わたしだけのピアノ・スター(5)

 次の日。

 すべての授業が終わり、ホームルームの最後に日直だった学級委員の男子が声を張る。


「起立!」


 ガタガタと席を立つクラスメイトたち。


「さようなら、また明日!」

「「さようなら、また明日!」」


 学級委員の男子に続いてみんなも帰りのあいさつをする。

 その瞬間、真っ先にリュックサックを背負い、ダッと教室を飛び出してイチ抜けしようとしたのは雪葉くんだった。

 はっ早⁉︎ いつものどんよりオーラからは想像も付かないシュンビンさ!


(そうは行くかあっ!)


 私はすかさず後を追いかけ、危うくドアを開けて出ていこうとした雪葉くんの行く手をはばむ。とおせんぼだ。

 チッ、と舌打ちの音が聞こえたのは気のせい? どっちでもいいか。ううん、でも雪葉くんにそんな態度取られるとちょっぴりキズ付く。でも負けてたまるか。


「ダメ!」


 ドアの前でバンザイする。


「付き合ってくれるって約束したじゃん!」

「僕はそんな約束した覚えないよ!」


 負けじと雪葉くんも大きめの声を出した。

 しまった……と私が自分のしくじりに気付いたのはそのあたりだ。彼を引きとめたかったばっかりに、教室のことなんて、ちっとも考えてなかった。


 クラスメイトのほとんど全員が私たちを見ている。

 たった数秒、数十秒の出来事。ケンカになるほどのやり取りも交わしていないのだから、気味悪がられてあたりまえだ。

 なにより、私が口走った言葉足らずなセリフが超まずかった。


「付き合ってくれる……って……」


 そのセリフを聞き逃してくれなかった女子のひとりが、雪葉くんを指さす。


「わかなちゃん、如月くんに告白したのっ?」


 ミーハーな女子たちがぞろぞろと寄ってきて、


「しかもフラれちゃったの? ウッソー、信じらんなーい!」

「えー、あー、えっとお」

「わかなって如月みたいなタイプが好きだったんだー。へー。てっきりサッカー部のレギュラーの先輩に告る気まんまんだとばっかり」


 質問ぜめやら根も葉もないウワサやら飛ばしてくる。男子の何人かも、雪葉くんをつついてからかったり「フルなよー、かわいそうに」などと余計なお世話をしてきたり。




 まいったなあ、すっかり誤解されちゃってるよ。

 ていうか、サッカー部の先輩ってなに? いつの話してるの?

 それ、小学校の時に無理やり参加させられた、バツゲームのやつでしょ? バツで告白させられただけだし。しかも先輩にはちゃんとフラれたし!

 もう昔の話だから別にいいんだけどさ。でもあのころは、こっそり、ほんのちょっぴりだけど、ホントにあこがれてた先輩だったんだよ……!


(あーもう! 余計なことまで思い出してきちゃったあ!)


 雪葉くんもすっごく困った顔をしている。前髪のおくで目が泳いでるのが丸わかりだ。


(なんて言いわけすれば……まだクラスのみんなには、バンドのことはナイショにしておいたほうが……)


 いっそ、ホントに私が彼にアタックしている、ってことにしておいたほうが都合よかったりして。アタックしてるのは間違いないし。

 キセイジジツってやつを作っておけば、雪葉くんも断るに断れなくなるんじゃない?




 私がそんなふうに悪さをたくらんでいた時だった。


「いっしょに宿題やってたんでしょう?」


 私たちを囲むようにできていたクラスメイトの輪。

 そこから少し離れた位置で、声を上げたのはさくらちゃんだった。



「えっ?」


 私は思わず変な声を出してしまう。宿題? なんの話?

 ていうか、どうしてさくらちゃんが私たちのフォローを……。


「如月くん、昨日、英語の先生に宿題出してないってしかられてたわね」


 両腕を組み、つかつかと輪へ歩いてきたさくらちゃんが、


「わかなさんは英語科の宿題集める係だから、また次の日も忘れましたって言われないように先手を打っておいたんでしょう? 放課後の居残りと、宿題に付き合っていたのね?」


 どこか高圧的に雪葉くんへつめ寄ってきたから、雪葉くんはその場で背中を丸めて、気まずそうに小さくうなずくだけ。

 私もしかたなくさくらちゃんと話を合わせた。英語係だからって、宿題に付き合うほど私も他人の面倒見、よくないけどなあ。

 クラスメイトのみんなも最初のうちは疑っていたけれど、


「……ま、弥生さんが言うならそうなのかも」


 と案外あっさり散らばってくれる。

 そのまま、なんとなくの流れでひとりふたりと教室を出ていき、最後は私たち三人だけがぽつんと取り残された。

 さっすがさくらちゃん。

 みんなにいつでもしたわれてて、クラスで誰よりも信用されているだけのことはある。


「……え、えっと」


 しばらく静かにしていた雪葉くん。私とさくらちゃんを交互に見比べるなり、


「じゃあ僕もこのへんで……」


 ものすごく小声で言って、本当に帰ろうとする。


「こっ、こらあ雪葉くん! だから私との約束……」

「二人とも」


 雪葉くんがぴたりと足を止めたのは私のせいじゃない。


「もしかして、文化祭のステージ発表に出るつもり?」


 さくらちゃんは顔色ひとつ変えずに私たちへ聞いてきた。

 笑ってはいなかったけれど、別に怒ったり泣いたりしているわけでもない。私はふと、昨日の下校時間を思い出した。

 ああ、そうか。私が教室を出ていくところ、さくらちゃんには見られていたから……。

 雪葉くんがなかなか返事しないでキョドキョドしていても構わずに、


「音楽室から聞こえてたわよ。あのトランペット……オルガン。弾いてたのって、如月くんでしょう?」


 確認してくるさくらちゃん。やっと口を開いた雪葉くんは、


「ち……違う」


 なぜか大ウソをついた。


「暁さんだよ」

「なっななな、なんでえぇっ⁉︎」


 危ない危ない。うっかりこの場でずっこけてケガするところだったじゃん。

 私があんなすごいオルガン弾けるわけないって! さくらちゃんじゃあるまいに!



 あれ? て、ことは。

 さくらちゃん……雪葉くんがピアノ弾けるって知ってたのかな?

 でも彼女と私たちは違う小学校だったはずで、雪葉くんは中学校に来てから、たぶん一度もみんなの前でピアノを弾いていないはずで。

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