僕のにいさま

惣山沙樹

僕のにいさま

 僕の役目はにいさまのお世話をすることだった。

 にいさまは地下の座敷牢で暮らしていて、食事を持って行ったり身体を拭いてやったり、ともかく身の回りの世話を僕一人が引き受けていた。

 何でも、僕はそのためだけに産まれた末の子供だという。無いと不便だからという理由で名前は与えられた。こずえという。

 僕は屋敷から出ることを許されておらず、家族以外の村の人間と話をするのも厳しく止められていた。

 だから僕には同年代の友達というものがいない。それでも、地下に下りればにいさまが居るし、彼の世話さえすればこの屋敷で暮らせていけるので、寂しく思うことは無かった。

 朝食後の日課は、にいさまの爪を切ることだ。先が鋭く尖ったそれは、毎日手入れをしないとにいさまが傷付いてしまう。

 僕は着物からにゅっと伸びたにいさまの青白い手を取り、爪をペンチで切る。

 ぱちり。ぱちり。

 物凄く硬いので、幼い頃は苦労したものだ。僕が全て一人でできるようになるまでは、ねえさまたちが一緒に世話をしていた。彼女らは皆、もうお嫁に行ってしまった。

 歯を抜いてくれと頼まれることもあった。にいさまのギザギザの歯は、僕と違って何度も生え変わるようだった。


「こず……梢ぇ……歯を……歯を抜いて……おくれよぉ……」

「はい、にいさま」


 僕はにいさまに近寄り、ぐいっと口を開けさせ、どの歯を抜けばいいのか指で示してもらった。既にぐらぐらとしていた歯は、ペンチを使うまでもなく手で抜けた。


「ありがとうなぁ……梢は……いい子だなぁ……」


 にいさまは、わしゃわしゃと僕の髪を撫でた。これがあるから、にいさまの歯を抜くのは好きだ。にいさまの手はひんやりとしていて、触れられるとぞわっとするのだけれど、それがいい。

 髪が伸びるのも早くて、週に一度は梳かして腰くらいまで切り揃えた。にいさまの髪は黒々としていて、お湯で濡らすとその色は深みを増した。

 僕の背がにいさまの肩くらいまで伸びた頃、彼は奇妙なことをするようになった。長い舌で僕の着物の下を舐めるのだ。

 はじめは耳から。そしてうなじへ。襟から胸元に入り、おへそのところまで。

 くすぐったくて僕は笑ってしまうのだが、にいさまも嬉しそうなので、歯を抜くのと同じくらい楽しみな時間となっていった。

 さて、にいさまのお世話をするとき以外は、僕は屋敷の離れで過ごしていた。読み書きは必要無いからと教えてもらえなかった。その代わりに僕は絵を描いた。

 まずは身の回りのものから。ハサミや桶、雑草を描いた。それからねえさまたちを思い出して女の人を描いた。

 それを、かあさまに見てもらえたことがあったのだが、彼女は僕を抱き締めて泣きながらこう言った。


「ごめんねぇ、ごめんねぇ……箱木はこぎの家に産まれなければ、絵の道もあったのにねぇ……」


 僕はかあさまが泣く意味がよくわからなかった。僕はこの家に産まれて幸せだった。だから泣かないでください、そう言ったのに、かあさまはますます激しく泣くばかりだった。

 とうとう、にいさまを描いてみようと思い、帳面と鉛筆を持って座敷牢に行った。誰かを見ながら絵を描くのは初めてだった。

 にいさまは、歯を見せてかはっと笑うと、あぐらをかいて腕を組み、僕に笑顔を向けてくれた。ぎょろりとした目と、その下にできているくまが僕は好きだ。もちろん余さず描いていった。


「にいさま、どう?」

「あはっ、あはっ、梢は、絵が、上手いなぁ……」


 僕はにいさまに抱き締めてほしくて、座敷牢の中に入った。あぐらをかいたにいさまの膝の間にちょこんと座る。後ろから腕を回されて、僕は目を閉じた。

 にいさまが吐く息が、耳にかかった。

 ちろり、ちろり。

 また、にいさまが楽しいことをしてくれる。僕は彼に身体を預けきって、されるがままになっていた。


「こ、梢ぇ……四つん這いに、なれ、よぉ……」

「こう?」


 言われた通り、床に手足をついて、にいさまの方を振り返ると、舌が僕のお尻の割れ目をつうっと撫でてきた。


「ひゃは! くすぐったいよぉ!」


 にいさまはやめなかった。僕の手足はプルプルと震えた。舌は徐々に肉を分け入り、奥へ奥へと伸びてきた。

 ちろり、ちろり。

 突然、メリメリと穴の中まで入ってきて、僕はさすがに叫び声をあげた。


「ぎゃあっ……!」


 逃げようかと思ったが、身体が動かなかった。うねうねと内臓をなぞられるのがわかった。こわい。初めてにいさまのことがこわいと思った。


「やめて、にいさま、やめてっ……」


 にいさまの舌は太くなるみたいだ。お腹がぽっこりと膨れたのがわかった。僕はやっとの思いで手足を動かし、舌から逃れた。目には涙がにじんでいた。


「にいさま、こわかったよぉ……」

「よしよぉし……今日、は、もう、しないから……梢ぇ……こっちにおいで……」


 お尻がヒリヒリした。僕はにいさまの胸に飛び込んで泣きじゃくった。彼は僕の背中をとん、とん、と叩いた。僕は涙をぬぐい、見上げて聞いた。


「ねえ、にいさま。何であんなことしたの?」

「梢がなぁ……普段、よく、して、くれてる、だろう……気持ち、よく、させて……やろうと……思ってなぁ……」

「気持ちよくなんてなかったよ」

「ゆっくりなぁ……ゆっくりしよう、なぁ……」


 にいさまは、目を一本の線にして微笑み、僕の頭を撫でてくれた。

 にいさま。僕のにいさま。こわかったけど、それは僕がまだ子供だからだろうか。彼の言うとおり、ゆっくりすれば気持ちよくなるのだろうか。

 僕は大人になりたい。大好きなにいさまのために。

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僕のにいさま 惣山沙樹 @saki-souyama

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