わたしだけのピアノ・スター(6)

「……そう」


 雪葉くんは返事しなかったけれど、さくらちゃんの中では答えはとっくに決まっていたらしい。


「やっぱり、まだピアノ続けてたのね」

「え? まだって……」

「あたしたち、前は同じピアノ教室に通っていたの」


 さくらちゃんに言われ、私はまじまじと雪葉くんを見つめる。

 そう、だったんだ。まあそりゃあ、さくらちゃんと同じ教室で習っていれば上手にもなるよねえ。

 あれ、でも、前はってことは……。


「雪葉くん、習い事やめちゃったの?」


 興味本位で聞いてしまった。雪葉くんはゆっくり首をたてへ振って、


「だって、コンクールとか、もう出たくなかったし……」


 本当にいやそうに、居心地悪そうに私たち女子二人の前で立ちつくしている。特に、さくらちゃんとはあんまりピアノの話はしたくなさそうにしていた。

 もしかして……たとえばなんだけど、二人はピアノ教室でのライバル関係だったとか?

 全然ありうる。だって二人とも上手だもん。


 けれど、さくらちゃんはそれ以上、ピアノ教室やコンクールの話はほり返そうとしなかった。適当な空いた椅子に座り、もう自分なりに納得したみたいに、ひとりですっきりした表情を浮かべている。

 そういえば彼女、吹奏楽部なのに、そろそろ部活の練習行かなくてだいじょうぶかな?




「別にいいのよ、習い事くらい好きにすれば。……でもよかったわ」

「……なにがだよ」

「如月くん、ピアノがキライになったわけじゃなかったのね」


 足を組んださくらちゃんは机へほおづえをつく。

 スカートからチラチラ見え隠れしている、すらりと細長い太ももに、私はちょっとだけヤキモチした。


「実はあたしもね、最近はピアノよりもやりたいことができたの」

「え、そうなの? あんなに上手なのに……あー、そっか!」


 私は思い付いたように手をたたいてみる。


「今は部活ひと筋、みたいな?」

「いいえ」


 さくらちゃんはきっぱりと否定した。


「ギターよ」

「……えっ」

「ギターを始めたの。四月に楽器買ってもらったばかりで、まだコード押さえるだけで精一杯だけど」


 私だけじゃない、意外そうに目を丸くしていたのは雪葉くんもおんなじだ。

 ピアノに吹奏楽ときて、次はギターですか。

 才能あり余ってるというか余裕あるというか……彼女は彼女で、なんでもできちゃうなあ。




「へえぇ。すごいねさくらちゃん!」

「だからまだ全然だって。……ねえ、如月くん」


 さくらちゃんは長いまつ毛をゆらす。

 そうか。どうして私はもっと早く気付かなかったんだ。

 彼女がいつまでも教室に残っている理由は……彼女の狙いは、はじめから雪葉くんだったんじゃないか。


「ピアノ、まだ弾いているんでしょう? 弾きたいんでしょう?」

「い、いや……僕は」

「文化祭に出るつもりあるなら、如月くん。……あたしと出て」



   ♪   ♪   ♪



 真夏が冷え込んだみたいに。

 さくらちゃんの言葉で、教室の空気はあやしくなった。


「あたしもね、他のクラスの子とバンド組んで、いっしょにステージ出る約束してるの」

「え……?」

「まだ曲は決めてる途中だけど……もし如月くんがキーボードで加わってくれるのなら、ピアノを使うプログラムを多めに組んでもらえるよう、あたしもみんなにかけ合うわ」


 雪葉くんはわけがわからずぼうっとしている。

 すっと片手を差し出すさくらちゃん。気まぐれや思い付きで言ってるんじゃないって、私はわかった。


「ねえ、もう一回本気で音楽やらない?」

「え、あ、ええと」


 はっとなった雪葉くんは、どうしてか私の顔をチラと見る。


「ぼ、僕を誘うくらいなら暁さんのほうが……てか、僕はそもそも暁さんに」

「ボーカルは間に合ってるわ。それに」


 さくらちゃんは少しまゆを下げる。


「わかなさんは、その……去年の合唱コンでも思ったけど、ちょっと音程感がね」


 うわ。

 遠回しに、いやストレートほぼど真ん中で「オンチ」って言われた! やっぱりオンチだったんじゃん! 雪葉くんのウソつき!




 まあ私のオンチはともかく。

 さくらちゃんはどう見たって本気だった。これ、スカウトだよね?

 彼女もひそかに、雪葉くんのピアノ、気にしていたんだ。自分だけがクラスになじんで、溶け込みながら、まったく興味ないようなふりをして。


 ……どうしよう。

 雪葉くんといっしょにステージ出るどころか、もしかして私が、よそのバンドに雪葉くんを取られそうになってる?

 さくらちゃんが、こんなところで私の『最推し』のライバルになってしまうなんて!


 でも。

 雪葉くんにとってはそのほうがいいのかもしれない。

 彼が堂々とステージ出られて、みんなの前でもう一度ピアノを弾いて、注目される日が来るというのなら。

 そうなってくれたら、私もうれしい。


 なのに……どうしてかな。

 うれしいはずなのに、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ……もやっとするなあ。




 雪葉くんはしばらくあっちこっちへ視線を泳がせていたけれど、


「……ごめん」


 しぼり出された一言に、さくらちゃんはさっと目の色を変えた。


「そういう話なら、弥生さんとは出れない」

「は? どうして?」


 声が途端に鋭くなる。

 気に食わないことが起きた時の、さくらちゃんのキツい顔が出てきた。


「ピアノが弾きたいんじゃないの?」


 緊張が走る教室で、私は息をのんで二人のやりとりを見守ることしかできない。

 けど、雪葉くんの心は固かった。


「……約束、したから」

「約束?」

「ステージは、暁さんと出るって、約束したから……」


 私は息を止める。

 ウソ、でしょ。雪葉くん、まさか。


「そっちのバンドに暁さんが混ざらないなら、僕も、いっしょには出られない」

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