第五話 河童の川流れ


 侍とは階級ではなく、その精神と在り方である。侍とは職業ではなく、その生き方である。


 ただ帯刀する権利を得てそれを行使する階級ではなく。民草を守り、主人に忠義を尽くし、仁義を重んじ、いざとあらば命を捨てて戦うという覚悟と、そうして然るべきと在り、そして死に往く道こそが侍なのである。


 そうして大昔から脈々と引き継がれた精神は、武士道や武道といった言葉で語られる。


――では、武を極める、とはいったい何を以って極めたと定義づけるのだろうか。


 ここに、たった今師から破門を言い渡された田中というひとりの青年がいた。


 田中には人生において達成したい目標がふたつあった。

 ひとつは、“武を極めたい”という目標。そしてふたつめは、“己の母を殺した妖怪に復讐を果たす”という目標であった。


 しかし、どちらの目標も達せられない道半ば、たった今そのひとつの目標を絶たれたのだった。

 田中にとって武を極めるとは、あらゆる武器を使いこなし、あらゆる体術を使いこなし、全ての武を網羅し、そしてそのすべてを使いこなすことであった。二兎を追う者どころか、数えきれない兎を追いかけようとし、まだその一兎をも見つけられていない状態で、道を絶たれたのだ。


 年にして15かそこらの青年は絶望した。師に破門を言い渡され、武を極めるという道を絶たれたことで、“半端者”と罵られ道場を追い出されたことで絶望したのだ。

 しかし、青年はとある噂を耳に挟む。それは“都”という場所の噂だ。


 曰く、そこに行けば――なんでも手に入るという。


 青年は決意した。都に向かい、武を極め、そして仇を取ると。青年は刀、槍、見たこともない武器、暗器、それから甲冑、それらを詰め込めるだけ風呂敷に詰め込み、都へと出発した。土砂降りの雨と闇の中、たった独りで都に向けて歩を進めたのだった。


 ※


三ツ鬼


「ぎゃははははははは」


 ボスは甲高い声で俺を嗤う。


「うるせェ笑うな!」

「そうかそうか、初任務は失敗か。思った通りのざぁこだな! こうしてやる! えい! えい!」

「おい踏みつけるな! チビ妖怪!」


 目の前の得体のしれないチビ妖怪はビショ濡れの俺を踏みつけようとしてくる。佐野のおっさんは腕を組んで何とも言えない笑みで俺を見ている。


「どいつもこいつもバカにしやがって」

「チビ妖怪ではない。ボスと呼べボスと」

「なぁにがボスだ、偉そうに!」

「偉そうにではない。実際に偉いのだこのざぁこ!」


 とどめを刺すように、二股に分れた金髪を揺らしてチビ妖怪が追撃してくる。


「次はうまくやる。絶対に失敗しねェ…」

 

 俺がそういうと、佐野のおっさんが間髪入れずに突っ込む。


「バぁか、この世界に“次”なんてもんはねェ。今回が運よかったものの、下手したらおっちんでもおかしくねェ事案だ。おまけに“絶対”なんてもんもねェよ、このド阿保」

「…そうかよ」


 俺は不貞腐れながらそう返す。そう言うと、おっさんはまたフと不敵に笑って煙草に火を付けた。そしてボスはひとしきり笑って俺を踏みつけた後、少し落ち着いて言った。


「はぁ笑った笑った。まぁなんだ、早く着替えて佐野と温泉にでも行ってこい」

「……あいあい」


 雨の中の仕事と、自分の失敗の所為で身体がびちょびちょでおまけに泥臭い。俺はボスに言われた通りに袴を脱いで新しいのに着替える。すると、後ろでボスとおっさんの会話が聞こえる。


「…それで、何があったんだ佐野?」

「言われた通りの仕事だ、台風による増水に備えて川の周りをパトロールする…」

「あぁ、わたし達に回って来るのはそういう仕事だけだ…それで?」

「いやなに、川で遊んでる河童を見かけてそこのバカが早とちりしただけだ」

「…飛び込んだのか?」

「………」


 佐野はコクりと頷く。すると、また嵐のようにボスが笑い始める。甲高い声で俺を指さして笑う笑う。


「ぎゃははははは! 三ツ鬼、お前さてはバカだろ! 大バカだろ! “河童の川流れ”なんてものは万にひとつもないんだぞ!」

「うるせェ! それはさっきおっさんからも聞かされた! おいおっさん、早く風呂にいこうぜ」

「…へいへい」


 佐野は不貞腐れる俺と未だにギャハハと笑うボスを見て大きな溜息を吐き、やれやれといった様子で腐りかけのドアに手を掛けた。俺は知らなかったのだ。河童の川流れなんて万にひとつもないなんてことは…。

 俺は、俺のことを笑うボスから逃げるようにしておっさんと風呂に向かった。


 ※


少し前


 外が騒がしい。騒がしいというのは、人や妖怪の声で騒がしいという意味ではなく。大粒の雨が屋根を窓を打ち付けて騒がしいという意味だ。おまけに容赦なく吹き付ける暴風で、建物がガタガタやらギシギシやらと歪な音を立てて悲鳴を上げている。


 百怪一味に入って数日したころ。慣れたと言うのは大げさにしろ、この都を少しは知ることができたと思う。

 昔ながらの街並み。どうやらこの街は碁盤の目のようになっているらしく、大まかには縦の通りと横の通りで分割されている。そして自分がどこのどの通りに居るかによって現在地や目的地なんかもわかるらしい。

 そして面白いのは、その通り通りによって各々特色があるということだ。神社や仏閣が多い通り、若者の集まる通り、人間の集まる通り、妖怪が集まる通り、観光客が集まる通り、食の通り、衣の通り、夜の通り。そして、この百怪一味の支部がある寂れた通りまで。様々な通りが様々な顔を見せてくれる。そしてそれがなんとも面白いと自分に思わせる。


 妖怪と人間とが交わった文化は変化が激しい。昨日まであった店が今日には無くなる。昨日までなかった土地に煌びやかな店が立ち並ぶ。ついこの前まで新しいとされていたファッションは今日ではダサくなる。文化、人、妖怪、街、それぞれが目まぐるしく日々変化している。

 正しく、“目が回る”街なのだ。


 でも、それでも変わらないものがたったひとつだけある。

 それは、初めてこの街に来た時に窓の外に見えた。あの夜の景色だ。


 煌びやかな街。赤色の提灯で彩られた大きな通りの所為で、薄い赤の雰囲気を纏うあの夜の街。出店、屋台、居酒屋、その店主が思い思いののぼり旗を立て、妖怪も人間も惹かれたところに入り、飯を食らい酒を飲む。気分が良くなってきたら妖怪と人間とが肩を組んで歌い、踊り、笑う。

 佐野のおっさんは「毎日毎晩、お祭り騒ぎ宴騒ぎのバカ野郎ども」と文句を垂れているが、俺はこの街の夜が好きだ。妖怪も人間も怨霊の類も分け隔てなく、歌って踊ってお祭り騒ぎ。

 あの景色だけはずっとずっと変わってないらしい。


 百怪一味に半ば脅しのように入れられて、そんな夜を5回か6回かは見た。佐野のおっさんにあの街に行きたいと毎晩言っているが「お前にはまだ早ェよ」の一点張り。三日目以降は我慢ならなくなって抜け出そうとしたが、結局はカンのいいおっさんに捕まって終い。

 佐野のおっさんは、仕事が来るまではボーっとしてたり、タバコを吸ったり、偶に散歩がてらパトロールに行ったりで暇そうにしている。ボスに至っては何をしているかわからない。佐野と同じようにボーっとしていたり、偶に外に出たかと思うとすぐ帰ってきたり、何か物寂し気に窓の外を見ていたり、俺にちょっかいを掛けて来たり。


 毎日暇だったが、あの煌びやかな街にも出られない俺にも楽しみはあった。それは毎晩、佐野のおっさんと行く風呂屋だった。

 初めてだった。妖怪と人間が同じ湯に浸かり、みんな魂でも抜けたかのように湯に沈んでいく。特段大きな風呂屋という訳ではなく、寂れた駄菓子屋と寂れた煙草屋の間にある古風な風呂屋。

 入ったら愛想のいい白髪のおばちゃんが毎日同じような顔で出迎えてくれる。奥に進んで青い暖簾をくぐると、湿気でやられてミシミシとなる木の部屋で着替えて、さらに奥の黒カビまみれの大きくもない風呂と対面する。


 何とも言えない懐かしい匂いのする石鹸で身体と髪を洗い、大人が6人ほど浸かればもう満杯くらいの風呂に入る。なにぶん寂れている風呂屋故に、俺とおっさんが入る時間帯だと、知らない妖怪と人間ひとりづつが入っていたら、「今日はいっぱいだなぁ」と思う程度だ。

 でも、天涯孤独だった俺にとってはそれでもよかった。知らない妖怪、知らない人間が話す話を聞き、佐野のおっさんとまた話す。仕事場の愚痴とか、今日も疲れたとか、嫁がどうだとか、故郷が恋しいとか、その程度の話。それでも、そんな話でも、これまでなんにも知らなかった俺からすれば、まるで砂漠にやっと降ってきた雨を見上げる花のような気分だった。


 風呂から上がると、おっさんの奢りで牛乳を喉に流し込む。俺は残った金で隣の駄菓子屋でお菓子でも買って、おっさんは逆の煙草屋で煙草を買って一緒に帰る。「ガキだなぁ」とか「またそれか」とか、俺が買うお菓子にグダグダいうおっさんと、「そんなもん何が旨いんだ?」と、煙草を買うおっさんに言い返し、やんややんや言い合ってるうちに事務所に着く。事務所に着いたら、ボスとバトンタッチして今度はボスが風呂屋に行く。その間おっさんは買ったばかりのタバコに火を付けて、夕刊を見ながらぶつくさと独り言。俺は窓からあの煌びやかな通りを見て過ごす。

 そんでボスが帰ってきたらその日はお終い。


 その繰り返し。


 今日もそんな日が続くのだろうか。早朝から強い雨と風が窓をガタガタと叩き、その音で三人とも起きた。ボスは相変わらず光る板とにらめっこ、おっさんは煙草に火を付けて煙を吐く。どうやら今日は台風が直撃らしい。


 道理で…、鬼の里に居た時も、この時期になると皆ざわざわとしていたわけだ。

 そんなことを考えていると、おっさんがため息交じりに俺に話しかけてくる。


「退屈か…坊主?」

「……いつになったら鍛えてくれるだよ、約束しただろ?」

「まぁ待て。俺にも都合ってもんがある」

「なぁにが都合だ。毎日毎日タバコ吸って散歩して終いじゃねェか」

「こう見えても暇じゃあねェんだよ」

「…へいへい」


 俺もため息と皮肉を交えてそう返す。


 すると、光る板に夢中だったボスが急に立ち上がった。


「おい佐野! 三ツ鬼! 仕事だぞ!」


 ボスは己の金髪を揺らしながらそう言って俺とおっさんの前に立つ。


「おお! やっとか、で俺は何をすればいいんだ?」

「どうしてこう、雨に日に限って仕事が来るんだ…」


 そんな小言を聞き流しつつ。ボスが任務を言い渡す。俺と佐野が事務所から出るとき。ボスが最後に言った言葉は…


「初仕事だな三ツ鬼、頑張って来いよ!」


 だった。


 でもこの時には想像もしてなかった。まさか、土砂降りの雨の中、増水して荒れ狂う竜のように流れる川を横目にパトロールすることになるなんて。


 ※


 まだ昼前、太陽は分厚く、それでいて天馬の如く駆ける雲によって光を遮られている。飛び交う鉄砲玉のように横なぎに吹き荒れる雨と風。青いシートやら骨の折れた傘やらが向かい風と共に俺たちを襲う。事務所から一歩でも外に出れば、そんな世界が広がっていた。

 さすがに今日みたいな日は、鉄道の上を駆ける鉄の箱も、道を奔る鉄の馬も、天狗でさえも姿を見せなかった。ひとっこひとりいない川堤かわづつみを見て回る。「傘だと腕を持ってかれるぞ」と言いながら、おっさんはビニールの衣で身を纏い、俺にもそれを譲ってくれた。おっさんは「なんでこんな日に」とか「煙草も吸えやしねェ」とか、ブツクサ文句を垂れながら、そのレインコートたるもののポッケに手を突っ込んで道を歩いた。

 

 妖怪の王が人間の王に譲り受けたとされる御所の垣根を横目に、鴨川と呼ばれる川を北上していく。土手には風で激しく揺れる並木。視線の奥にはモヤのかかった山。吹き荒れる雨の水飛沫で視界があまりよくはない。顔に吹き付ける風と雨を片手でガードしながら進む。

 いつもは若い人間の男や女、妖怪どもが一定の距離を開けて土手でたむろしていたが、さすがに今日は誰もいない。荒れ狂う竜のような川は増水していて、土砂やら木の枝やらゴミやらを巻き込んで濁った水が、下流へと押し流れる。


 足元を見れば、すこしは余裕があるものの、すぐそこまでその濁竜は迫っていた。そんな増水した川に視線を遣りながらおっさんの後ろに付いていくこと数分。ブツクサと文句を言っていたおっさんが話しかけてくる。


「ちゃんと見てろよ」

「…なにをだよ?」

「バぁか溺れてる奴がいねェかだよ。ったく何のためのパトロールだ…」


 ため息交じりにそう言われる。


「もし溺れてる奴がいたらどうしたらいいんだ?」

「そりゃあお前、漢らしく川に飛び込んで救出ってなもんよ」


 冗談めかしく、おっさんは力こぶを作りながら笑って言う。「本当にできるのか」と目を細めておっさんを見るが、おっさんはいたって本気なようだ。あんな川に飛び込んだら桂川のあたりで溺れ死んで、死体が大阪湾に直行だ…。


「疑ってるのか?」

「…まあな」

「あのなぁ、俺たちぁ警察たぁちげェんだ。人間相手に温い取り締まりしてるんじゃあねェ。訳も分からねェ能力を持った妖怪と、ヘタしたら何百人と命を落とすかもしれねェ相手と戦ってんだ。濁流に流されるほどヤワな鍛え方はしてねェ。そんでもって…」


 おっさんはため息で一拍を作ると、そのまま続けて話した。


「お前をそんなヤワに育てるつもりはねェ。覚悟しとけ…」

「……俄然燃えるぜ」


 俺のそんなセリフに不敵に笑いながら、「期待はしないでおく」と添えると、おっさんは笑い話かのように語った。 


「だがまぁ、こんな日に外を出歩く奴はいねェよ…。警報も出てるし電車も止まってる。こんな日に川に近づく奴らは、俺らみたいな仕事してる奴か、もしくは――」


 おっさんが話している最中、ドシャバシャと流れる川の音、ゴウゴウと吹き荒れる雨と風の音に紛れて叫び声のようなものが聞こえてくる。その声のする方に視線を遣ると、上流の方から濁流に紛れてふたりの子どもの妖怪が流されてくるのが見えた。


「ぎゃぁぁぁぁあああああぶべっ!!」

「あばばばばばばバババっ!!」


 濁った水の波が蛇のようにウネり、その蜷局に巻き込まれるようにして流されてくる妖怪のこどもたち。波が波を呑み、それに巻き込まれながらとてつもないスピードで下流へと向かっていく。


「お、おいおっさんアレ……」

「ありゃあ」


 その瞬間、おっさんの言葉が俺の脳裏を過った。


―――お前をそんなヤワに育てるつもりはねェ。覚悟しとけ。


 俺がここに来たのは、俺が百怪一味に入ったのは。角にも牙にも頼らねェ、自力の力を身につけるためだ。こんなところで瞬刻も迷ってられねェ。こんなところで一瞬でも迷ってたら、そんな自分には資格がねェ。


 気が付けば――俺は川に飛び込んでいた。


 あの妖怪のこどもたちを救う。自分がこの都で力をつけるはじめの一歩の瞬間は…ここだ!


「お、おい! ありゃあ河童――」


 なにやらおっさんが言いかけていたような気がするが、俺はもう濁流の中。因みに膝より上の水に浸かった経験は風呂以外にない。


「あば、あばばばばばばばば。お、おっさん!た、助けてくれェェェェェ!!」

「あの馬鹿…」


 ※


 気が付くと、俺は仰向けになって倒れていた。視線の前にあるのは、俺を覗き込むみっつの影。ひとつは見知ったおっさんの山賊のような顔。そしてもうふたつは、先ほど川を流れていた妖怪のガキの顔。

 童顔、無垢、そんな印象の強いこどもの顔だった。


 身体が重い、苦しい、意識がハッキリしない。此処がどこなのかも、生きているのかも死んでいるのかも…。虚ろな意識の中で、ひとつの意志を思い出した。


「俺ぁ……」

「へへ、生きてやがるぜこのド阿保。身体だけは丈夫なんだな…」


 低く、それでいて渋く響く声が鼓膜に届いたところで、全てを思い出した。


「そうだ…。か、川に飛び込んだんだ……。おっさん、あのガキの妖怪どもは…?」

「ほれ、この通りだ」


 俺を覗き込む知らないふたつの影が、ニタニタと笑いながら俺を覗き込んでいた。


「ピンピンしてるよ」

「お兄さん、大丈夫?」


 双子なのだろうか、対のような似た顔がふたつ、俺に向けて話しかけてくる。

 ひとつは男、顔がすっぽり隠れるヘルメットのような青い髪形で、目は垂れている。もうひとつは女、同じような容姿だが、髪が赤色だった。上半身を起こしてみると、なにやら古めかしい歴史を感じる家屋の中に、俺はいた。

 

 少し落ち着いてよくよく二人を見ると、背丈は4尺半くらい。ニタニタと笑う歯は鋭く尖っていて、何かを嚙み砕くには最適だろう。極めつけには、両の手と両の足の指の間には水搔きのようなものが付いていて、頭のてっぺんには小さく輝くお皿のようなものが乗っていた。


「ここは…?」

「ここは僕たちの家さ!」

「ここは私たちの家!」


 元気よくそう答える妖怪の双子。目に見えるのはまるで江戸の時代かと思うような物々だった。七輪、かまど、畳、そして囲炉裏。

 なにがどうなってこうなったのかわからないまま混乱していると、おっさんが話し始めた。


「溺れているお前を、このふたりが助けてくれた。そんで、服も体もボトボトのお前を温めるために、ここに招かれたってワケだ」

「溺れてる俺を…助けてくれた……?ってことは」

「そうだ…。お前は川に飛び込んでそのまま溺れたんだ…」

「………」

「お兄さん溺れてた!」

「お兄さんブクブク言ってた!」


 情けない。助けに行って助けられたのか?

 何とも表現し難い重りのようなものが肩にのしかかる。そんな感覚共に真っ先に思い浮かんだのは、“失敗”の二文字。

 でも謎が残る、このふたりも溺れてたハズだ…。なぜ溺れていたハズのふたりが俺を助けることができたんだ…?そんな疑問を察したのか、佐野のおっさんが答える。


「このふたりは河童だ」

「河童……?」


 なるほど、道理で…。指の間にある水搔きと頭に乗っかっている皿の謎が解ける。


「でも溺れてたはず…」


 そうだ、俺は見た。荒れ狂う濁流の波に呑まれ、苦しそうに溺れ、下流に流されているのを…。


「お兄さん引っかかった!」

「お兄さんは騙されてたのダ!!」

「引っかかった?騙された?何のことだ!?」

「僕たちが川に入っていたのは、“溺れている人間ごっこ”をするためなのサ!」

「そうそう、あんなに荒れた川は久々だったからネ!!」

「なんじゃそりゃぁぁ!?」


 意気揚々と笑い合う目の前の妖怪ふたりに言葉もでなかった…。俺はごっこ遊びに巻き込まれて死にかけたのか……。


「あのなぁ、“河童の川流れ”なんてものは万に一つもないんだ、覚えとけ。ついでに、いたずら好きってこともな…」

「………」

「「覚えとけ覚えとけ!!」」


 俺はハァとため息を吐き、がっくりと首を落した。

 そうしてしばらくして、十分体も温まったところでその家を後にした。


 そして帰り道の途中。俺は素朴な疑問をおっさんにぶつけた。


「おっさん、俺に強くなる資格はねェのか…?俺はおっさんのい言うヤワな奴のか…?何にもうまくいかねェ。里でも、此処でも。追い出されるし、捨てられるし、溺れるし、助けられるし…」


 一歩でも外に出ると、そこは先ほどと同じ暴れる風と雨。それを背中に受けながら、おっさんに問う。


「なんだもう弱音か…。鬼がそんなもん吐くな…」

「…そうだけどよぉ」


 おっさんはひとつ舌を打つと、めんどくさそうにしながら、俺の背中を強くたたいた。


「いてッ!」

「あの時、俺ぁお前が飛び込むのを止めようとした。河童だと伝えるためだ。だがお前は飛び込んだ。何も考えずに真っ先に飛び込んだ。溺れているものだと信じて止まずに飛び込んだんだ。何が言いたいかわかるか?」

「………」

「もうちょっと人の話を聞けってことだ……。だがなぁ、何の迷いもなくあの川に飛び込めたのは…そらぁ誇っていいことだ。結果はどうであれ、お前は誰かを救おうと命を賭けた。目的はどうであれ体を張った。誰にでもできるもんじゃねェ」

「………」

「まあなんだ…。お前はヤワじゃねェし、これからはちゃんと鍛えてやる。その代わり……」

「その代わり?」

「二度と弱音を吐くんじゃねェ。俺の前だけじゃねェぞ、人前でもだ。心の底の底に弱虫が湧いたら、そっと踏みつぶせ。約束しろ。これは漢の約束だ。わかるな?」

「……わかった。もう弱音は吐かねェ」

「ヨシ、じゃあ帰るか」

「応」


 俺はこの日、おっさんと約束をした。弱音は吐かないと、約束をした。

 そんな約束の話をしたこと、今日の失敗、ボスや佐野の言葉。全部全部噛み砕いてすり潰して胃に入れた。まだ夏のど真ん中。日が落ちていろんな虫が鳴き始めるころ。俺はおっさんといった風呂屋で溶けるようにして風呂に沈みながら、今日あったことを全部歯ですり潰して飲み込んだのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

都ノ鬼 @GOJI_GOJI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ