第5話

 そして。

 学生生活はもはや遠い昔で、僕らは、立派とは言えずともなんとか社会人をやっていた、そんな日々の中で。

 トオルの訃報が届いたのだ。


―――――――


 慣れない喪服に肩を通してるのは僕以外も同じなようで、焼香を上げ終えた後でもみなそわそわと落ち着かないようだった。もっともこの歳で葬式に慣れているほうが怖いかもしれない。

 周りの人々はそれぞれ知り合い同士でトオルの思い出話をしていた。話しているうちに亡くなった実感を取り戻したのか、徐々にすすり泣きが混じるようになってくる。話すことのない僕は居たたまれなくなり、そっと一人葬儀場を出た。外はすっかり暗くなっていて、それだけトオルの葬儀が長かったことを実感する。別れの挨拶はみな長く、そして悔しさが滲んでいた。

 僕だって悲しくなかったわけじゃない。訃報が届いた日はそりゃあ泣いた。わんわん泣いた。しばらく会っていなくても、メッセージを二言三言かわす仲になっても、それでも彼は僕にとって大切な人に違いなかった。

 そして、とうとう泣き疲れてしまったのだ。

 心の内側をさらけ出すのは、大切な人にだけでいいと、その時の僕は知っていた。


「待って」

 会場から遠のく足を後ろから呼び止められる。振り向いた先にいたのはシズカさんだった。黒い喪服が、凛とした空気が、何故だか、凄く似合っていた。

「シズカさん、どうしたんですか。ご遺族なんだからやることがあるんじゃ」

「いいの。婚姻届、まだ出してなかったから」

 少し驚く。てっきり二人はもうとっくに結婚しているものだと思っていた。なにより今日の彼女が、遺族側の席に、落ち着き払った様子で座っていたから。

「意外ですね。したいことはするんじゃなかったんですか」

「こっちの家族の許可がなかなか取れなくて。古めかしいと思うんだけど、まあ、しきたりだったし」

「それで、なんの用ですか」

 彼女は口を開き、そして言い淀む。学生時代の彼女からまるで考えられない動きだった。

「学生時代のあれ、覚えてる?」

「あれって?」

「わたしと、トオルの、その」

「ああ、セックスの話」

「その、ね。あなたが、まだ、わたしのことを、その、好き、なら」

 抱いて、ほしいの。彼女の口は間違いなく、そんな言葉を紡いでいた。

 一拍おいて、もはや意味のない問いを返す。

「したいから、ですか? 僕と?」

「そうじゃないの。いえ、そうかもしれない。分からない、けど、私がさらけ出せるのは、もうあなたしかいなくって、それで」

 苦しげに言葉を紡ぐその顔を見ていられなくなり、僕は彼女の頭にそっと手を伸ばした。そのまま、自身の胸へと抱き寄せる。彼女は僕の腕の中で、ただわんわんと、子供のように泣きじゃくっていた。

 彼女の体温を感じながら、僕は曇天の空へと目を向ける。

 涙は自然と湧いていた。声だけは、しっかりと噛み殺した。

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