第2章 100年後の海賊

第5話 東京跡


「――百年ちょっと前の話だろ、それ」


 海に沈んだ東京で目覚め、訳も分からず鮫の餌食になるところだった湊を助けてくれた男は、この世界は百年後の東京だと、そう言ったのだ。

 湊は自分の手のひらを見つめた。しわくちゃでも無いし、何も以前と変化は無い。顔を手で確かめるようにまさぐるが、自分の肌の感触には何の違和感もなかった。


 百年後だなんて、一瞬信じた自分が馬鹿だ。そんなことあるわけが無いと、湊は東京タワーを見上げて叫ぶ。


「優奈ーっ! 真司ーっ! いるんだろ、上に!」

「おいお前。内部には誰もいないぞ。物資が底を尽きてる」


 錆びて朽ち果てた鉄骨が、現実を湊に突きつける。嘘にしてはあまりに手が込んでいるというか、辻褄が合ってしまうというか。

 湊の知る東京の面影はどこにも無く、優奈も真司も、そして彩子もどこにもいなかった。


 まるで一人宇宙に投げ出された様な孤独。胸のあたりがきゅうっと閉まって、息苦しくなる様な不安が湊の胸中にこみ上げる。

 だが、あの三人も同じ気持ちでいるはずだと、折れそうになる心をグッと立て直す。

 今のこの状況は微塵も理解出来ないが、もし本当に百年後の東京に飛んで来たのなら、あの時同じ場所にいた三人だってどこかにいる可能性がある。

 荒波部の活動で、以前彩子が言っていた事を思い出した。


『――自分の理解が追っつかないような、わけわかんない状況に出くわしたら、まずは冷静に情報を整理する事! 混乱してても何も先に進まない。まずは目に映るものとか、耳にした事とか、冷静に五感を使ってインプットするの。分かった?』


 その時は話し手の彩子を除いた三人が、また何か大げさな話をし出したぞ、と話半分に聞いていたのだったが、まさかその言葉を思い出す日が来るとは夢にも思わなかった。

 彩子の言っていた通りまずは情報を得ると言う目的を定めて、ひとまず湊は自分の心の波風を抑える事が出来た。


「あの、とりあえず、助けてくれてありがとうございます」

 まずはお礼を、と口にした湊を遮るように、少女が声を上げた。


「え! 新品の服! Tシャツじゃん!」

 湊のTシャツの襟をむんず、と掴み、目をキラキラさせる。


「おーほんとだ。生地が生きてる。掘り出しもん見つけたんだな、お前」


 珍しいものを見るように、湊の服装をまじまじと品定めする二人。湊からすれば、全くの意味不明な状況だ。来ているこのTシャツはリーズナブルな大型衣料品店で腐る程売っているやつだし、プレミアなどの価値は微塵も無い。


「あなたこれちょうだい!」

「おいこらベリー。人様に気安く物をねだるなよ」


 ベリーと呼ばれた少女は、男にコツン、と頭を小突かれる。えへへ、といたずらっぽく微笑んでから、湊に言った。


「ねえ、あなた名前は?」


 よく分からない二人のやり取りに若干戸惑いつつ、湊は答える。


「……湊。周防、湊」

「スオウミナト? 長い名前」

「いや、苗字と名前。周防が苗字で、湊が名前」

「苗字て! 古くさ! でも逆にかっこいいかも」


 唐突にディスられる湊。古くさいとはどう言う意味だろうか、と首を傾げる。


「好き勝手言い過ぎだ。あ、俺はバルバロ。よろしくな」


 ベリーに、バルバロ。そっちの方が変な名前だと言いたかったが、人見知りも手伝って言葉としては出てこなかった。が。


「変な名前だと思ったろ」


 唐突に湊の思考を見抜いたバルバロ。


「ここじゃあな、自分の好きな名前を名乗るんだ。苗字は確かにあるっちゃあるが、誰も覚えちゃいねえ。己の生き方とか憧れとか、好きなもんを名前として背負うんだ」


 そう語りかけてくるバルバロは、エネルギーとか情熱とかそう言う炎を宿したようなギラギラと輝いた瞳をしていた。


「生き方……憧れ?」


 ベリーは湊とバルバロのやり取りには興味が無さそうに、腰に手を当てて言った。


「バルバロ、魔鱶まぶか、持って帰るよね?」

「あいつら肉食だから臭えんだよな。でもまあ、子供の魔鱶だからまだ身も硬くねえだろうし、今夜は焼き魔鱶だな」


 マブカ、と連呼する二人。

 鱶とは鮫の別の呼び名。どうやら先ほど襲いかかってきた鮫は、魔鱶と言うらしい。


 バルバロは器用に魔鱶の尾にロープを括り付けると船尾に繋いだ。襲われた時はやたらと大きく見えたその魔鱶は、改めてその姿を見ると体長一メートルも無いくらいの、巨大とは言い難い個体だった。どうやらこいつをこのまま船で引っ張っていくようだ。


「ベリー。ワタ取っちまってくれ」

「はーい」


 元気よく返事をしたベリーは、身軽な跳躍で空中に弧を描いて海に飛び込んだ。


「ちょ、えっと、バルバロ、さん? 魔鱶とやらがいる危険な海域なのに、そんなに無防備に飛び込ませて大丈夫なんですか?」

「ああ、ベリーは魔鱶には襲われねえんだよ。すげえよな。なんでだろな」


 ベリーは周囲を警戒する事も無く、気持ち良さそうに海面から顔を出した。そして魔鱶の腹をナイフで裂いて、内臓を引きずり出して捨てた。

 湊は思わず顔をしかめた。魚を捌く様は何度か見た事があるが、魔鱶の内臓はその外見通りの毒々しい、黒だか緑だか紫だかよく分からない様な色をしていて、浮き出た細い血管がグロテスクさを何倍にも跳ね上げている。


「どうしたお前。キモいってか? でもな、生きるってのは、こう言う事だぜ」


 バルバロは諭すように言って風向きを見てから、マストの根元に備え付けられているウインチを手際よくぐるぐると回し、帆を張った。


「おっと、少し流されてるあのリュックサック、お前のだろ。ベリー頼む」

「はいはーい」


 ベリーは目を見張るようなスムーズな泳ぎで湊のリュックを回収してきて、船尾からよじ登った。


「あ、ありがとう」

「くるしうないよ!」

「おっし、じゃあ行くか。出航するぞ!」


 バルバロが舵輪を握る。船は風を受けて、広大な海原をゆっくりと進み出した。

 湊は周囲の景色を三百六十度見渡す。先ほど目にした高層ビルやタワーマンションの他に、一際高いスカイツリーの頭が見える。

 あまりにも湊の知っている風景とは違い過ぎて、思わずバルバロに訪ねた。


「バルバロさん。ここって、本当に、本っ当に地球の日本の東京でいいんですよね?」

「お? そらそうだ。東京タワーとかスカイツリーが宇宙とか海外にあるかよ」


 舵輪を小刻みに左右に揺らし、ふんふんと鼻歌を歌いながらバルバロは答える。この視界全体に広がる大海原において、海外もクソも無いのだが。


「バルバロさん達は、何者なんですか?」

「ああ、俺達は」


 バルバロは、ガララ、と一際大きく舵を切った。


「――海賊だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る