第7話 アジト
一時間程だろうか。体感でそれくらいの時間海を渡り、目的地にたどり着いた。
そこは、タワーマンションの廃墟だった。
最上階から数えて三フロアまでの部分が海から顔を出しており、外壁が一部大きく欠けていて、マンションの一室と廊下が吹きさらしの丸見えになっている。
「湊、着いたぜ。ここが俺らのアジトだ。ベリー、
「はーい!」
甲板の脇に転がっている、バランスボールのような球体。それをベリーは左舷外側の前後に二つロープでぶら下げた。
興味津々の湊は二人の様子をじっくり観察していて、なるほどこれが
バルバロは外壁の穴を塞ぐように船を近づけて、一人身軽に飛び降りた。
ベリーはちょいちょい、と湊を手招きして船首へ。
「ほらミナト。このロープをバルバロに投げて渡したげて」
船首のクリートから伸びる長いロープが、足元に円を描くように綺麗にまとめられている。なんだかモンブランみたいだった。
意外と重いな、と思いながらロープを拾ってバルバロへ投げると、サンキュー、と受け取ったバルバロは、マンション外壁から突き出た太い配管に、くるくると巻いて結んで船首を固定した。
湊はその一連の動作の船乗りっぽさに内心感激していたら、「ほら、次は船尾行くよー!」とベリーが楽しそうに湊の背中をつつく。
船尾もしっかりロープで外壁に固定し、初めての着岸をこなした湊。少しの達成感に浸っていると、
「ミナトー、重ーいこれ持って!で、こっちだよ」
ベリーはティラノから奪った缶詰の入った袋を湊に押し付け、身軽に船を降りてすたすたと歩いて行った。
建物内部の朽ちた様子は、やはり相当の年月が経っている事を感じさせた。
錆びきって二度と動くことの無いであろうエレベータの扉や、足元のボロボロの絨毯。ところどころ割れた窓から差し込む光が、埃を照らして一筋の線になる。最高級マンションが見る影も無くなっていた。
三人で階段を登り、ベリーが一室の玄関を開けた。
「あー、疲れた。たっだいまー」
古びた大きなL字型のソファに、ウッドテーブル。天井にはシャンデリア。部屋はメゾネットになっていて、凝った装飾の施された螺旋階段が、リビングから上階へと続いている。
そして壁一面が大きな窓ガラスになっていて、水平線の彼方まで見渡せる。その絶景の下には、さっき係留したバルバロ達の船が見えた。
廊下とは違って、この部屋は壁も天井も家具も全て、年季が入っているが生きている。人が住まないと家はダメになる、という言葉はこのことかと湊は得心した。
湊が目を輝かせて、海賊のアジトというには小綺麗に整えられた部屋を見て回る傍ら、ベリーはソファでぐだーっと液体化していた。その脳天にバルバロのチョップが落ちた。もちろん、軽いやつだ。
「まったくこいつは。休んでる暇ねえぞー。火ぃ起こさねえと。もうじき夕暮れだ」
「あいたーっ! 今やるところだよー! ほらミナト、おいで!」
ソファから跳ね起きたベリーは、新人バイトに仕事を教えるように張り切って湊を呼んで、リビングから二階へと続く螺旋階段を昇り始めた。
「湊、あの頼れる先輩に色々教わって来な」
「わ、わかりました」
なぜか手伝わされている、という気持ちも無くは無かったが、断る選択肢など一切無かった。先ほど憧れの船乗りの仕事を一部体験した湊の好奇心は今、胸中で盛大に踊っていた。
「こっちは寝室。そこは倉庫。で、火を起こすのはこっち」
ぎい、と玄関のような重い扉を開けると、広いルーフバルコニーだった。中心には茶色く錆びきった一斗缶と、それを取り囲むように横たえられた、腰掛けるための大きな流木。
まるで野性味溢れるキャンプ場のようだった。
そこでふと、湊は一つの疑問を抱いた。
「ねえベリー。火を起こすって、どうやって?」
まさかサバイバル番組で良く見るような、木の板の上に棒を押し付けて、しゅしゅしゅと回し続けるやつでは無いか、と思った。
「んーん。そこにさ、乾かしてある流木の枝があるでしょ。それ持って来てくんない?」
バルコニーの隅に細い枝が山積みになっている。両手に枝を抱えて持っていくと、ベリーはそれらを折りながら一斗缶の中に入れたので、湊も真似をした。
「お、いいねーいい折りっぷりだねーぱっきぱきだねー。んで、じゃーん!」
続いてベリーが誇らしげに掲げたのは、ルーペ。虫眼鏡だ。どうやらこれで日光を枯枝に当てて、火を起こすらしい。
「こうやってさ、流木に付いてるカラッカラの藻屑あたりから燃やすといいんだよ」
しばらくその様を眺めていると、やがて小さな一筋の煙が立ち上ってきた。
「あ、すごい。本当に燃やせるんだ」
「すごいでしょー。ミナトさ、枯枝いくつかここに持って来てさ、残りは寝室の隣の倉庫に入れといてよ。せっかく乾いたのに、どばーって雨降っちゃうと台無しだから」
「うん。任せてよ」
湊は枯枝を抱えて、二階へ昇った時にベリーが教えてくれた倉庫へ向かった。
倉庫の中には同じような沢山の流木と、大きなドラム缶の中には水。
「雨水かな。それともサイコ先輩が言ってたように、熱して水蒸気を集めて……」
――部室で楽しそうに話す彩子の顔が浮かんだ。
それを引き金に、思い出が次々と頭の中にフラッシュバックする。
真司はクラスでも部活でも、軽口を言って場を盛り上げていた。
優奈とは、この間寄り道をして一緒に映画を見た。楽しかった。
湊の頬を、一筋の雫が流れた。
好奇心という心の麻酔が切れてしまった。
知らない場所で一人になるのがこんなに心細いだなんて、思ってもみなかった。みんなは無事なのだろうか。心配で胸が苦しい。
そんな感情が止めどなく湧き上がり、湊は膝をついて、この部屋の外には聞こえないくらいの小さな小さな嗚咽を漏らして、泣いた。
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