした目でなじるベリーだったが、湊はちょっと待ってて、と席を立った。


「どうした、あいつ」

「さあ、食べちゃおっか」


 二人が缶詰のプルタブを引こうと手を伸ばしたタイミングで戻った湊は、自分が背負っていたリュックサックを抱えていた。


「お前の持ち物じゃねえか。どうした?」

「ねーそんなの後でいいじゃーん。食べよう……よ……おぉ!?」


 湊がリュックサックをひっくり返す。ごとごと音を立てて出てきたのは、沢山のブルーブル。それはあの日、彩子がくれたものだ。


「な、何これ……。キラキラ輝いてる……」

「おいおい、まじかよオルカ」


 湊はブルーブルを二本手に取った。ベリーが輝いてると言ったように、奪ったり見つけて来た缶詰と違って缶自体はピカピカだし、飲んでも問題無いだろうと二人に手渡した。


「賞味期限とかあるし、早いうちに飲んじゃった方がいいと思って。多分缶詰より全然保たないから」

「の、飲んでいいのか」


 こくりと湊が頷くとほぼ同時に、バルバロの手の中で、缶がかしゅっと小気味良い音を鳴らす。それを見たベリーもおずおずとプルタブを引っ張って缶を開けて、湊も一本を手に取った。


「じゃあ飲むぞ……か、乾杯」

「かんぱい!」

「乾杯」


 グビッ。


「「「フゥオォォォォォー!!!」」」


 一口飲んだ途端に、天井を仰いで雄叫びを上げる三人。


「何これ何これすっごい美味しい! なんだか……力が……フオォォォー!」

「かーっ! エナジーを丸々溶かしたような酸味! 心地よい炭酸! たまらねえ!」

「今なら分かるよサイコ先輩……これ、キメなきゃやってらんない……」


 丸一日動いて、乾いた身体に流し込むブルーブル。それはまさに翼を与えられて天にも昇るような爽快感だった。


「きめたぜ!」


 ふいにバルバロが叫んだ。ブルーブルがガンギマり、と言う訳ではないようで、どうしたどうしたと二人はバルバロに視線を向ける。


「俺らの船の名前だ。今までしっくりくる名前がなくて保留にしてたけどよ。ブルーブル。俺らの青い船にゃあ、これっきゃねえ」


 船には名前が付き物だ。日本丸とか、クイーンエリザベスとか。


「ぶるーぶる……。なんかかっこいいかも! でもどう言う意味?」

「青い雄牛って意味だ。まあ牛なんていねえけど。でも見た目的にもぴったりだろ? どうだ、オルカは」

「僕も異論無いけど……本当にそれにするの?」

「あたぼうよ! いやー名前が決まると愛着もひとしおだなー」


 壁一面の窓ガラスから見下ろす。群青の船体に漆黒の帆。海の上では、命を預ける相棒だ。きっと気のせいだろうが、名前が気に入ったかのように波に大きく船体が揺れた。

 

 バルバロはどこからか、板状の木片を持ってきた。


「ブルーブル。こっちのが格好良いか」


 そう言って魔鱶の骨で作ったナイフで、木片にBLUE BULLと刻む。


「バルバロすごーい! これって英語でしょ? ホントに物知りだね!」

「カカッ、まあな」

「いやいや……」


 ツッコむことすらはばかられる二人のやり取りを受け流して、湊はその船の名を呟く。


「BLUE BULL」


 よろしく、と言う意味を込めて、湊はその名を削った木の板に手を添えた。

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